教わることとは
2004年8月23日ニッシーは現在塾講師のアルバイトをしている。担当しているのは中学1年生の男の子。普通の人と比べると若干理解度は遅いが、それなりにやり甲斐がある。そんなある日のこと。夏期講習も終わり、帰ろうとしたときにたまたま専任の先生とお話しする機会があった。そこで、こんな会話が出てきた。
「ニッシー先生、教えていて大変じゃないですか?」
まぁ〜、確かに普通の人と比べるとその子は理解度は遅いので、そういう意味では大変なのかもしれないが、ニッシーはそのように感じていない。これ自体は、一歩ずつ、一歩ずつ前へ進んでいくしかないと思っている。
そもそも教わることってどんなことだろうと考える。教わることと言うのは時と場合にもよるけど、新しいことを学ぶこと。新しいことを学ぶって言うのはつまり、新しいことを知ることだ。新しいことを知ることって本来は楽しいことではないだろうか。これは私の持論であるが、新しいことを知ることは楽しいことである。これが、基本だと私は思っている。
だから、ニッシーの指導ももちろん楽しくやっている・・・つもりである。ニッシーは数学と英語を担当。数学に関しては、解放の丸暗記こんなことはせずに、掘り下げて掘り下げて、今まで使える範囲の中で出来るように何とかしている。しかし、中学生だとあまり掘り下げすぎると何がなんだか分からなくなってしまうので、ま、ほどほどに掘り下げる。だから、時には強引に「こうだ!」と言うこともあるが、基本的な方針は変わらない。
例えば、-3-6と言う問題があったとしよう。計算の苦手な生徒はここでつまづく人が多い。どうやら少しでも複雑になってしまうと引き算は抵抗があるらしい。だったら、足し算にしてしまおう!と言うのが私の教え方。-3-6と言うのは、-3+(-6)と一緒。これだと計算できる人が多いので、このもって行き方だけを教えている。ポイントは
『引き算は足し算に』と言うことである。
英語の場合は、ちょっと解放をひたすら・・・と言う形になってしまってはいるが、まず、動詞に主眼を置いている。中学生の英語は動詞が分かっていればおそらく6割は出来るからだ。そのため、動詞の特長についての説明が授業中も大半を占める。後は、問題集ひたすらといった感じだ。
そして、たまにこのセリフを言う。
「こういう問題(計算問題・動詞の問題・単語etc)は、塾でやらなくても自分の家でも勉強できるよね。だから、学校の問題集とか使って色々なもんだをやると良いよ。」と。実際問題、中学生でこのセリフを言ってやる人って言うのは少ない(事実、おそらく私の教えている生徒もやっていない。(^_^;))もしも、1問でも解いてくれて感覚をつかんでくれたら。と思っている。
とまぁ〜色々書いてしまいましたが、基本的に教わることは楽しいこと。これを主眼にやっている。そして、そういう風にさせるのは教える側の教え方とその熱意だと思う。もちろん、生徒がやるということが一番大切なのですが・・・最近になってちょっとだけ、ちょっとだけそれなりの教え方に近づいたかなと感じるにわか教師の戯言でした。
「ニッシー先生、教えていて大変じゃないですか?」
まぁ〜、確かに普通の人と比べるとその子は理解度は遅いので、そういう意味では大変なのかもしれないが、ニッシーはそのように感じていない。これ自体は、一歩ずつ、一歩ずつ前へ進んでいくしかないと思っている。
そもそも教わることってどんなことだろうと考える。教わることと言うのは時と場合にもよるけど、新しいことを学ぶこと。新しいことを学ぶって言うのはつまり、新しいことを知ることだ。新しいことを知ることって本来は楽しいことではないだろうか。これは私の持論であるが、新しいことを知ることは楽しいことである。これが、基本だと私は思っている。
だから、ニッシーの指導ももちろん楽しくやっている・・・つもりである。ニッシーは数学と英語を担当。数学に関しては、解放の丸暗記こんなことはせずに、掘り下げて掘り下げて、今まで使える範囲の中で出来るように何とかしている。しかし、中学生だとあまり掘り下げすぎると何がなんだか分からなくなってしまうので、ま、ほどほどに掘り下げる。だから、時には強引に「こうだ!」と言うこともあるが、基本的な方針は変わらない。
例えば、-3-6と言う問題があったとしよう。計算の苦手な生徒はここでつまづく人が多い。どうやら少しでも複雑になってしまうと引き算は抵抗があるらしい。だったら、足し算にしてしまおう!と言うのが私の教え方。-3-6と言うのは、-3+(-6)と一緒。これだと計算できる人が多いので、このもって行き方だけを教えている。ポイントは
『引き算は足し算に』と言うことである。
英語の場合は、ちょっと解放をひたすら・・・と言う形になってしまってはいるが、まず、動詞に主眼を置いている。中学生の英語は動詞が分かっていればおそらく6割は出来るからだ。そのため、動詞の特長についての説明が授業中も大半を占める。後は、問題集ひたすらといった感じだ。
そして、たまにこのセリフを言う。
「こういう問題(計算問題・動詞の問題・単語etc)は、塾でやらなくても自分の家でも勉強できるよね。だから、学校の問題集とか使って色々なもんだをやると良いよ。」と。実際問題、中学生でこのセリフを言ってやる人って言うのは少ない(事実、おそらく私の教えている生徒もやっていない。(^_^;))もしも、1問でも解いてくれて感覚をつかんでくれたら。と思っている。
とまぁ〜色々書いてしまいましたが、基本的に教わることは楽しいこと。これを主眼にやっている。そして、そういう風にさせるのは教える側の教え方とその熱意だと思う。もちろん、生徒がやるということが一番大切なのですが・・・最近になってちょっとだけ、ちょっとだけそれなりの教え方に近づいたかなと感じるにわか教師の戯言でした。
だまされるな!
2004年7月5日ちょっと辛口批判を。日本政府は5日、北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(45)と、夫のジェンキンスさん(64)ら一家4人を週内にもインドネシアの首都ジャカルタで再会させる方針を固めたそうです。(毎日新聞より引用)
もちろん、曽我さんら家族にとって見れば吉報なことですし、私も含め日本国民も再開を願っていることは間違いありません。それはそれで、良いと一見見ると思うのです。しかし、どうでしょう。明らかに政治的手段だと思いませんか。9日に家族再会でその2日後には、参議院選。参議院選挙がもしもなかったら明らかに9日とはしなかったでしょう。この政治的手段が個人的に気に入りません。おそらく小泉さんの中では、家族再会の裏腹には明らかに参議院選挙をにらんでいると言わざるを得ません。それを平気な顔して記者会見では、家族再会について「よかったですね」と言えるとは・・・あぁ〜何と政治的なんでしょう。
以前の辻本清美元衆議院議員の一見のときもそうでした。これは以前も書いたことがありますが、鈴木宗雄議員(当時)の問題がなければ明らかに浮上しなかった問題でしょう。それをまるで「出る杭は打たれる」みたいに野党議員がぼこぼこと叩かれるこの始末。この頃から私は今の日本政治について不信感を抱くようになりました。
年金問題についてもそうです。特に、公明党に関しては民主党の当時代表の菅直人代表の年金未納問題についてあれほどがたがた言っていたのに、自分たちの年金未納になると仕方ないと容認できるような発言をしたり・・・もう〜今の国会はなんなんでしょう。小泉さんだって、「人生色々、会社もいろいろ」とじぶんにとってばつの悪いことになると、はぐらかそうとする。確かに小泉さんの年金問題に関しては、規則上は違反ではないかもしれません。しかし、結果として国民に誤解を与えるようなことをしたのは紛れもない事実であり、小泉さんはそのところを素直に謝罪をすればいいと私自身は思うのですが・・・それをせずに、ごたごたごたごた聞き苦しい言い訳をするし。もう〜なんなんでしょうか。
そう思うと、今度の選挙では民主党が伸びるのかな?と一見思われがちですが、民主党もどうなんでしょうね。現時点では、個人的に何とも言えません。ニッシー個人的には、やはり年金未納と言うのがちょっと許せないからです。ニッシーだって、4月になるとちゃんと市役所に自ら出向いてきちんと学生特例免除の申請をしているのにそれを当の国会議員は未納と言うこのありさま。呆れてものが言えないです。
さぁ〜今度の参議院選挙はどうなるのでしょう。9日に何やら与党の策略で曽我ひとみさんの家族再会があるそうですが、それはそれ・これはこれで真実の目で皆さんが一票を入れていただければとそう思います。目先のことにだまされないでください。
と言ってもニッシーの出身の茨城選挙区は、小選挙区は微妙ですけどね・・・小選挙区は白票かな。(苦笑)
もちろん、曽我さんら家族にとって見れば吉報なことですし、私も含め日本国民も再開を願っていることは間違いありません。それはそれで、良いと一見見ると思うのです。しかし、どうでしょう。明らかに政治的手段だと思いませんか。9日に家族再会でその2日後には、参議院選。参議院選挙がもしもなかったら明らかに9日とはしなかったでしょう。この政治的手段が個人的に気に入りません。おそらく小泉さんの中では、家族再会の裏腹には明らかに参議院選挙をにらんでいると言わざるを得ません。それを平気な顔して記者会見では、家族再会について「よかったですね」と言えるとは・・・あぁ〜何と政治的なんでしょう。
以前の辻本清美元衆議院議員の一見のときもそうでした。これは以前も書いたことがありますが、鈴木宗雄議員(当時)の問題がなければ明らかに浮上しなかった問題でしょう。それをまるで「出る杭は打たれる」みたいに野党議員がぼこぼこと叩かれるこの始末。この頃から私は今の日本政治について不信感を抱くようになりました。
年金問題についてもそうです。特に、公明党に関しては民主党の当時代表の菅直人代表の年金未納問題についてあれほどがたがた言っていたのに、自分たちの年金未納になると仕方ないと容認できるような発言をしたり・・・もう〜今の国会はなんなんでしょう。小泉さんだって、「人生色々、会社もいろいろ」とじぶんにとってばつの悪いことになると、はぐらかそうとする。確かに小泉さんの年金問題に関しては、規則上は違反ではないかもしれません。しかし、結果として国民に誤解を与えるようなことをしたのは紛れもない事実であり、小泉さんはそのところを素直に謝罪をすればいいと私自身は思うのですが・・・それをせずに、ごたごたごたごた聞き苦しい言い訳をするし。もう〜なんなんでしょうか。
そう思うと、今度の選挙では民主党が伸びるのかな?と一見思われがちですが、民主党もどうなんでしょうね。現時点では、個人的に何とも言えません。ニッシー個人的には、やはり年金未納と言うのがちょっと許せないからです。ニッシーだって、4月になるとちゃんと市役所に自ら出向いてきちんと学生特例免除の申請をしているのにそれを当の国会議員は未納と言うこのありさま。呆れてものが言えないです。
さぁ〜今度の参議院選挙はどうなるのでしょう。9日に何やら与党の策略で曽我ひとみさんの家族再会があるそうですが、それはそれ・これはこれで真実の目で皆さんが一票を入れていただければとそう思います。目先のことにだまされないでください。
と言ってもニッシーの出身の茨城選挙区は、小選挙区は微妙ですけどね・・・小選挙区は白票かな。(苦笑)
あぁ〜まずいなぁ・・・
2004年6月10日7月に参議院選挙があります。ま、ニッシーは今のところ20歳になって得た選挙権は全て行使しています。今までは、誰に投票しよう!どこそこの政党に入れよう!と言う、ある程度の自分なりの意思表示がありました。
ところが今回は・・・どうしようかこうしようかちょっと悩んでおります。年金問題のごたごた、与党も与党で野党も野党。国民年金未納国会議員の続出。多いこと。多いこと。自分だって、きちんと国民年金学生特例制度(毎年申請が必要)をきちんと自分で水戸市役所に行って申請していると言うのに、国会議員がそれを出来ていないという。あきれて物も言えません。しかも、素直に謝罪している国会議員はまだましです。そこで、開き直ったかのように反論する議員たち。なんて、見苦しい。それじゃ〜文句を言われて駄々をこねる子供のようですよ。
長崎の女児児童による殺人事件に関しては、国会議員、しかも大臣による失言。あなた、本当に大臣なのですか。国の代表なのですか。と言いたい。それで、悪びれた様子もなし。言葉の重さが分かっていないんでしょうな。はてまた、イラク戦争では勝手に多国籍軍に参加するとか表明をするらしいし。もう〜なにがなんだかよくわからん。常識を疑って考えてみると色々とおかしなところが見えてくるわけで、それをあたかも正しいと伝えるマスコミもマスコミです。北朝鮮の拉致被害者の帰国に関してもジェンキンス氏に「帰国」と言う表現を使っていました。一体、どのような神経をしているのでしょうか。皆様のNHKとかあれはうそですよね。
そんなこんなで、今色々と「あぁ〜まずいなぁ・・・」と思っているわけです。7月に参議院選挙があるんだけど、どうしようかな〜。もう〜入れる人、入れる政党がありませんです。こうなったら、この際白票でも投じてこようかな。
選挙管理委員(以下委員)「ニッシーさん。」
(ニッシー、投票用紙をもらう)
(ニッシー、投票用紙を受け取り台へいく。少し書いたそぶりを見せるだけですぐ投票箱へ・・・)
(白票のまま投票。)
これだと、政党名と個人名の箱を間違えて入れたりして・・・(苦笑)後は、選挙管理委員会がきちんとミスをしないできちんと集計してくれることを祈るのみですな。
ちょっと、過激なことも書いたかもしれないけど今のニッシーに出来ることはこんなことしかないのですな。そう言えば、先日うちの大学でも学長選挙があったらしい。しかも、学長選挙なんだけど選挙の名目は『移行調査』でその後、なにやら学内の人事委員会(?)とやらが最終的に学長を決定するらしいし。それじゃ〜選挙の意味ないじゃんと個人的に思うのですが。ま、これくらいの規模の選挙があまり派閥とかなくてやりやすいかもね。(^^ゞ
茨城は国政選挙になればなるほど派閥結構あるからね。(愚痴)
ところが今回は・・・どうしようかこうしようかちょっと悩んでおります。年金問題のごたごた、与党も与党で野党も野党。国民年金未納国会議員の続出。多いこと。多いこと。自分だって、きちんと国民年金学生特例制度(毎年申請が必要)をきちんと自分で水戸市役所に行って申請していると言うのに、国会議員がそれを出来ていないという。あきれて物も言えません。しかも、素直に謝罪している国会議員はまだましです。そこで、開き直ったかのように反論する議員たち。なんて、見苦しい。それじゃ〜文句を言われて駄々をこねる子供のようですよ。
長崎の女児児童による殺人事件に関しては、国会議員、しかも大臣による失言。あなた、本当に大臣なのですか。国の代表なのですか。と言いたい。それで、悪びれた様子もなし。言葉の重さが分かっていないんでしょうな。はてまた、イラク戦争では勝手に多国籍軍に参加するとか表明をするらしいし。もう〜なにがなんだかよくわからん。常識を疑って考えてみると色々とおかしなところが見えてくるわけで、それをあたかも正しいと伝えるマスコミもマスコミです。北朝鮮の拉致被害者の帰国に関してもジェンキンス氏に「帰国」と言う表現を使っていました。一体、どのような神経をしているのでしょうか。皆様のNHKとかあれはうそですよね。
そんなこんなで、今色々と「あぁ〜まずいなぁ・・・」と思っているわけです。7月に参議院選挙があるんだけど、どうしようかな〜。もう〜入れる人、入れる政党がありませんです。こうなったら、この際白票でも投じてこようかな。
選挙管理委員(以下委員)「ニッシーさん。」
(ニッシー、投票用紙をもらう)
(ニッシー、投票用紙を受け取り台へいく。少し書いたそぶりを見せるだけですぐ投票箱へ・・・)
(白票のまま投票。)
これだと、政党名と個人名の箱を間違えて入れたりして・・・(苦笑)後は、選挙管理委員会がきちんとミスをしないできちんと集計してくれることを祈るのみですな。
ちょっと、過激なことも書いたかもしれないけど今のニッシーに出来ることはこんなことしかないのですな。そう言えば、先日うちの大学でも学長選挙があったらしい。しかも、学長選挙なんだけど選挙の名目は『移行調査』でその後、なにやら学内の人事委員会(?)とやらが最終的に学長を決定するらしいし。それじゃ〜選挙の意味ないじゃんと個人的に思うのですが。ま、これくらいの規模の選挙があまり派閥とかなくてやりやすいかもね。(^^ゞ
茨城は国政選挙になればなるほど派閥結構あるからね。(愚痴)
携帯電話
2004年5月28日自らの不注意ながら、ニッシーの携帯電話をトイレの中に落としてしまいました。実はこのような経験は今回で2回目。1回目に落としたときは、幸いにも何とかメモリは消えずに何とか使えましたが、今回は乾かしてもだめでした。(泣)
仕方なく水戸市内の携帯電話ショップに行きました。店員さんに話してみたが、やはりもうだめとのこと。仕方なく、機種変更の手続きを取りました。携帯電話を機種変更することはさほど影響はなかったのですが、個人的には中に入っているメモリが全て消えてしまったのが非常に悔やまれます。審判の人たちとは結構携帯電話でやり取りをしていることが多く、携帯メールも結構個人的に思い入れのあるメールは保存していたため、それもが全て消えてしまいショックでたまりません。しかし、自分でやってしまったミスだけになんともいえません。また、1から登録しなおしますがバックアップを全然取っていないため、かなり電話帳の件数は減ると思われます。また、1人1人聞きだして1から登録しなおそうと思っています。
さて、先日両親がついに携帯電話を購入しました。自分が高校生のときはニッシーが「携帯電話をほしい」と言っても、頑として「だめだ!」の一点張り。両親自らも「携帯電話なんて、必要ない。」と言っていた、両親が携帯電話購入。今では、すっかりその魅力にはまっているみたいで、特に母に関しては「最近、メールが来ない。」と嘆いている毎日だそうです。ニッシーも今回携帯電話を落として、画像が表示されなくなってから心の中でどこか不安に感じるところがありました。最近は、メールも電話もさほどかかってこないので、実質携帯電話がなくても構わないのですが、こうやって自分の手元からなくなってしまうと、心がどこか不安になるものです。
そういえば、ベトナムでも携帯電話を持っている人が増えましたね。今回、ベトナム人とニッシーが個人的に合う場合、全て携帯電話を使ってホテルから電話をかけました。去年は「携帯電話を持っている人が出てきたな」のような感覚だったのですが、今年は「皆持つようになってきているんだ」と1年ですさまじい変化を遂げていました。
日本を問わず現在世界各地で携帯電話が普及しております。やはり、どこの国でも1度その便利さを知ってしまうとそれが離れがたくなるそうです。事実、ニッシーも携帯電話で頻繁に連絡を取り合っているので、そういう意味では携帯電話はとても便利です。
しかしながら、その普及が人間関係をどのように変えていってしまったのか。それを知る術はありませんが、便利さがゆえに少しずつ人間関係は変わっていくのだろうなと感じています。
ニッシーは、最近携帯電話のメールはさほどやりません。単に打つのが面倒くさいからと言う理由もありますが、メールで打ち合う関係と言うのを少し嫌っていると言うのが少なからずともあると思います。ごくごく簡単な内容の事柄は携帯メールを使いますが、少しでも話が長くなってくると電話をかけてしまいます。
ベトナムでの携帯電話普及はすさまじいです。確かに便利ですが、今の日本のようにその普及が今後のベトナムの雰囲気そして、人間関係を変えてしまうのではないか。多少危惧しているところです。後、何年ニッシーの知っている『ベトナム』というのが見られるのか?また、行くと思うので行く度にそれを見てこようと思っています。
機種変更の手続きをし、新しい携帯電話は明日手元に来るそうです。ニッシーは、電話とメールが出来ればいいので最新の機能がいっぱいでぐじゃぐじゃしているものではなくて、シンプルで一番安いものを選びました。それでも今の携帯はカメラが付いてしまうそうです。個人的にカメラは使うことはないと思うので、いらないののですがこれも時代の流れなんでしょうね。これで機種変更をしてカメラを一度使ってみたら、その便利さにはまっていってしまうのかな〜?それを業者は狙っているのかな?何とも言えません。
携帯電話を持つ生活がすぐに始まるが、個人的にいろいろな意味で上手に携帯電話を使っていきたい。そんなことを思いつつ後約12時間、携帯電話のない生活をおくりたいと思います。(笑)
そんなことを携帯電話の機種変更の契約をしながら考えつつ、アパートに戻る途中、水戸市の某ファーストフード店に入りました。ハンバーガーを食べたのですが、ニッシーの対応してくれた店員は、それなりにはきちんと対応してくれたのですがどことなくマニュアル通りで冷たい表情。これが今の日本だなと感じられずにはいられませんでした。これからますますそうなっていくんでしょうな。
携帯電話の普及とともに、どこかしらに人と人との関係に少しずつ変化が現れている。そんな風に感じられずにはいられませんでした。
仕方なく水戸市内の携帯電話ショップに行きました。店員さんに話してみたが、やはりもうだめとのこと。仕方なく、機種変更の手続きを取りました。携帯電話を機種変更することはさほど影響はなかったのですが、個人的には中に入っているメモリが全て消えてしまったのが非常に悔やまれます。審判の人たちとは結構携帯電話でやり取りをしていることが多く、携帯メールも結構個人的に思い入れのあるメールは保存していたため、それもが全て消えてしまいショックでたまりません。しかし、自分でやってしまったミスだけになんともいえません。また、1から登録しなおしますがバックアップを全然取っていないため、かなり電話帳の件数は減ると思われます。また、1人1人聞きだして1から登録しなおそうと思っています。
さて、先日両親がついに携帯電話を購入しました。自分が高校生のときはニッシーが「携帯電話をほしい」と言っても、頑として「だめだ!」の一点張り。両親自らも「携帯電話なんて、必要ない。」と言っていた、両親が携帯電話購入。今では、すっかりその魅力にはまっているみたいで、特に母に関しては「最近、メールが来ない。」と嘆いている毎日だそうです。ニッシーも今回携帯電話を落として、画像が表示されなくなってから心の中でどこか不安に感じるところがありました。最近は、メールも電話もさほどかかってこないので、実質携帯電話がなくても構わないのですが、こうやって自分の手元からなくなってしまうと、心がどこか不安になるものです。
そういえば、ベトナムでも携帯電話を持っている人が増えましたね。今回、ベトナム人とニッシーが個人的に合う場合、全て携帯電話を使ってホテルから電話をかけました。去年は「携帯電話を持っている人が出てきたな」のような感覚だったのですが、今年は「皆持つようになってきているんだ」と1年ですさまじい変化を遂げていました。
日本を問わず現在世界各地で携帯電話が普及しております。やはり、どこの国でも1度その便利さを知ってしまうとそれが離れがたくなるそうです。事実、ニッシーも携帯電話で頻繁に連絡を取り合っているので、そういう意味では携帯電話はとても便利です。
しかしながら、その普及が人間関係をどのように変えていってしまったのか。それを知る術はありませんが、便利さがゆえに少しずつ人間関係は変わっていくのだろうなと感じています。
ニッシーは、最近携帯電話のメールはさほどやりません。単に打つのが面倒くさいからと言う理由もありますが、メールで打ち合う関係と言うのを少し嫌っていると言うのが少なからずともあると思います。ごくごく簡単な内容の事柄は携帯メールを使いますが、少しでも話が長くなってくると電話をかけてしまいます。
ベトナムでの携帯電話普及はすさまじいです。確かに便利ですが、今の日本のようにその普及が今後のベトナムの雰囲気そして、人間関係を変えてしまうのではないか。多少危惧しているところです。後、何年ニッシーの知っている『ベトナム』というのが見られるのか?また、行くと思うので行く度にそれを見てこようと思っています。
機種変更の手続きをし、新しい携帯電話は明日手元に来るそうです。ニッシーは、電話とメールが出来ればいいので最新の機能がいっぱいでぐじゃぐじゃしているものではなくて、シンプルで一番安いものを選びました。それでも今の携帯はカメラが付いてしまうそうです。個人的にカメラは使うことはないと思うので、いらないののですがこれも時代の流れなんでしょうね。これで機種変更をしてカメラを一度使ってみたら、その便利さにはまっていってしまうのかな〜?それを業者は狙っているのかな?何とも言えません。
携帯電話を持つ生活がすぐに始まるが、個人的にいろいろな意味で上手に携帯電話を使っていきたい。そんなことを思いつつ後約12時間、携帯電話のない生活をおくりたいと思います。(笑)
そんなことを携帯電話の機種変更の契約をしながら考えつつ、アパートに戻る途中、水戸市の某ファーストフード店に入りました。ハンバーガーを食べたのですが、ニッシーの対応してくれた店員は、それなりにはきちんと対応してくれたのですがどことなくマニュアル通りで冷たい表情。これが今の日本だなと感じられずにはいられませんでした。これからますますそうなっていくんでしょうな。
携帯電話の普及とともに、どこかしらに人と人との関係に少しずつ変化が現れている。そんな風に感じられずにはいられませんでした。
打ちあがった夜
2004年5月21日5月14日、水戸市某所で打ち上げがありました。今年の春、ベトナムに行ったメンバー、そして旅の発起人である先生、大学に来ているベトナム人留学生と言うそうそうたるメンバーが集まり総勢15名。今年の春ベトナムに行った人たちのメンバーでの打ち上げです。
思いっきり、飲んで騒いで楽しい夜にしたかったのですがあいにくニッシーは幹事だったため(泣)1次会は烏龍茶で我慢です。打ち上げそのものは盛り上がり本当に楽しい夜になりました。そして、それと同時に「また、ベトナムに行きたい!」そのように心から思いました。
今回のベトナムの旅、ニッシーは昨年に引き続きベトナムへ行くのは2回目でしたが去年にはない様々な感動がまたそこにはありました。まずなんといっても、ベトナムの魅力は『人』です。今回、私はホーチミンとハノイ及びその近辺に行きましたが、去年会った人が私のことを覚えてくれていて話しかけてくれたり、カフェで一服していると見知らぬベトナム人が話しかけてきたりそれはそれは楽しかったです。
そして、『風景』と言うのもあります。ベトナムの風景はなんというか日本的感覚で言うと「懐かしい」雰囲気があります。ハノイにあるノイバイ国際空港からベトナム市中心部まで車で大体30分〜1時間ほどかかるのですが市内中心部まで行く途中の道はまさに田園風景。日本にもそのような風景がありますが、今はそんなに目にすることもなくなりつつあります。そんな意味で懐かしいとも感じたし、ちょっと郊外の町に出てみるとまた、「懐かしい」と思えるような風景に出会えてそこでちょっと旅を楽しむのもいいかもしれないと滞在中に思いました。次回、行くときはもっと郊外に出てみようとも思っています。
今回、ベトナムに行ったメンバーともたくさん話をしましたがやはり、皆声をそろえてまた、行きたい!と言っている人ばかりでした。大学と交流協定を結んでいるハノイ国家大学の学生と一緒に遊んだのですが、そこで刺激を受けた人が多かったらしく(私も含めて)留学生のお世話をするチューターになった人が多く、先日チューターの懇親会が会ったのですが今回ベトナムに行ったメンバーにたくさん会い、少々びっくりしました。
このように、ベトナムに行くと色々と思うことはあるのですが、ベトナムに行って日本に帰ってくると・・・なんなんだなぁ〜と自分で思うことがあります。実際、ベトナムに行っている間はたくさんの刺激を受けて、それを持って日本に帰ってくるわけです。しかし、実際日本に帰ってくると日本には日本のしきたりやルールみたいなものがあり、声に出さずとも雰囲気でそのようになってしまっている。そういう気がします。そんなことを考えると実際にはそんなに変わっていないかも・・・と思うことはしばしばです。
日本の文化・様式を守るということはもちろん大切です。しかし、「守ろう、守ろう」と言う体質では何も変わらないと思います。そうではなくて、もっといい方向に「変えよう、変えよう」とし、そこでまた新たなものを見つけていく。そういう風に日本もなっていかないのかな。とよく思います。そのようになるには、やはり本屋写真、マスコミから一方的に流れてくる情報だけではなくて自分の目で耳で自分なりに感じることが大切だと思います。
そういう意味でも今回の打ち上げは大いに盛り上がり、18:30頃からはじめたのですが気付いたら日付が変わっていました。これは、数名の人には書きましたがベトナムには日本人が忘れかけている何かがあるような気がします。
また、ベトナムと言うフィールドに行って何かを感じてこようと思っています。そのためには貯金をしなければ・・・(^^ゞ来年の春にはまたベトナムに行く予定です。そして、来年は1ヶ月程休みを取ってタイ→ベトナムと言う風なコースにもチャレンジしてみようと思います。
思いっきり、飲んで騒いで楽しい夜にしたかったのですがあいにくニッシーは幹事だったため(泣)1次会は烏龍茶で我慢です。打ち上げそのものは盛り上がり本当に楽しい夜になりました。そして、それと同時に「また、ベトナムに行きたい!」そのように心から思いました。
今回のベトナムの旅、ニッシーは昨年に引き続きベトナムへ行くのは2回目でしたが去年にはない様々な感動がまたそこにはありました。まずなんといっても、ベトナムの魅力は『人』です。今回、私はホーチミンとハノイ及びその近辺に行きましたが、去年会った人が私のことを覚えてくれていて話しかけてくれたり、カフェで一服していると見知らぬベトナム人が話しかけてきたりそれはそれは楽しかったです。
そして、『風景』と言うのもあります。ベトナムの風景はなんというか日本的感覚で言うと「懐かしい」雰囲気があります。ハノイにあるノイバイ国際空港からベトナム市中心部まで車で大体30分〜1時間ほどかかるのですが市内中心部まで行く途中の道はまさに田園風景。日本にもそのような風景がありますが、今はそんなに目にすることもなくなりつつあります。そんな意味で懐かしいとも感じたし、ちょっと郊外の町に出てみるとまた、「懐かしい」と思えるような風景に出会えてそこでちょっと旅を楽しむのもいいかもしれないと滞在中に思いました。次回、行くときはもっと郊外に出てみようとも思っています。
今回、ベトナムに行ったメンバーともたくさん話をしましたがやはり、皆声をそろえてまた、行きたい!と言っている人ばかりでした。大学と交流協定を結んでいるハノイ国家大学の学生と一緒に遊んだのですが、そこで刺激を受けた人が多かったらしく(私も含めて)留学生のお世話をするチューターになった人が多く、先日チューターの懇親会が会ったのですが今回ベトナムに行ったメンバーにたくさん会い、少々びっくりしました。
このように、ベトナムに行くと色々と思うことはあるのですが、ベトナムに行って日本に帰ってくると・・・なんなんだなぁ〜と自分で思うことがあります。実際、ベトナムに行っている間はたくさんの刺激を受けて、それを持って日本に帰ってくるわけです。しかし、実際日本に帰ってくると日本には日本のしきたりやルールみたいなものがあり、声に出さずとも雰囲気でそのようになってしまっている。そういう気がします。そんなことを考えると実際にはそんなに変わっていないかも・・・と思うことはしばしばです。
日本の文化・様式を守るということはもちろん大切です。しかし、「守ろう、守ろう」と言う体質では何も変わらないと思います。そうではなくて、もっといい方向に「変えよう、変えよう」とし、そこでまた新たなものを見つけていく。そういう風に日本もなっていかないのかな。とよく思います。そのようになるには、やはり本屋写真、マスコミから一方的に流れてくる情報だけではなくて自分の目で耳で自分なりに感じることが大切だと思います。
そういう意味でも今回の打ち上げは大いに盛り上がり、18:30頃からはじめたのですが気付いたら日付が変わっていました。これは、数名の人には書きましたがベトナムには日本人が忘れかけている何かがあるような気がします。
また、ベトナムと言うフィールドに行って何かを感じてこようと思っています。そのためには貯金をしなければ・・・(^^ゞ来年の春にはまたベトナムに行く予定です。そして、来年は1ヶ月程休みを取ってタイ→ベトナムと言う風なコースにもチャレンジしてみようと思います。
ベトナム料理店にて
2004年5月11日先週の日曜日、東京都下北沢のベトナム料理店に行った。以前、下北沢に行ったときに友人に教えてもらった店だ。その日は、東京に行く用事があったのでついでということで寄ってみることにした。
ランチの時間帯だったらしくニッシーはコム・ガーを注文。味はまぁ〜まぁ〜でした。しかし、何かベトナムとは違うな〜と思ってしまいました。まずお店に入ると掃除された清潔な店内、冷房有り、メニュー有り、店員を丁寧にメニューを聞き機械で注文を確認。味はまぁ〜まぁ〜でしたが、使われているお米は日本米。唯一ベトナムの味だ!と思ったのは、サラダの味付けと紅茶の味くらいでした。
ま、日本の店としたらごくごく当たり前の店の形態なのでしょう。しかし、それがニッシーには逆に違和感を覚えてしまいました。ベトナムのお店は、冷房もなければ店員は呼ばなければ来ません。お会計も自分から店員を呼んで「ティンティエン(おあいそ)」と言って、お会計をしてその席でお金を払って去っていくと言うのが一般的です。日本にいるのだから日本の慣習で。それはもちろんそうなのですが、店内にいて全てベトナムの雰囲気を味わえなかったと言うのは少し物足りない気がしました。
しかし、これは言い方をかえれば例えば、ニッシーがベトナムで日本料理店に行ってそこでベトナム風の接客をやられたとしたら・・・例え、そこがベトナムと言うフィールドであっても多分違和感を覚えると思います。なんだかんだいって、ニッシーは日本人なんだなと。
日本とベトナム。2つの国を比較すると色々と見えてくるものが多い。そんなことをちょっと感じられた日本にあるベトナム料理店の感想でした。また、おいしいベトナム料理店を見つけたら行ってみたいと思っています。そしたら、今度はどんな感じになるのでしょう。行ったら、またレポートいたします。
ランチの時間帯だったらしくニッシーはコム・ガーを注文。味はまぁ〜まぁ〜でした。しかし、何かベトナムとは違うな〜と思ってしまいました。まずお店に入ると掃除された清潔な店内、冷房有り、メニュー有り、店員を丁寧にメニューを聞き機械で注文を確認。味はまぁ〜まぁ〜でしたが、使われているお米は日本米。唯一ベトナムの味だ!と思ったのは、サラダの味付けと紅茶の味くらいでした。
ま、日本の店としたらごくごく当たり前の店の形態なのでしょう。しかし、それがニッシーには逆に違和感を覚えてしまいました。ベトナムのお店は、冷房もなければ店員は呼ばなければ来ません。お会計も自分から店員を呼んで「ティンティエン(おあいそ)」と言って、お会計をしてその席でお金を払って去っていくと言うのが一般的です。日本にいるのだから日本の慣習で。それはもちろんそうなのですが、店内にいて全てベトナムの雰囲気を味わえなかったと言うのは少し物足りない気がしました。
しかし、これは言い方をかえれば例えば、ニッシーがベトナムで日本料理店に行ってそこでベトナム風の接客をやられたとしたら・・・例え、そこがベトナムと言うフィールドであっても多分違和感を覚えると思います。なんだかんだいって、ニッシーは日本人なんだなと。
日本とベトナム。2つの国を比較すると色々と見えてくるものが多い。そんなことをちょっと感じられた日本にあるベトナム料理店の感想でした。また、おいしいベトナム料理店を見つけたら行ってみたいと思っています。そしたら、今度はどんな感じになるのでしょう。行ったら、またレポートいたします。
お給料
2004年4月21日働いている人にとっては結構シビアになる話題である。最近ニッシー給料の価値について考えることが多い。
ニッシーは現在すし屋のバイトをやっている。時給900円。水戸では900円は結構高い部類に入り悪くはない時給である。ただその分大変なときは仕事は大変であるが、なんせ時給900円だから踏みとどまっている。(苦笑)しかし、最初からニッシーは時給900円ではなかった。このバイトを始めてもう今年で3年目になるが、最初の2年間は時給800円でやっていた。一応、3年目と言うことで900円に格上げしたのだろう。給料的にはそんなに悪くない。しかしながら、時給はいいがこのバイトは結構大変で精神的に参ることはしょっちゅうで、最近は無力で働いていることも多い。はじめから気合を入れていると参ってしまうからだ。やる気と時給がニッシーの中では比例していないときがよくある。本当は機会があれば、別のアルバイトに転職したいというのもなきにしろあらずなのだが、何せ時給900円は結構大きく、おかしいなと思いつつも未だに続けている。
ニッシーの行きつけの居酒屋がある。たまに1人で行ったり、グループで行ったりするのだがニッシーが水戸で外に飲みに行くときは、いつもここと決めているところだ。そこの店員(アルバイト)はニッシーと同じ大学の大学生。仕事内容はすしやとさほど変わらない。個人的には結構ハードだと思っている。しかし、時給は750円なのだ。いつも思うのだが、居酒屋の店員で結構忙しくて絡む客もいるだろうし、750円はすごく安いと思う。しかも、昇給はなし。何年やろうが750円なのだ。このことについて先日、飲みに行ったついでにママに聞く機会があったのでちょっと聞いてみた。
「時給750円なのに、皆よくやりますよね〜。私すごいと思いますよ。正直、ここの仕事は大変だと思いますよ。」
するとママはこう答えた。
「まぁ〜そうかもしれないけどね。でも、ここはまかないもあるしきちんと世話しているし、安いかもしれないけどやる気って言うのは皆一緒だからね。」と返された。
確かに、働いている人にとってそのやる気というのは皆一緒である。ことが望ましい。望ましいと書いたのは、中にはニッシーのように(?)いろいろな理由で踏みとどまっている人もいるからだ。やる気が一緒と答えられるところにこの居酒屋のパワーを感じる。そうだね、やる気というのを考えると一概に給料で差をつけるというのも一歩踏みとどまる。確かに、要領のいい人もいれば悪い人もいる。しかし、このお店で働くやる気は皆一緒。一理ある考え方だ。そして、最後にママはこう締めくくった。
「うちは、面接のときに750円なんですけどいいですか〜?と必ず聞いているんだよ。でも、皆いいです!っていうんだよね。今まで何人もバイトを雇ってきたけど途中でやめたって言う人はほとんどいなかったよ。」と。どうやら、ここでアルバイトしている人にとっては、お金よりもやりがいにウエイトを置いているらしい。そして、そのやりがいさらに言ってしまえば生きがいまでもが感じられるお店なのだろう。一人、ジョッキを片手にそんなことを思いながら、ニッシーはビールを飲んでいた。
給料はいいけど嫌な仕事、給料は低いけど生きがい、やりがいが感じられる仕事。
どっちがいいんでしょう。出来れば後者のほうがいいなと自分は思う。しかし、実際に就職活動をしたりアルバイトをしたりすると、どうしても時給欄とか休日欄とかに目がいってしまうのが現状。なかなか、後者の仕事に行き着くのは難しいですな。お金もほしいしですしね・・・
個人的には、給料というのはある意味やる気にもつながるのである程度まで行ったら、UPするというのが私はいいと思います。でも、だからといって給料ばっかりに目が行くとだめですけどね。給料とやりがいとうまくバランスを取るにはどうしたらいいのか。最近そんなことを少し考えています。
給料、働いている中で一番シビアになるところ。でも、この居酒屋で働いている人にとってはそんなものはないのかもしれない。それ以上のものがあるのだから。
ニッシーは現在すし屋のバイトをやっている。時給900円。水戸では900円は結構高い部類に入り悪くはない時給である。ただその分大変なときは仕事は大変であるが、なんせ時給900円だから踏みとどまっている。(苦笑)しかし、最初からニッシーは時給900円ではなかった。このバイトを始めてもう今年で3年目になるが、最初の2年間は時給800円でやっていた。一応、3年目と言うことで900円に格上げしたのだろう。給料的にはそんなに悪くない。しかしながら、時給はいいがこのバイトは結構大変で精神的に参ることはしょっちゅうで、最近は無力で働いていることも多い。はじめから気合を入れていると参ってしまうからだ。やる気と時給がニッシーの中では比例していないときがよくある。本当は機会があれば、別のアルバイトに転職したいというのもなきにしろあらずなのだが、何せ時給900円は結構大きく、おかしいなと思いつつも未だに続けている。
ニッシーの行きつけの居酒屋がある。たまに1人で行ったり、グループで行ったりするのだがニッシーが水戸で外に飲みに行くときは、いつもここと決めているところだ。そこの店員(アルバイト)はニッシーと同じ大学の大学生。仕事内容はすしやとさほど変わらない。個人的には結構ハードだと思っている。しかし、時給は750円なのだ。いつも思うのだが、居酒屋の店員で結構忙しくて絡む客もいるだろうし、750円はすごく安いと思う。しかも、昇給はなし。何年やろうが750円なのだ。このことについて先日、飲みに行ったついでにママに聞く機会があったのでちょっと聞いてみた。
「時給750円なのに、皆よくやりますよね〜。私すごいと思いますよ。正直、ここの仕事は大変だと思いますよ。」
するとママはこう答えた。
「まぁ〜そうかもしれないけどね。でも、ここはまかないもあるしきちんと世話しているし、安いかもしれないけどやる気って言うのは皆一緒だからね。」と返された。
確かに、働いている人にとってそのやる気というのは皆一緒である。ことが望ましい。望ましいと書いたのは、中にはニッシーのように(?)いろいろな理由で踏みとどまっている人もいるからだ。やる気が一緒と答えられるところにこの居酒屋のパワーを感じる。そうだね、やる気というのを考えると一概に給料で差をつけるというのも一歩踏みとどまる。確かに、要領のいい人もいれば悪い人もいる。しかし、このお店で働くやる気は皆一緒。一理ある考え方だ。そして、最後にママはこう締めくくった。
「うちは、面接のときに750円なんですけどいいですか〜?と必ず聞いているんだよ。でも、皆いいです!っていうんだよね。今まで何人もバイトを雇ってきたけど途中でやめたって言う人はほとんどいなかったよ。」と。どうやら、ここでアルバイトしている人にとっては、お金よりもやりがいにウエイトを置いているらしい。そして、そのやりがいさらに言ってしまえば生きがいまでもが感じられるお店なのだろう。一人、ジョッキを片手にそんなことを思いながら、ニッシーはビールを飲んでいた。
給料はいいけど嫌な仕事、給料は低いけど生きがい、やりがいが感じられる仕事。
どっちがいいんでしょう。出来れば後者のほうがいいなと自分は思う。しかし、実際に就職活動をしたりアルバイトをしたりすると、どうしても時給欄とか休日欄とかに目がいってしまうのが現状。なかなか、後者の仕事に行き着くのは難しいですな。お金もほしいしですしね・・・
個人的には、給料というのはある意味やる気にもつながるのである程度まで行ったら、UPするというのが私はいいと思います。でも、だからといって給料ばっかりに目が行くとだめですけどね。給料とやりがいとうまくバランスを取るにはどうしたらいいのか。最近そんなことを少し考えています。
給料、働いている中で一番シビアになるところ。でも、この居酒屋で働いている人にとってはそんなものはないのかもしれない。それ以上のものがあるのだから。
新年度が始まって
2004年4月17日新年度が始まった。4月9日、茨城県立武道館にて入学式。どうせ、大学・大学院とも同じ大学なので出なくてもよかったのだが、ま、せっかくなので出ることにした。いよいよ大学院生活の始まりである。
新年度が始まって1週間がたった。大学院生ということで研究室ももらえて、なんとなく研究者っぽくなっている。ただそれだけにやっていることも大変である。月曜日から木曜日(金曜日は休養日にしました(^_^;))までみっちりと何かしら予定が入っている。
月曜日は、2時間目に学部4年生のゼミがある。今年の4年生は結構強敵なので、じぶんもしっかりしなければ!と言うことで、4年生のゼミにも参加。先週は都合で参加できなかったのだが、今週から参加していい刺激を受けようと思っている。その後、3時間目は授業である。大学内でも厳しいとされている先生の授業。さぁ〜てどうなることやら・・・
火曜日は授業自体はないのだが、先生のお手伝いで大忙し。2時間目は学部1年生の演習の授業でTA(ティーチングアシスタント)をやる。先生が問題を出すので1年生からの質問に答えるものだ。内容は1年の内容なのだが、結構忘れていることが多くそういう意味ではいい復習になっている。(苦笑)本当はこんなのではいけないのだが。3時間目は学部3年生の授業。これも指導教官が講義をするのでニッシーはお手伝い+自分のためと思い参加している。3年生になると結構専門的な内容に入ってくるので、自分が知っていることでも結構興味津々で聴くことが出来る。今、思えば自分は学部3年のときは特にこれといって授業をしみじみ聞いていなかったな〜。今となって思うと・・・ま、人間そうやって大きくなっていくんだなと感じています。(^_^;)
水曜日は、1,2時間目と授業。1時間目はま、自分の専門分野に一番近い内容の授業。そりゃ、そうだろ。指導教員が教えるんだから。(笑)授業そのものは面白いのでしっかりと勉強しようと思います。2時間目は、論文を読み進めると言う授業。当然だけど、全部英語・・・・英語恐い、英語恐い。(-_-;)でも、ま、学部4年のときは英語の教科書を一応読んでいたので少しは分かるかな。ま、結構予習が大変そうだけど頑張ります。
木曜日は1時間目に授業。結構面白そうなんだけどどうなんでしょう。ま、興味のある内容なので頑張ります!そして、4時間目からここですよ。ゼミ!ゼミ!私たちのゼミです。先週早速ニッシーが一発目で発表しちゃいました。^^結構、うまくまとまったかな、でも、まだ内容がそんなに難しくなかったので来週の発表をどうしようと今から検討中です。
金曜日は授業を入れようと思えば入れられたんだけど結局なしにしました。(全休)ちょっとこの日は休養+自習の時間にしようかなと。結構大変そうだしね。
こうやってずらずらと書いていると結構自分も色々とやっているんだな〜とわれながら思います。授業に出なきゃならないというのが大変です。本当は自分の好きな研究だけやっているのが一番いいんだろうけど、その他にも無収入だからアルバイトをしなければならないし。アルバイトはおすしやのバイトに加えて、4月から新しく塾講師のアルバイトを始めました。週1回ですけど、中学生と触れ合うのは案外楽しいもの。学部時代は自分のふがいない教え方にへこんだので、今回はその経験を生かして素晴らしい先生を目指します!
他にも野球の審判では、今年から大学野球の審判をやったりしていますので、これから11月ごろまでは毎週末または日曜祝日に審判が入るような日程になりそう(?)です。お金を色々とためないといけないですね。ふぅ〜ベトナム旅行のお金もためないと。あぁ〜お金がない。
大学院生から変わったこととしては、自炊を始めたことかな。ちょっと金銭感覚を身につけようと思いまして。もう27日で23歳になることだしね。久しぶりにニッシーの家のガスメーターが上昇気流に乗っています。
あぁ〜23歳か。先月大学新聞を読んでいたらある人の書いた編集後記にこう書いてあった。「後、自分が3人いればいいと思う。」確かにそうかも。ま、これから20代前半〜中盤に入っていきますし、充実した日々を送っていこうと思います。
新年度が始まって1週間がたった。大学院生ということで研究室ももらえて、なんとなく研究者っぽくなっている。ただそれだけにやっていることも大変である。月曜日から木曜日(金曜日は休養日にしました(^_^;))までみっちりと何かしら予定が入っている。
月曜日は、2時間目に学部4年生のゼミがある。今年の4年生は結構強敵なので、じぶんもしっかりしなければ!と言うことで、4年生のゼミにも参加。先週は都合で参加できなかったのだが、今週から参加していい刺激を受けようと思っている。その後、3時間目は授業である。大学内でも厳しいとされている先生の授業。さぁ〜てどうなることやら・・・
火曜日は授業自体はないのだが、先生のお手伝いで大忙し。2時間目は学部1年生の演習の授業でTA(ティーチングアシスタント)をやる。先生が問題を出すので1年生からの質問に答えるものだ。内容は1年の内容なのだが、結構忘れていることが多くそういう意味ではいい復習になっている。(苦笑)本当はこんなのではいけないのだが。3時間目は学部3年生の授業。これも指導教官が講義をするのでニッシーはお手伝い+自分のためと思い参加している。3年生になると結構専門的な内容に入ってくるので、自分が知っていることでも結構興味津々で聴くことが出来る。今、思えば自分は学部3年のときは特にこれといって授業をしみじみ聞いていなかったな〜。今となって思うと・・・ま、人間そうやって大きくなっていくんだなと感じています。(^_^;)
水曜日は、1,2時間目と授業。1時間目はま、自分の専門分野に一番近い内容の授業。そりゃ、そうだろ。指導教員が教えるんだから。(笑)授業そのものは面白いのでしっかりと勉強しようと思います。2時間目は、論文を読み進めると言う授業。当然だけど、全部英語・・・・英語恐い、英語恐い。(-_-;)でも、ま、学部4年のときは英語の教科書を一応読んでいたので少しは分かるかな。ま、結構予習が大変そうだけど頑張ります。
木曜日は1時間目に授業。結構面白そうなんだけどどうなんでしょう。ま、興味のある内容なので頑張ります!そして、4時間目からここですよ。ゼミ!ゼミ!私たちのゼミです。先週早速ニッシーが一発目で発表しちゃいました。^^結構、うまくまとまったかな、でも、まだ内容がそんなに難しくなかったので来週の発表をどうしようと今から検討中です。
金曜日は授業を入れようと思えば入れられたんだけど結局なしにしました。(全休)ちょっとこの日は休養+自習の時間にしようかなと。結構大変そうだしね。
こうやってずらずらと書いていると結構自分も色々とやっているんだな〜とわれながら思います。授業に出なきゃならないというのが大変です。本当は自分の好きな研究だけやっているのが一番いいんだろうけど、その他にも無収入だからアルバイトをしなければならないし。アルバイトはおすしやのバイトに加えて、4月から新しく塾講師のアルバイトを始めました。週1回ですけど、中学生と触れ合うのは案外楽しいもの。学部時代は自分のふがいない教え方にへこんだので、今回はその経験を生かして素晴らしい先生を目指します!
他にも野球の審判では、今年から大学野球の審判をやったりしていますので、これから11月ごろまでは毎週末または日曜祝日に審判が入るような日程になりそう(?)です。お金を色々とためないといけないですね。ふぅ〜ベトナム旅行のお金もためないと。あぁ〜お金がない。
大学院生から変わったこととしては、自炊を始めたことかな。ちょっと金銭感覚を身につけようと思いまして。もう27日で23歳になることだしね。久しぶりにニッシーの家のガスメーターが上昇気流に乗っています。
あぁ〜23歳か。先月大学新聞を読んでいたらある人の書いた編集後記にこう書いてあった。「後、自分が3人いればいいと思う。」確かにそうかも。ま、これから20代前半〜中盤に入っていきますし、充実した日々を送っていこうと思います。
ベトナム人と日本人
2004年3月26日ベトナムから日本に帰国して1週間がたちました。まだ、あのベトナムでの感動が走馬灯のようにばしゃばしゃ頭に浮かびます。今回は、ベトナム最終日、「日本に戻りたくない」と正直かなり思いました。それは、もちろん旅行のときによく思う一面もありますが、あのときの気持ちはそれだけではなかったと思います。
ニッシーから見たベトナムの魅力。その一つに『人』があります。ベトナムを旅していたとき、ニッシーはたくさんの『人』に会ってきました。おまけに学生交流の旅もあったので、そこでまた色々な話もしたし、また去年会った人に話したり、今回の旅で仲良くなった人もいました。とにかくたくさんの人に会いましたが、ベトナム人と日本人、これらはある意味対照的だと思いました。
ベトナムである飲食店に入りました。店員はどちらかと言うと無愛想。メニューもありません。ニッシーが片言のベトナム語で「メニューを見せてください」と言うと店員はやっとメニューを持ってきます。(このような店ばかりではありませんが、ベトナムでは少なくとも客が店に入ってきても何も言いませんし、どちらかと言うと表情も変えず無愛想です。)取りあえず何か注文して食べていると観光客だと思ったのか、店員が色々と話しかけてきます。「何人だ」「職業は何だ」「何歳だ」と言った感じです。ここにだんだんと笑顔が出てきます。どちらかと言うと観光客向けの店に行くと英語を使ってくる人もいます。中には、これらを利用してぼったくるという悪質な人もいますが(バイクタクシーはまさにその可能性が高いです。)そのうちのほとんどはただ、話をしたい。と言う目的で色々とニッシーに向かって話をしてくるのです。時には、お客さんまで話しかけてくることもあります。
ホーチミン市に行ったとき、ニッシーはとある喫茶店に入りました。一人でジュースを飲んでいるとそこに別のお客のベトナム人女性3人組がニッシーのところにやってきて色々と話しかけてきました。職業を聞くと彼女らはまだ10代後半〜20代前半くらいで美容師をやっているとのこと。すごく笑顔だったのがとても印象的です。
もちろん全てがいい人ばかりとは限りません。これは旅日記にも書きましたがニッシーの友達のベトナム人女性チャウさんと一緒にご飯を食べていたときのことです。頼んでもいないのにゼリーが運ばれてきました。ニッシーは思わず「デザートつきなんだ!」と思い、チャウさんに聞いてみました。すると店員は「食べたら2000ドン」と言ってきました。チャウさんに聞かなかったら思いっきり食べているところでした。(笑)他にもこのような儲けものみたいなところがベトナムでは結構あり、ニッシーが一番困ったのはヴィンロンからホーチミンに戻るとき、途中のミトーと言うところでバスを降りて途中下車したのですが、そこでバイクタクシーの運転手に取り囲まれ、「俺のバイクに乗ってけ」と言われました。仕方なく乗ることにしましたが、後から考えると結構料金をぼったくられたような気がして、あまりいい気分ではありませんでした。
ベトナムでは定価という概念が定着していないため、物を買うとき外国人だと分かると少し高い値段で最初値段を言ってきます。ここで少し安くしてもらうように交渉するのですが(これが楽しいところでもあります)ま、高いと言っても日本人にとってはそこそこのもの、ちょっとでも高く売れれば儲け物だと思っているのでしょう。現に、高いから安くしてくれと言うと、素直に安くしてくれる人も多いです。それとベトナム人を見て思ったのが文句とか意見とか自分の考え、意見をちゃんと述べる人が多いです。
日本の場合はどうでしょう。お店に入ると取りあえず「いらっしゃいませ〜」の決まり文句から始まります。メニューも最初からあります。この点では、ベトナムとは違いある意味便利です。ただ、店員を見るとどうか。どこかしら機会的な感じがします。マニュアルの形だけでどちらかと言うと冷たい感じさえもすることがあります。
また、自分の意見をあまりはっきりと言えないところもあると思います。人間関係でも変な縄張り意識があるところもあり、そういう意味ではいろいろな意味で人間関係は大変です。
日本に帰国してすぐ、コピーを取りにコンビ二に向かいました。ニッシーのコピーする枚数はたったの1枚。コピー機には先約がいてその人は本を1冊まるまる80枚くらいコピーするつもりだったみたいです。ニッシーは1枚だけだから事情を話して、コピーを先にやらしてくれるように話しました。するとその人は「どこをコピーしているか分からなくなってしまうじゃね〜か。」「何でお前に譲らなければいけないんだ」といちゃもんをつけられてしまいました。結局何とか先にやらせてもらいましたが、個人的に気分が悪いひと時でした。
もちろんベトナムにも誤魔化さない人もいます。日本にも愛想のいい人や親切な人もいることでしょう。なので、これをもってベトナム人はこうだ、日本人はこうだとあまり言いたくないのですが、どっちが私が気分を害したかと言うと日本人のほうです。これは私も含まれると思いますがどちらかと言うと自分以外のことにはあまり関わろうとしないところや、縄張り意識が強いところ、自分勝手なところ、ようは日本人は世界的に見たらまだ子供なのではないのでしょうか。
もっと大人になっていかなくては。そう思いました。
ニッシーから見たベトナムの魅力。その一つに『人』があります。ベトナムを旅していたとき、ニッシーはたくさんの『人』に会ってきました。おまけに学生交流の旅もあったので、そこでまた色々な話もしたし、また去年会った人に話したり、今回の旅で仲良くなった人もいました。とにかくたくさんの人に会いましたが、ベトナム人と日本人、これらはある意味対照的だと思いました。
ベトナムである飲食店に入りました。店員はどちらかと言うと無愛想。メニューもありません。ニッシーが片言のベトナム語で「メニューを見せてください」と言うと店員はやっとメニューを持ってきます。(このような店ばかりではありませんが、ベトナムでは少なくとも客が店に入ってきても何も言いませんし、どちらかと言うと表情も変えず無愛想です。)取りあえず何か注文して食べていると観光客だと思ったのか、店員が色々と話しかけてきます。「何人だ」「職業は何だ」「何歳だ」と言った感じです。ここにだんだんと笑顔が出てきます。どちらかと言うと観光客向けの店に行くと英語を使ってくる人もいます。中には、これらを利用してぼったくるという悪質な人もいますが(バイクタクシーはまさにその可能性が高いです。)そのうちのほとんどはただ、話をしたい。と言う目的で色々とニッシーに向かって話をしてくるのです。時には、お客さんまで話しかけてくることもあります。
ホーチミン市に行ったとき、ニッシーはとある喫茶店に入りました。一人でジュースを飲んでいるとそこに別のお客のベトナム人女性3人組がニッシーのところにやってきて色々と話しかけてきました。職業を聞くと彼女らはまだ10代後半〜20代前半くらいで美容師をやっているとのこと。すごく笑顔だったのがとても印象的です。
もちろん全てがいい人ばかりとは限りません。これは旅日記にも書きましたがニッシーの友達のベトナム人女性チャウさんと一緒にご飯を食べていたときのことです。頼んでもいないのにゼリーが運ばれてきました。ニッシーは思わず「デザートつきなんだ!」と思い、チャウさんに聞いてみました。すると店員は「食べたら2000ドン」と言ってきました。チャウさんに聞かなかったら思いっきり食べているところでした。(笑)他にもこのような儲けものみたいなところがベトナムでは結構あり、ニッシーが一番困ったのはヴィンロンからホーチミンに戻るとき、途中のミトーと言うところでバスを降りて途中下車したのですが、そこでバイクタクシーの運転手に取り囲まれ、「俺のバイクに乗ってけ」と言われました。仕方なく乗ることにしましたが、後から考えると結構料金をぼったくられたような気がして、あまりいい気分ではありませんでした。
ベトナムでは定価という概念が定着していないため、物を買うとき外国人だと分かると少し高い値段で最初値段を言ってきます。ここで少し安くしてもらうように交渉するのですが(これが楽しいところでもあります)ま、高いと言っても日本人にとってはそこそこのもの、ちょっとでも高く売れれば儲け物だと思っているのでしょう。現に、高いから安くしてくれと言うと、素直に安くしてくれる人も多いです。それとベトナム人を見て思ったのが文句とか意見とか自分の考え、意見をちゃんと述べる人が多いです。
日本の場合はどうでしょう。お店に入ると取りあえず「いらっしゃいませ〜」の決まり文句から始まります。メニューも最初からあります。この点では、ベトナムとは違いある意味便利です。ただ、店員を見るとどうか。どこかしら機会的な感じがします。マニュアルの形だけでどちらかと言うと冷たい感じさえもすることがあります。
また、自分の意見をあまりはっきりと言えないところもあると思います。人間関係でも変な縄張り意識があるところもあり、そういう意味ではいろいろな意味で人間関係は大変です。
日本に帰国してすぐ、コピーを取りにコンビ二に向かいました。ニッシーのコピーする枚数はたったの1枚。コピー機には先約がいてその人は本を1冊まるまる80枚くらいコピーするつもりだったみたいです。ニッシーは1枚だけだから事情を話して、コピーを先にやらしてくれるように話しました。するとその人は「どこをコピーしているか分からなくなってしまうじゃね〜か。」「何でお前に譲らなければいけないんだ」といちゃもんをつけられてしまいました。結局何とか先にやらせてもらいましたが、個人的に気分が悪いひと時でした。
もちろんベトナムにも誤魔化さない人もいます。日本にも愛想のいい人や親切な人もいることでしょう。なので、これをもってベトナム人はこうだ、日本人はこうだとあまり言いたくないのですが、どっちが私が気分を害したかと言うと日本人のほうです。これは私も含まれると思いますがどちらかと言うと自分以外のことにはあまり関わろうとしないところや、縄張り意識が強いところ、自分勝手なところ、ようは日本人は世界的に見たらまだ子供なのではないのでしょうか。
もっと大人になっていかなくては。そう思いました。
2回目のベトナムの旅へ
2004年3月4日1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言ったようにこの3ヶ月間はやたらと時間が進むのが早い。時に、自分を見失いそうになるときもある。ホームページも出来る限り毎日更新したいのだが、2月はアルバイトが何かと忙しく更新できずにいた。でも、何人かは少なからずとも見ていてくれているので出来るだけ書こうと思っています。
さて、そんな私ですが3月7日(日)〜3月17日(水)までベトナムに行ってきます。ベトナムに行くのは今回で2回目。去年に引き続きの参加です。本当はもっといろいろな外国の国に行きたく、去年の夏にはモンゴルも行こうとしました。しかしながら、金銭面・日程・SARSの関係もあり断念せざるをえませんでした。そして、今回去年に引き続きまたベトナムに行ってきます。
去年も行って、また今年もベトナム・・・どうしてこんなことになったのか自分でもよくわかりません。ただ、去年行ったときに一言で言ってベトナムにはまりました。風景・人々・勉強会などそれは私にとって一つ一つが新たな発見でした。言葉では表せない感動、興奮を覚えそして今年再びベトナムに行こうと決意しました。
ベトナムに行こうと決意した当時は、鳥インフルエンザが全盛期で正直どうなることだろうかと不安でしたが、今日外務省のホームページを見てみると特に情報は出ていないのでまぁ〜大丈夫だろうと鷹をくくっています。
向こうでの予定は色々とあります。メインは、やはりハノイの日本語学科の学生との交流会です。日本の文化を紹介したりするなど準備が結構忙しいのですが、この交流会は去年色々と学ぶところが多く、自分にとって身の引き締まる思いがしましたのでまた何か新しい刺激があればと思っています。
その交流会が15,16日に行われ、後は比較的自由行動。私は、7日はホーチミン市で観光予定です。その後、ヴィンロンに行く予定です。昨年泊まったホテルの近くのバーでカラオケを歌いまくったのですが、そのときアルバイトしていた人が数学を勉強しているということで妙に親近感を覚えました。その人はいるという保障はまったくありませんが、会ってみたいというのと天気がよければ、ライン下り等もしてみたいと思っています。
その後、中部のフエへ行きます。ここは、まったくの初めての地域。行きたいとは思っているのですが、あても何もないので頑張ります!としか言えません。(苦笑)とにかく頑張ります。
ハノイには13日に移動予定です。ハノイには、去年知り合った友人がいますのでその人に案内してもらおうと思っています。また、ここで友達とも合流するので一緒に行動したいですね。
とまぁ〜こんな感じなのですが前半部分は一人で行動します。正直、不安なところもありますが自分を変えたいということもあり、積極的に行動しようと思います。さて、どんなふうになるのでしょうか。
日本には18日の早朝に到着予定です。日本に戻ってからもまた大変で、18日に早速、大学で代数専攻の先生の退官講演があるそうなので、それに参加し、21日には審判講習会→サークルでの追いコン、23日は卒業式と日本に戻っても予定目白押しです。
そして、4月からは大学院生。4月からは自分自身にとって勝負の2年間になります。前へ、前へ進み、そして様々なことにたくさんチャレンジしてみたいです。
旅日記はホームページで更新する予定です。とにかく頑張りますです。
さて、そんな私ですが3月7日(日)〜3月17日(水)までベトナムに行ってきます。ベトナムに行くのは今回で2回目。去年に引き続きの参加です。本当はもっといろいろな外国の国に行きたく、去年の夏にはモンゴルも行こうとしました。しかしながら、金銭面・日程・SARSの関係もあり断念せざるをえませんでした。そして、今回去年に引き続きまたベトナムに行ってきます。
去年も行って、また今年もベトナム・・・どうしてこんなことになったのか自分でもよくわかりません。ただ、去年行ったときに一言で言ってベトナムにはまりました。風景・人々・勉強会などそれは私にとって一つ一つが新たな発見でした。言葉では表せない感動、興奮を覚えそして今年再びベトナムに行こうと決意しました。
ベトナムに行こうと決意した当時は、鳥インフルエンザが全盛期で正直どうなることだろうかと不安でしたが、今日外務省のホームページを見てみると特に情報は出ていないのでまぁ〜大丈夫だろうと鷹をくくっています。
向こうでの予定は色々とあります。メインは、やはりハノイの日本語学科の学生との交流会です。日本の文化を紹介したりするなど準備が結構忙しいのですが、この交流会は去年色々と学ぶところが多く、自分にとって身の引き締まる思いがしましたのでまた何か新しい刺激があればと思っています。
その交流会が15,16日に行われ、後は比較的自由行動。私は、7日はホーチミン市で観光予定です。その後、ヴィンロンに行く予定です。昨年泊まったホテルの近くのバーでカラオケを歌いまくったのですが、そのときアルバイトしていた人が数学を勉強しているということで妙に親近感を覚えました。その人はいるという保障はまったくありませんが、会ってみたいというのと天気がよければ、ライン下り等もしてみたいと思っています。
その後、中部のフエへ行きます。ここは、まったくの初めての地域。行きたいとは思っているのですが、あても何もないので頑張ります!としか言えません。(苦笑)とにかく頑張ります。
ハノイには13日に移動予定です。ハノイには、去年知り合った友人がいますのでその人に案内してもらおうと思っています。また、ここで友達とも合流するので一緒に行動したいですね。
とまぁ〜こんな感じなのですが前半部分は一人で行動します。正直、不安なところもありますが自分を変えたいということもあり、積極的に行動しようと思います。さて、どんなふうになるのでしょうか。
日本には18日の早朝に到着予定です。日本に戻ってからもまた大変で、18日に早速、大学で代数専攻の先生の退官講演があるそうなので、それに参加し、21日には審判講習会→サークルでの追いコン、23日は卒業式と日本に戻っても予定目白押しです。
そして、4月からは大学院生。4月からは自分自身にとって勝負の2年間になります。前へ、前へ進み、そして様々なことにたくさんチャレンジしてみたいです。
旅日記はホームページで更新する予定です。とにかく頑張りますです。
物事に気付くこと
2004年2月23日パチフィストイの集まりのとき、自衛隊のイラク派遣云々の話をしていた。そのとき、ニッシーが意見の中である新聞記事を引用して話をした。「前に新聞で読んだんですけど、ある女性からの投書で私の彼は自衛官です。今まで戦争とかには無縁かと思っていたのですが、自衛隊のイラク派遣が決定し、私の彼にも出動命令が出て、そこから戦争に関してすごく関心を持つようになった。彼女にとっては、身内の人が今回のようなケースになるということで、それに気付いて何か活動をしている・・・・・」みたいなことを言ったら、それを聞いていて先生が「それじゃ〜気付くのが遅いんですよね。」と返された。
別の話をしよう。現在、文部科学省で小学生から英語教育を導入しようと言う動きが広まりつつあると言うのが新聞記事に載っていた。個人的にはこの動きには反対である。詳しくは、また新たにタイトルを設けて書こうと思っているが、英語以外にも言語と言うのはいろいろなものがある。確かに、世界でやっていくには英語が話せるにこしたことはない。しかし、他の言語の重要性などを知らせずに闇雲に、英語!英語!英語!とするのは私は反対なのである。
私は、正直英語の重要性について今まではさほど感じていなかった。最近になって、学会とかで発表するときは英語だし、ベトナムに去年行ったときにベトナム語を公用語にする国でさえ、ホテルの従業員などは英語を話していた。そういう意味で、やはり喋れたほうがいいなと英語の重要性を再認識し現在勉強しているところである。ただし、言語の重要性や多様性をわからせないまま、ただ闇雲に英語が必要だ!と言って教育することは個人的に反対と言うことである。英語教育や英語そのものにはそんなに反対していない。
このことを、先日実家に戻ったときに英語教師である母に話した。そしたら母は、「でも、そのときじゃ遅いんだよね。」とあっけらかんに返されてしまった。
先ほど私が挙げた2つの例はいずれも『気付くのが遅い』と言うのが挙げられている。確かに、普通の人比べたらそのことの重要性・必要性に感じたときは若干遅いと言われても仕方ないことだろう。しかし、それじゃ〜遅いから何かデメリットでもあるのだろうか。今回はそれを提起したい。
自衛隊にしろ英語教育にしろ自分が気付いたとき、それは確かに遅かった。遅いから他の人に比べたらそれを行動に移すのが遅いのだから、そういう意味では差は出るだろう。しかし、私はこの『気付く』と言うのを大いに評価したいと思う。世の中にはこれらのことにも気付かないまま生涯を終えてしまう人も少なくない。それらの人に比べたら、まずそれらのもつものに気付いたと言うことだけでも、一歩前進だしそこから物事を進めればいいと思う。そこからだって大いに成長できると思うし、可能性があると思う。
気付くと言うことも色々とある。誰かに教えられて悟られて気付くこと、自分で考えて熟考して気付くこと、あるときふと気付くこと、行動の中で気付くこと。気付くパターンは一通りではない。時には人に助けられたり、自分でふと気付くことも往々にしてあるものだ。
この気付くというこのときを無駄にしてはいけないと思う。だから、決して気付くのが遅いからといって○○だと言うのは決してないと思う。大切なのは、それをどのように活かし今後どうして行くか。そこから人間はいくらでも変わっていけるのだから。だから、遅いってことはないと思う。気付いただけでも一歩前進、プラスに歩いていかないと。
別の話をしよう。現在、文部科学省で小学生から英語教育を導入しようと言う動きが広まりつつあると言うのが新聞記事に載っていた。個人的にはこの動きには反対である。詳しくは、また新たにタイトルを設けて書こうと思っているが、英語以外にも言語と言うのはいろいろなものがある。確かに、世界でやっていくには英語が話せるにこしたことはない。しかし、他の言語の重要性などを知らせずに闇雲に、英語!英語!英語!とするのは私は反対なのである。
私は、正直英語の重要性について今まではさほど感じていなかった。最近になって、学会とかで発表するときは英語だし、ベトナムに去年行ったときにベトナム語を公用語にする国でさえ、ホテルの従業員などは英語を話していた。そういう意味で、やはり喋れたほうがいいなと英語の重要性を再認識し現在勉強しているところである。ただし、言語の重要性や多様性をわからせないまま、ただ闇雲に英語が必要だ!と言って教育することは個人的に反対と言うことである。英語教育や英語そのものにはそんなに反対していない。
このことを、先日実家に戻ったときに英語教師である母に話した。そしたら母は、「でも、そのときじゃ遅いんだよね。」とあっけらかんに返されてしまった。
先ほど私が挙げた2つの例はいずれも『気付くのが遅い』と言うのが挙げられている。確かに、普通の人比べたらそのことの重要性・必要性に感じたときは若干遅いと言われても仕方ないことだろう。しかし、それじゃ〜遅いから何かデメリットでもあるのだろうか。今回はそれを提起したい。
自衛隊にしろ英語教育にしろ自分が気付いたとき、それは確かに遅かった。遅いから他の人に比べたらそれを行動に移すのが遅いのだから、そういう意味では差は出るだろう。しかし、私はこの『気付く』と言うのを大いに評価したいと思う。世の中にはこれらのことにも気付かないまま生涯を終えてしまう人も少なくない。それらの人に比べたら、まずそれらのもつものに気付いたと言うことだけでも、一歩前進だしそこから物事を進めればいいと思う。そこからだって大いに成長できると思うし、可能性があると思う。
気付くと言うことも色々とある。誰かに教えられて悟られて気付くこと、自分で考えて熟考して気付くこと、あるときふと気付くこと、行動の中で気付くこと。気付くパターンは一通りではない。時には人に助けられたり、自分でふと気付くことも往々にしてあるものだ。
この気付くというこのときを無駄にしてはいけないと思う。だから、決して気付くのが遅いからといって○○だと言うのは決してないと思う。大切なのは、それをどのように活かし今後どうして行くか。そこから人間はいくらでも変わっていけるのだから。だから、遅いってことはないと思う。気付いただけでも一歩前進、プラスに歩いていかないと。
牛丼が消えた
2004年2月15日水戸駅までバスで行くとき、水戸駅前のバス停で降りてその後、駅の近くの『松屋』で牛丼を食べるのがニッシーが水戸駅に行ったときのちょっとした日課になっていた。(^_^.)
本日、久しぶりにその松屋に入ったのだがすでに牛丼の姿はなかった。仕方なく、豚丼を食べたのだがどうも物足りない・・・やっぱり、牛丼だよなと感じざるを得なかった。いまさら、って言う感じもするが。
牛丼が消えて1週間ほど経過した。1ヶ月前まではそんなに実感がなかった。でも、今日すごく実感した。牛丼がない。なんか悲しい気がした。
現在、松屋だけでなく各牛丼チェーンは牛丼がないため、他のどんぶりで代用をしているが、個人的に言わせてもらえればこれは邪道である。やはり、もともと牛丼チェーンではじまったのだから牛丼で勝負しないと。ラーメン屋なのにカレーがあるというのと同じだと個人的には思っている。
しかし、牛丼騒動が始まる前から各チェーンとも牛丼以外のメニューを豊富に出していた。『すき家』は典型的な例だろう。ニッシーは、牛丼チェーンの中では一番『すき家』が好きだ。特に、「キムチ牛丼セット(大盛)」が大好きでよく食べに行ったものである。ニッシーはそれ目当てで行っていたので、特に気にはしていなかったのだが、いつも『すき家』に行く度に気になっていることがあった。
すき家は、店の前に商品をPRするためののぼりのようなものが立っているのだが、すき家の場合そののぼりの内容が『うな丼』『カレー丼』等、牛丼からかけ離れたメニューだったのだ。個人的にそれは邪道だろうといつも思っていた。しかし、今はそんなことは言っていられなくなってしまった。
今日、松屋に行って牛丼がないことになんかむなしさを感じた。豚丼を食べるもどうも気分が晴れない。牛丼と言うのがニッシーの中で心の中にあるかと言うのを感じた1日だった。
牛丼のない牛丼チェーンは邪道だ。これがニッシーの持論。しばらくの間は牛丼チェーン店は行かないだろう。やはり、牛丼チェーン店は牛丼!これにつきると思う。極めるんだったら、それくらいやらないと。いつか、牛丼が再び店頭に並ぶ日が来るまで。
2月12日の朝日新聞の朝刊。吉野家最後の一杯の記事を見つけた。「これをもちまして牛丼の販売を一時休止いたします。」店員が言って頭を下げた。お客は一斉に拍手。店長は目頭が熱くなったという。「牛丼を食べに来てくれる人たちの愛情を感じた。」まさにそうである。お客はやはり正直だ。
お客様の言うことは正しい。
何とか持ちこたえてほしい。
牛丼がいつかまた店頭に並ぶその日まで。
本日、久しぶりにその松屋に入ったのだがすでに牛丼の姿はなかった。仕方なく、豚丼を食べたのだがどうも物足りない・・・やっぱり、牛丼だよなと感じざるを得なかった。いまさら、って言う感じもするが。
牛丼が消えて1週間ほど経過した。1ヶ月前まではそんなに実感がなかった。でも、今日すごく実感した。牛丼がない。なんか悲しい気がした。
現在、松屋だけでなく各牛丼チェーンは牛丼がないため、他のどんぶりで代用をしているが、個人的に言わせてもらえればこれは邪道である。やはり、もともと牛丼チェーンではじまったのだから牛丼で勝負しないと。ラーメン屋なのにカレーがあるというのと同じだと個人的には思っている。
しかし、牛丼騒動が始まる前から各チェーンとも牛丼以外のメニューを豊富に出していた。『すき家』は典型的な例だろう。ニッシーは、牛丼チェーンの中では一番『すき家』が好きだ。特に、「キムチ牛丼セット(大盛)」が大好きでよく食べに行ったものである。ニッシーはそれ目当てで行っていたので、特に気にはしていなかったのだが、いつも『すき家』に行く度に気になっていることがあった。
すき家は、店の前に商品をPRするためののぼりのようなものが立っているのだが、すき家の場合そののぼりの内容が『うな丼』『カレー丼』等、牛丼からかけ離れたメニューだったのだ。個人的にそれは邪道だろうといつも思っていた。しかし、今はそんなことは言っていられなくなってしまった。
今日、松屋に行って牛丼がないことになんかむなしさを感じた。豚丼を食べるもどうも気分が晴れない。牛丼と言うのがニッシーの中で心の中にあるかと言うのを感じた1日だった。
牛丼のない牛丼チェーンは邪道だ。これがニッシーの持論。しばらくの間は牛丼チェーン店は行かないだろう。やはり、牛丼チェーン店は牛丼!これにつきると思う。極めるんだったら、それくらいやらないと。いつか、牛丼が再び店頭に並ぶ日が来るまで。
2月12日の朝日新聞の朝刊。吉野家最後の一杯の記事を見つけた。「これをもちまして牛丼の販売を一時休止いたします。」店員が言って頭を下げた。お客は一斉に拍手。店長は目頭が熱くなったという。「牛丼を食べに来てくれる人たちの愛情を感じた。」まさにそうである。お客はやはり正直だ。
お客様の言うことは正しい。
何とか持ちこたえてほしい。
牛丼がいつかまた店頭に並ぶその日まで。
ニッシーの目指すもの
2004年2月12日自分は、あまり自分の専門に縛られたくないと思っている。もっと視野を広げたい。最近そう思うようになって来た。一応、専門は数学なので理学部ではそのような顔をしている。4月から茨城大学大学院理工学研究科に進学予定。研究分野は具体的には整数論、いわば数論の分野。他にも情報科学にも興味がある。専門書で今読んでいる本は。
◆はじめての数論(シルブァーマン)
◆なっとくする集合・位相(瀬山士郎)
◆離散構造(根上生也)
の3冊。一応、専門としてはこんな顔を持つ。
しかし、専門だけやっていると見えないものがある。そこで自分が動かなければ。いつしかそう思うようになってきた。いや、これは理系の宿命なのか。そうも思っている。
そもそも数学が専攻のおかげで、妙に哲学に興味を持つことが多々ある。数学をやっていると言葉の意味を厳密に追求し、それに対する証明を与えるためたまにやっている内容が哲学っぽくなることがしばしばである。そんなことがあってか、最近では様々な集まりとかにも参加している。
今日はパチフィストイという話し合いに参加した。人益について話しあった。はっきりいって専門とはまるっきり関係ない。参加者はほとんどがそういう方面の人たちだ。そんな中に混じって色々とはなしをした。そこでまた一つのつながりが出来た。
旅も好きである。去年ベトナムに行ったときに、仲良くなった学生がいる。その人とは今でもメールのやり取りをしている。なのでベトナムという国は今の自分にとって身近に感じている。
現在は、理不尽な世の中である。声にならない心の叫び。そんなときこそ自分を見失ってはいけない。そのためには、一歩踏み込んでそこで何を感じるかが大切だと思う。しかしながら、今の自分にはまだそこまで踏み込める勇気があるかといわれれば案外ないのが現状である。もっと世の中を変えていかなくては。と、希望だけは大きくなっている。
それにはただ見ているだけではだめだ。踏み込んでそこで自分が何を考えるべきかを検討しなければならない。これは、数学だけをやっていたら絶対に身につかないことである。そのためにもっともっと視野を広げていきたいと思う今日この頃である。
先は険しい。大学院・・・それが自分にとって本当の勝負となる。
◆はじめての数論(シルブァーマン)
◆なっとくする集合・位相(瀬山士郎)
◆離散構造(根上生也)
の3冊。一応、専門としてはこんな顔を持つ。
しかし、専門だけやっていると見えないものがある。そこで自分が動かなければ。いつしかそう思うようになってきた。いや、これは理系の宿命なのか。そうも思っている。
そもそも数学が専攻のおかげで、妙に哲学に興味を持つことが多々ある。数学をやっていると言葉の意味を厳密に追求し、それに対する証明を与えるためたまにやっている内容が哲学っぽくなることがしばしばである。そんなことがあってか、最近では様々な集まりとかにも参加している。
今日はパチフィストイという話し合いに参加した。人益について話しあった。はっきりいって専門とはまるっきり関係ない。参加者はほとんどがそういう方面の人たちだ。そんな中に混じって色々とはなしをした。そこでまた一つのつながりが出来た。
旅も好きである。去年ベトナムに行ったときに、仲良くなった学生がいる。その人とは今でもメールのやり取りをしている。なのでベトナムという国は今の自分にとって身近に感じている。
現在は、理不尽な世の中である。声にならない心の叫び。そんなときこそ自分を見失ってはいけない。そのためには、一歩踏み込んでそこで何を感じるかが大切だと思う。しかしながら、今の自分にはまだそこまで踏み込める勇気があるかといわれれば案外ないのが現状である。もっと世の中を変えていかなくては。と、希望だけは大きくなっている。
それにはただ見ているだけではだめだ。踏み込んでそこで自分が何を考えるべきかを検討しなければならない。これは、数学だけをやっていたら絶対に身につかないことである。そのためにもっともっと視野を広げていきたいと思う今日この頃である。
先は険しい。大学院・・・それが自分にとって本当の勝負となる。
水戸駅近辺探索
2004年1月25日ここのところ、何もしない日々が続いていたので久しぶりに水戸駅まで繰り出した。水戸駅、一応茨城県の県庁所在地にある駅である。駅近辺は確かににぎわってはいるが、今日は心なしか人の往来が全体的に少なかった。
ニッシーは、水戸駅まで基本的にバスを使っていく。以前は自動車を使うこともあったのだが、地方とはいえ水戸駅近辺の駐車場は都心並みに値段が高く、コストもかかるので最近はバスで行っている。
乗るバスはいつも決まって茨城交通。と言うかそれしかない。新原三差路のバス停から水戸駅行きに乗る。以前は、茨城交通のバスの中では次のバス停の名前は出ず、料金が切り替わるところまでのバス停が表示されていた。なので、利用者は車内アナウンスをしっかりと聞いて自分が降りるバス停を把握しなければならなかった。個人的にはこれが、すごく嫌だった。しかしながらバスが好きな友人に聞くとこれが本来の表示の仕方だという。しかしながら、料金が切り替わるところのバス停しか表示されないのは初心者にとって見たら、不親切だと個人的には思う。しかし、最近はきちんと一つ一つのバス停の名前がきちんと表示板に出るので、ずいぶんと親切になった。バスの運転手も以前と比べるとずいぶん親切な運転手が増えたと個人的には思う。
そんなことを思いつつ、水戸駅近くの南町2丁目のバス停で下車。その足で水戸駅近くのデパートに入る。無印良品を見るためだ。無印良品と聞くと、対外の人はぴんと来るかもしれないのだが、水戸市には無印良品というのは自分はここしか知らない。こんな感じで他にも、水戸駅近辺にはいわゆるフランチャイズ店が少ない。無印良品の中に入って商品を物色する。一応、良いなと言うものをめぼしをつけて、その場を去る。お金がないので次に水戸駅に来るときには買おうと思う。
次に県立図書館に行った。今回はこれがメインだったのだが、レポート作成と卒業論文作成のためだ。以前も書いたことがあるが、県立図書館は細かいことに以上にうるさい。警備員が館内を常に巡回したり、館内で携帯電話を使おうとするものは即退席させられる。もちろん、メールなんてもってのほか。注意書きはご丁寧に『刑法第○条に基づく』といったような法律の文例を好んで使う。そんな少々高飛車なところもあるのだが、やはり県立と言うこともあり、本はたくさんあるので利用している。
以前このことで、県立図書館と手紙のやり取りをしたことがあった。図書館側の意思は明確だった。もちろん中には「それは違うだろ」と言う意見もあるのだが、あまりにの意思の高さに「そこまで言うなら・・・」と思い、現在も週に2〜3回県立図書館に行く自分がいる。基本的に職員の人に尋ねると丁寧に対応してくれる人が多い。徐々に県立図書館に対する思いが、変わってきたような気がする。
レポートを書き上げたところで、ちょっと疲れたのでまた水戸駅の方向に戻る。本当は、荷物を図書館の机の上に置いていきたいのだが警備員が巡回しているため、机の上に置きっぱなしの荷物は撤去されてしまう恐れがある。個人的にはこれもどうかと思うのだが、荷物を全部持って一時外出した。
行った先は、水戸駅駅ビルのスターバックス。コーヒーを飲みながら読書をするためだ。ニッシーが水戸駅近郊で気持ちを落ち着ける場所は3箇所。『マクドナルド(水戸駅南口方面)』『スターバックス(水戸駅ビル内、銀杏坂付近)』だ。スターバックスでは、大体今日のコーヒーを頼んで一服しながら本または新聞を読んでいる。基本的に店員さんは、親切な対応をしてくれる人が多い。
一服したところで、再び県立図書館に向かった。途中駅のロータリーを通るのだが、色々な人がいる。ギターを弾いている人、デートと思われる若いカップル、一人で黙々と歩く人。そんな中、ニッシー声をかけられた。『自衛隊派遣反対』の署名である。これに関しては、ニッシー非常に現在複雑な心境なので声はかけられたのだが、無視して県立図書館に向かった。
再び、県立図書館。今度は卒論製作のため入った。ところが、午後になったからだろうか人が増えていて座席はほぼ満員。仕方なく、備え付けの机つきいす(?)で書こうとしたのだが、机のスペースが狭すぎて、思うように運ばなかった。それでも何とか頑張った。
16:00になり、閉館まで残り1時間となった。借りたい本があったので本を数冊借りて県立図書館を後にする。その後、ちょっと寄り道をしてみた。駅前の本屋さんに向かった。おそらく、水戸では規模の大きい本屋さんである。と言っても、東京ほどではない。しかし、ここしか大きな本屋はない。本をパラぱらっと見て、小腹もすいたので、すぐ近くの銀杏坂のスターバックスに入る。
そこで、ちょうどJAZZの演奏をやっていた。ムードを盛り上げるためだとは思うが、思わず聞き入りながら、ドーナツを食べ、コーヒーを飲み、本を読みながら聞き入った。
そして、帰ることにした。すぐ近くのバス停からバスに乗ればよかったのだが、経費削減のため泉町3丁目まで歩くことにした。一応、水戸駅北口〜大工町までの約2キロの区間は繁華街である。普段はアルバイトをするときに車でこの繁華街を通るのだが、今回は歩いていったのでいろいろな店を知ることができた。ちょっと興味のある店もあったので今度行ってみようと思う。
そんなことを思いつつ、バスに乗った。通常この時間帯は道路も込んでいるのだが今日は本当に人が普段に比べて少なかった。バスの運転手もダイヤを合わせるためか40キロ前後の超安全運転だった。そんなことを思いつつ、アパートに戻った。
ただ、ニッシーの今日1日を羅列した文章だが(笑)個人的にニッシーはこんな水戸市が好きである。水戸市、一応茨城県の県庁所在地。しかし、関東の県庁所在地の中では一番人口が少ない。しかし、その中にところどころに水戸ならではの地域性が出ている。のんびりしているようにも感じる。あまり、県庁所在地とは思わせないような感じだ。
茨城の今後はどうなってしまうのか。少々、心配である。来年の秋には秋葉原〜つくばを結ぶ『つくばエクスプレス』が完成する。それにより、茨城県の構図が変わるのではないかとニッシー個人的に推測する。つくば・土浦と言った県南地方はベットタウン化になってしまうのではないか。そうすると、茨城のイメージが変わってしまうのではないか。などと色々と思う。
都心から水戸に来ると「あまり栄えていないね」なんて、会話がよく聞かれる。しかし、そこがまたいいところだと思う。逆にニッシーは都心は便利だけど人が多くて・・・と都心に行くたびにいつも思う。
水戸市はこじんまりとしているのかもしれない。でも、それがまたいいところ。茨城県の今後はどうなってしまうのか。少々気にしているところである。
そんな風に思った今日の水戸駅近辺探索だった。
ニッシーは、水戸駅まで基本的にバスを使っていく。以前は自動車を使うこともあったのだが、地方とはいえ水戸駅近辺の駐車場は都心並みに値段が高く、コストもかかるので最近はバスで行っている。
乗るバスはいつも決まって茨城交通。と言うかそれしかない。新原三差路のバス停から水戸駅行きに乗る。以前は、茨城交通のバスの中では次のバス停の名前は出ず、料金が切り替わるところまでのバス停が表示されていた。なので、利用者は車内アナウンスをしっかりと聞いて自分が降りるバス停を把握しなければならなかった。個人的にはこれが、すごく嫌だった。しかしながらバスが好きな友人に聞くとこれが本来の表示の仕方だという。しかしながら、料金が切り替わるところのバス停しか表示されないのは初心者にとって見たら、不親切だと個人的には思う。しかし、最近はきちんと一つ一つのバス停の名前がきちんと表示板に出るので、ずいぶんと親切になった。バスの運転手も以前と比べるとずいぶん親切な運転手が増えたと個人的には思う。
そんなことを思いつつ、水戸駅近くの南町2丁目のバス停で下車。その足で水戸駅近くのデパートに入る。無印良品を見るためだ。無印良品と聞くと、対外の人はぴんと来るかもしれないのだが、水戸市には無印良品というのは自分はここしか知らない。こんな感じで他にも、水戸駅近辺にはいわゆるフランチャイズ店が少ない。無印良品の中に入って商品を物色する。一応、良いなと言うものをめぼしをつけて、その場を去る。お金がないので次に水戸駅に来るときには買おうと思う。
次に県立図書館に行った。今回はこれがメインだったのだが、レポート作成と卒業論文作成のためだ。以前も書いたことがあるが、県立図書館は細かいことに以上にうるさい。警備員が館内を常に巡回したり、館内で携帯電話を使おうとするものは即退席させられる。もちろん、メールなんてもってのほか。注意書きはご丁寧に『刑法第○条に基づく』といったような法律の文例を好んで使う。そんな少々高飛車なところもあるのだが、やはり県立と言うこともあり、本はたくさんあるので利用している。
以前このことで、県立図書館と手紙のやり取りをしたことがあった。図書館側の意思は明確だった。もちろん中には「それは違うだろ」と言う意見もあるのだが、あまりにの意思の高さに「そこまで言うなら・・・」と思い、現在も週に2〜3回県立図書館に行く自分がいる。基本的に職員の人に尋ねると丁寧に対応してくれる人が多い。徐々に県立図書館に対する思いが、変わってきたような気がする。
レポートを書き上げたところで、ちょっと疲れたのでまた水戸駅の方向に戻る。本当は、荷物を図書館の机の上に置いていきたいのだが警備員が巡回しているため、机の上に置きっぱなしの荷物は撤去されてしまう恐れがある。個人的にはこれもどうかと思うのだが、荷物を全部持って一時外出した。
行った先は、水戸駅駅ビルのスターバックス。コーヒーを飲みながら読書をするためだ。ニッシーが水戸駅近郊で気持ちを落ち着ける場所は3箇所。『マクドナルド(水戸駅南口方面)』『スターバックス(水戸駅ビル内、銀杏坂付近)』だ。スターバックスでは、大体今日のコーヒーを頼んで一服しながら本または新聞を読んでいる。基本的に店員さんは、親切な対応をしてくれる人が多い。
一服したところで、再び県立図書館に向かった。途中駅のロータリーを通るのだが、色々な人がいる。ギターを弾いている人、デートと思われる若いカップル、一人で黙々と歩く人。そんな中、ニッシー声をかけられた。『自衛隊派遣反対』の署名である。これに関しては、ニッシー非常に現在複雑な心境なので声はかけられたのだが、無視して県立図書館に向かった。
再び、県立図書館。今度は卒論製作のため入った。ところが、午後になったからだろうか人が増えていて座席はほぼ満員。仕方なく、備え付けの机つきいす(?)で書こうとしたのだが、机のスペースが狭すぎて、思うように運ばなかった。それでも何とか頑張った。
16:00になり、閉館まで残り1時間となった。借りたい本があったので本を数冊借りて県立図書館を後にする。その後、ちょっと寄り道をしてみた。駅前の本屋さんに向かった。おそらく、水戸では規模の大きい本屋さんである。と言っても、東京ほどではない。しかし、ここしか大きな本屋はない。本をパラぱらっと見て、小腹もすいたので、すぐ近くの銀杏坂のスターバックスに入る。
そこで、ちょうどJAZZの演奏をやっていた。ムードを盛り上げるためだとは思うが、思わず聞き入りながら、ドーナツを食べ、コーヒーを飲み、本を読みながら聞き入った。
そして、帰ることにした。すぐ近くのバス停からバスに乗ればよかったのだが、経費削減のため泉町3丁目まで歩くことにした。一応、水戸駅北口〜大工町までの約2キロの区間は繁華街である。普段はアルバイトをするときに車でこの繁華街を通るのだが、今回は歩いていったのでいろいろな店を知ることができた。ちょっと興味のある店もあったので今度行ってみようと思う。
そんなことを思いつつ、バスに乗った。通常この時間帯は道路も込んでいるのだが今日は本当に人が普段に比べて少なかった。バスの運転手もダイヤを合わせるためか40キロ前後の超安全運転だった。そんなことを思いつつ、アパートに戻った。
ただ、ニッシーの今日1日を羅列した文章だが(笑)個人的にニッシーはこんな水戸市が好きである。水戸市、一応茨城県の県庁所在地。しかし、関東の県庁所在地の中では一番人口が少ない。しかし、その中にところどころに水戸ならではの地域性が出ている。のんびりしているようにも感じる。あまり、県庁所在地とは思わせないような感じだ。
茨城の今後はどうなってしまうのか。少々、心配である。来年の秋には秋葉原〜つくばを結ぶ『つくばエクスプレス』が完成する。それにより、茨城県の構図が変わるのではないかとニッシー個人的に推測する。つくば・土浦と言った県南地方はベットタウン化になってしまうのではないか。そうすると、茨城のイメージが変わってしまうのではないか。などと色々と思う。
都心から水戸に来ると「あまり栄えていないね」なんて、会話がよく聞かれる。しかし、そこがまたいいところだと思う。逆にニッシーは都心は便利だけど人が多くて・・・と都心に行くたびにいつも思う。
水戸市はこじんまりとしているのかもしれない。でも、それがまたいいところ。茨城県の今後はどうなってしまうのか。少々気にしているところである。
そんな風に思った今日の水戸駅近辺探索だった。
最近思うこと
2003年12月21日最近、ここ3ヶ月ほどの間、ニッシーがさまざまな場面を見てきてその中ででニッシーが思ったこと、またニッシー自身についてここ最近思ったことを書いてみる。
【テーマ1:周りを見ていて思ったこと】
最近思ったこと?
「困っている時は自分の出来る範囲で助けてあげたい」これは人間の常だと自分はそう思っていた。しかし、実際は違った。この思いを持っているのは自分だけなのだろうか?皆、どうしたのだろうか。少し疑問に思っている。正直、あれは驚いたと言うか、なぜ?と言う気持ちが強かった。自分達だけが楽しければそれでいいのだろうか。ま、本人たちがいいと思っているからそうやっているんだろうけど。でも、何か腑に落ちなかった。
最近思ったこと?
「闘志は内に秘めるもの」○○だから、○○してほしかったと言うのは本人の言い訳であって愚痴ではないのか。見ている人はちゃんと見ているはずである。自分をアピールすることも大切だけど、そればっかりに目が行ってもいけないと思う。自分たちを信じてそれに向けて一心不乱に取り組む。そうすれば、必ずそれを評価してくれる人がいるはずだ。そういう思いは心の内に秘めておけばいいと思う。
最近思ったこと?
「もう少し他人を思いやった発言が出来ないものなのだろうか。」人が傷つく発言をしてそれをあざ笑う。何が楽しいんだ。少々怒りさえも覚える。しかし、裏を返せば自分自身も最近毒を吐くことが多い。思ったことをずばずば言うというか・・・そんな自分も何とかできないかと最近そう思っている。
最近思ったこと?
仲がいいのは結構だけど、もう少しほんの少しだけでいい。あからさまと言うのはやめられないのだろうか。結局は尻にひかれている状態で、あまり進歩が見られない。こんなあなた自分自身に満足していて良いのだろうか。片方も今度は、難しいのをやらせてみたらどうだ。このまま卒業していってしまうのが何か不甲斐ない。
最近思ったこと?
世の中は要領がいい人が、す〜っと通ってしまう世の中なのだろうか。なんとなく、進んでいってなんとなくきまってしまう。本来やらなければならないことはできていないのに、それを恥じていない。まず、その気持ちから改めなくてはいけないのに・・・就職とかはなぜかどんどん決まっていく人がいる。世の中ってこんなものなのだろうか。
【テーマ2 自分自身で思ったこと】
自分自身で思ったこと?
会話の中で毒を吐くことが多くなってきている。当人には申し訳ないと思いつつも何か、吐いてしまう。思ったことを素直に言ったほうが良いのか、それとも遠まわしに言うべきなのか。最近は、素直に言っていることが多く、結果的にそれが毒になっている。毒を吐くのはやめようと思っているのだが・・・でも、逆に当人は毒をはかないと分からないのは事実だし・・・難しい。
自分自身で思ったこと?
言葉が出てこない。アルバイトの面接や目上の人と話している時、うまい言葉が出てこない。思わず「う〜ん」「そうですね〜」「ちょっと待ってください」と言う言葉が多発する。ボキャブラリーの少ない自分に唖然とする。この冬休みはもっと本を読もうと思う。自分の思ったことをうまく表現できるように。
状況は様々だが、最近自分自身が感じていることである。結局こんなことが重なってきてストレスになったり、情緒不安定になるんだろうな〜。はぁ、人間関係って何なんだろうね〜。
相手があってのことって何もかもが難しいわ。自分が良いと思っていても相手がどう思っているか分からないし。だからこそ、自分は自分を信じていきたいとは思っているけどね。そうすれば、いつかは共感してくれる人がいるはずだ!そう思って、行きましょうや。
『明日は明日の風が吹く』
『人は人を助け、人は人を悪くする。秀才主義より実力主義』
【テーマ1:周りを見ていて思ったこと】
最近思ったこと?
「困っている時は自分の出来る範囲で助けてあげたい」これは人間の常だと自分はそう思っていた。しかし、実際は違った。この思いを持っているのは自分だけなのだろうか?皆、どうしたのだろうか。少し疑問に思っている。正直、あれは驚いたと言うか、なぜ?と言う気持ちが強かった。自分達だけが楽しければそれでいいのだろうか。ま、本人たちがいいと思っているからそうやっているんだろうけど。でも、何か腑に落ちなかった。
最近思ったこと?
「闘志は内に秘めるもの」○○だから、○○してほしかったと言うのは本人の言い訳であって愚痴ではないのか。見ている人はちゃんと見ているはずである。自分をアピールすることも大切だけど、そればっかりに目が行ってもいけないと思う。自分たちを信じてそれに向けて一心不乱に取り組む。そうすれば、必ずそれを評価してくれる人がいるはずだ。そういう思いは心の内に秘めておけばいいと思う。
最近思ったこと?
「もう少し他人を思いやった発言が出来ないものなのだろうか。」人が傷つく発言をしてそれをあざ笑う。何が楽しいんだ。少々怒りさえも覚える。しかし、裏を返せば自分自身も最近毒を吐くことが多い。思ったことをずばずば言うというか・・・そんな自分も何とかできないかと最近そう思っている。
最近思ったこと?
仲がいいのは結構だけど、もう少しほんの少しだけでいい。あからさまと言うのはやめられないのだろうか。結局は尻にひかれている状態で、あまり進歩が見られない。こんなあなた自分自身に満足していて良いのだろうか。片方も今度は、難しいのをやらせてみたらどうだ。このまま卒業していってしまうのが何か不甲斐ない。
最近思ったこと?
世の中は要領がいい人が、す〜っと通ってしまう世の中なのだろうか。なんとなく、進んでいってなんとなくきまってしまう。本来やらなければならないことはできていないのに、それを恥じていない。まず、その気持ちから改めなくてはいけないのに・・・就職とかはなぜかどんどん決まっていく人がいる。世の中ってこんなものなのだろうか。
【テーマ2 自分自身で思ったこと】
自分自身で思ったこと?
会話の中で毒を吐くことが多くなってきている。当人には申し訳ないと思いつつも何か、吐いてしまう。思ったことを素直に言ったほうが良いのか、それとも遠まわしに言うべきなのか。最近は、素直に言っていることが多く、結果的にそれが毒になっている。毒を吐くのはやめようと思っているのだが・・・でも、逆に当人は毒をはかないと分からないのは事実だし・・・難しい。
自分自身で思ったこと?
言葉が出てこない。アルバイトの面接や目上の人と話している時、うまい言葉が出てこない。思わず「う〜ん」「そうですね〜」「ちょっと待ってください」と言う言葉が多発する。ボキャブラリーの少ない自分に唖然とする。この冬休みはもっと本を読もうと思う。自分の思ったことをうまく表現できるように。
状況は様々だが、最近自分自身が感じていることである。結局こんなことが重なってきてストレスになったり、情緒不安定になるんだろうな〜。はぁ、人間関係って何なんだろうね〜。
相手があってのことって何もかもが難しいわ。自分が良いと思っていても相手がどう思っているか分からないし。だからこそ、自分は自分を信じていきたいとは思っているけどね。そうすれば、いつかは共感してくれる人がいるはずだ!そう思って、行きましょうや。
『明日は明日の風が吹く』
『人は人を助け、人は人を悪くする。秀才主義より実力主義』
地道に生きよう!
2003年11月30日最近、自分の中で思っていることである。
何をやってもうまくいかない、彼女もいない。頼れるのは自分だけ。バイトをやっても最近つまらない。ゼミでもだめだしされる。こんな日が続いている今日この頃のニッシーです。
もちろん、自分がやらないから自分が出来ないからこんなことになるって言うのは分かっているんだけど、そんな自分が悲しいと言うか・・・切ないと言うか。
この間もゼミで3年生に突っ込まれた。かなり、ショックでした。そんなとき、自分をさせてくれる人がいたらどうなるのだろうか。とか考えたこともあったけど、そんな人もいない。今は、あまりそういうのは考えないようにしている。嫉妬感しか残らないから。
今、自分に出来ること。それは、地道にこつこつとこつこつとやることである。そうすればいいずれ光は見えてくる。そう信じていきましょうや!そんなことを思い、またニッシーの1日が始まる。世の中そんなに甘くない。でも、逃げない。頑張る。地道に生きる。ただ、それだけ。
そうすれば結果は必ずついてくる。地道にやれば結果は必ずついてくる。さぁ〜明日に向かって走ろうではないか!後ろばかり向いていても始まらない。頼れるのは自分だけ。自分がしっかりしなければ。
何をやってもうまくいかない、彼女もいない。頼れるのは自分だけ。バイトをやっても最近つまらない。ゼミでもだめだしされる。こんな日が続いている今日この頃のニッシーです。
もちろん、自分がやらないから自分が出来ないからこんなことになるって言うのは分かっているんだけど、そんな自分が悲しいと言うか・・・切ないと言うか。
この間もゼミで3年生に突っ込まれた。かなり、ショックでした。そんなとき、自分をさせてくれる人がいたらどうなるのだろうか。とか考えたこともあったけど、そんな人もいない。今は、あまりそういうのは考えないようにしている。嫉妬感しか残らないから。
今、自分に出来ること。それは、地道にこつこつとこつこつとやることである。そうすればいいずれ光は見えてくる。そう信じていきましょうや!そんなことを思い、またニッシーの1日が始まる。世の中そんなに甘くない。でも、逃げない。頑張る。地道に生きる。ただ、それだけ。
そうすれば結果は必ずついてくる。地道にやれば結果は必ずついてくる。さぁ〜明日に向かって走ろうではないか!後ろばかり向いていても始まらない。頼れるのは自分だけ。自分がしっかりしなければ。
辻元氏に思うこと
2003年11月21日元・社民党衆議院議員辻元清美さんが、秘書給与流用疑惑で逮捕され、昨日その裁判がありました。裁判の中で、辻本被告(被告になっちゃったんですね〜)は起訴事実を全面的に認めた。裁判はスピード結審になる模様で、彼女はこれから裁判の結果を厳粛に受け止めてほしいと思います。
私は社民党支持者でもなんでもないのですが、今回のこの事件はどうも政治的な意図が見え隠れしていて、個人的にはなんとも不甲斐ないというか政治に対して不信感を感じています。
ちょうど、彼女の事件が発端する頃に鈴木宗男議員の問題についてとり正されていた時期でした。当時、この様子はテレビでも公開され私も見ていましたが、辻元議員が「うそつき禁止法適用したいくらいですね」等と言ったはっきりものをいう姿には私も少なからずとも共明を受けていたのです。また、党首討論で小泉総理に対して「総理!総理!総理!総理!しっかり答えてくださいよ。総理が答えないと国民がっかりしますよ。」と厳しく問い詰めたのも私の記憶の中には残っています。
その彼女が秘書給与疑惑で新聞記事を飾ったときは大変驚きました。もちろん彼女のやったことはいけないことですから、きちんと反省してもらいたいとは思っています。しかし、今回のこの一連の騒動はどうも裏で政治的な意図が見え隠れしていたのではないか。『出る杭は打たれる』ではないですが、彼女だけが狙い撃ちをされたという感じがしてなりません。鈴木宗男議員への証人喚問で彼女が登場しなかったら、明らかに浮上しなかった問題だと素人の私でも思うからです。そんなうるさいことを言う生意気な女は葬ってしまえという意図が、どこかで働いていたのではないかと思います。
実際、彼女のようなことをやっている議員は結構いると思います。なのに、彼女だけが狙い撃ちされて今回のような結果になってしまったという感は否めません。しかも彼女は、脱税した秘書給与は既に返還もしているので、まだいいほうです。
彼女のやったことを肯定しているわけではありませんが、どうして彼女だけが犠牲になったのか?出る杭は打たれなければしょうがないのか?そんな気持ちがしてなりません。政府はきちんと秘書給与に関しての抜本的な対策を行うべきだと思います。
そして、なぜかこういう問題は野党側の議員に見られ、与党側の議員はこういう問題はあまり起きません。やはり、私は今回のこの一連の騒動は素直に見れないのです。辻元さんがやったことはもちろんいけないことなんだけど、どうして彼女だけが?と言う気持ちがしてなりません。出ている杭の意見は国民の気持ちを代弁している。そんな意見だと思うからです。そんな出ている杭を打ってまでして、自分の意見を突き通す、それが全体の利益にかなっていない。そんな政治なら、法治国家そのものが嘘になってしまいます。
積極的だった彼女がこうやって姿を消してしまったこと。それには政治的な意図が見え隠れしている。そんな気持ちにさせられた今回の騒動でした。
色々批判はあるかと思いますが、ああいう人が社会の中から切り捨てられてしまうような現在の日本の縮図が垣間見れているような気がしました。私は今回の事件をしっかりと見守ることにします。
私は社民党支持者でもなんでもないのですが、今回のこの事件はどうも政治的な意図が見え隠れしていて、個人的にはなんとも不甲斐ないというか政治に対して不信感を感じています。
ちょうど、彼女の事件が発端する頃に鈴木宗男議員の問題についてとり正されていた時期でした。当時、この様子はテレビでも公開され私も見ていましたが、辻元議員が「うそつき禁止法適用したいくらいですね」等と言ったはっきりものをいう姿には私も少なからずとも共明を受けていたのです。また、党首討論で小泉総理に対して「総理!総理!総理!総理!しっかり答えてくださいよ。総理が答えないと国民がっかりしますよ。」と厳しく問い詰めたのも私の記憶の中には残っています。
その彼女が秘書給与疑惑で新聞記事を飾ったときは大変驚きました。もちろん彼女のやったことはいけないことですから、きちんと反省してもらいたいとは思っています。しかし、今回のこの一連の騒動はどうも裏で政治的な意図が見え隠れしていたのではないか。『出る杭は打たれる』ではないですが、彼女だけが狙い撃ちをされたという感じがしてなりません。鈴木宗男議員への証人喚問で彼女が登場しなかったら、明らかに浮上しなかった問題だと素人の私でも思うからです。そんなうるさいことを言う生意気な女は葬ってしまえという意図が、どこかで働いていたのではないかと思います。
実際、彼女のようなことをやっている議員は結構いると思います。なのに、彼女だけが狙い撃ちされて今回のような結果になってしまったという感は否めません。しかも彼女は、脱税した秘書給与は既に返還もしているので、まだいいほうです。
彼女のやったことを肯定しているわけではありませんが、どうして彼女だけが犠牲になったのか?出る杭は打たれなければしょうがないのか?そんな気持ちがしてなりません。政府はきちんと秘書給与に関しての抜本的な対策を行うべきだと思います。
そして、なぜかこういう問題は野党側の議員に見られ、与党側の議員はこういう問題はあまり起きません。やはり、私は今回のこの一連の騒動は素直に見れないのです。辻元さんがやったことはもちろんいけないことなんだけど、どうして彼女だけが?と言う気持ちがしてなりません。出ている杭の意見は国民の気持ちを代弁している。そんな意見だと思うからです。そんな出ている杭を打ってまでして、自分の意見を突き通す、それが全体の利益にかなっていない。そんな政治なら、法治国家そのものが嘘になってしまいます。
積極的だった彼女がこうやって姿を消してしまったこと。それには政治的な意図が見え隠れしている。そんな気持ちにさせられた今回の騒動でした。
色々批判はあるかと思いますが、ああいう人が社会の中から切り捨てられてしまうような現在の日本の縮図が垣間見れているような気がしました。私は今回の事件をしっかりと見守ることにします。
不安が募る
2003年11月7日友達が就職決まったそうだ。ずっと憧れていた教員の道へ行くらしい。素直におめでとう!とニッシーは言った。
これ以外にも、ニッシーの仲間たちは続々と就職・進学が決まっていく。このご時世としてはすごいことであると思う。
そんな中、ニッシーの周りの友人のほとんどが進路が決まったということで、友人が祝勝会を開くと言ってきた。ニッシーも予定があいていたので、参加。何人集まるか分からないが、当日は9人集まるらしい。メンバーはその友人が選出するので誰が誰だかわからないんだけど・・・(^^ゞま、ニッシーの知っている人であるということは間違いない。(当たり前ですが 笑)
こうやって、皆進路が決まり来年からは別々の道を歩む。ここで、今まで感じていなかった”不安”が自分の周りに取り巻いている。
ニッシーは大学4年生。中学までの義務教育を終え、高校→大学と進んできた。まぁ〜日本人の約6割が通る道だろう。その道を今まさに卒業しようとしている。ここから先は皆違うそれぞれの道へ・・・友人たちの進路決定の話を聞くたびに、心は不安定になっていった。そして、現在もなっている。
話はがラット変わるが、『耳をすませば』と言う映画がある。主人公である中学3年生の月島雫が小説を書くために、高校に行かない。と突然言い出す。そこで家族と話し合うシーンがある。そこで、雫のお父さんが一言。「皆と違う道を行くって事はそれなりに大変だぞ。誰も助けてくれないんだから・・・」誰も助けてくれないと言うのは大げさにしても、自己責任の部分がさらに大きくなっていく。まさに、今現在の自分のように。ここから先どうしていいのか不安なのである。
誰も助けてくれない・・・この言葉はある意味そうである。大学4年になって、友達と会う機会がかなり減った。すでにここからそんなことは始まっていたのかもしれない。ただ、今までは例え会っていなくても、大学構内のどこかで誰かしらと会うということはしばしば会った。そこで、たまたま会った人と近況を話し合ったり、はたまたご飯を一緒に食べたりと、まある意味楽しいときを一瞬だけ過ごせる。ほんの一瞬だけ。でも、その一瞬が何か嬉しいのだ。
来年になれば、おそらく皆と会う機会なんて愕然と減るだろう。また、会ったとしてもうわべっつらの付き合いになるのではないか・・・また、もしいま自分のやっていることが向いていないと思ったりしたら・・・今はとてもそんなことを考えていないけど、いつかしたら思うかもしれない。
友人は就職しているのに自分だけまだのんきに学生をやっていて・・・これってどうなのだろうか。とか、色々と考えていると結局「自分ってなんなんだろう?」と思ってしまう自分がここにいる。先に対する不安。これが、現在ここまで大きくなっていたとは。
そんな自分自身に対する不安からか現在は少し鬱な状態が続いているニッシー。と言っても、こんなこと誰も言う人なんていないし。恋人もいないし。これも1つの要因になっているかもしれないですね。(苦笑)
表向きは、前向きに明るく笑顔で接しているけど1人になると色々と思うところがあって、自分に自信がなくなってきて・・・そんな毎日を今は送っています。このプレッシャーに打ち勝たなくては!って思うんですけどね。
祝勝会は、来週の金曜日です。それが終わったとき、ニッシーの気持ちにはどんな変化が現れるのだろう。素直に皆をお祝いしたいと言う気持ち反面、先の不安がさらに大きくなるのではないか・・・そんな気持ちでございます。
そんな、ニッシーですが、今出来ることはいつも思っていることなんですけど、『素直に、前向きに取り組んでいればいつか必ず結果がついてくる。そう信じていきましょう。』
これだけだ。いつか結果は必ずついてくる。いつか、素晴らしい日がやってくる。そう信じている。いや、そうでありたい。そんなことを思いつつ、1日は刻々と過ぎていく。
これ以外にも、ニッシーの仲間たちは続々と就職・進学が決まっていく。このご時世としてはすごいことであると思う。
そんな中、ニッシーの周りの友人のほとんどが進路が決まったということで、友人が祝勝会を開くと言ってきた。ニッシーも予定があいていたので、参加。何人集まるか分からないが、当日は9人集まるらしい。メンバーはその友人が選出するので誰が誰だかわからないんだけど・・・(^^ゞま、ニッシーの知っている人であるということは間違いない。(当たり前ですが 笑)
こうやって、皆進路が決まり来年からは別々の道を歩む。ここで、今まで感じていなかった”不安”が自分の周りに取り巻いている。
ニッシーは大学4年生。中学までの義務教育を終え、高校→大学と進んできた。まぁ〜日本人の約6割が通る道だろう。その道を今まさに卒業しようとしている。ここから先は皆違うそれぞれの道へ・・・友人たちの進路決定の話を聞くたびに、心は不安定になっていった。そして、現在もなっている。
話はがラット変わるが、『耳をすませば』と言う映画がある。主人公である中学3年生の月島雫が小説を書くために、高校に行かない。と突然言い出す。そこで家族と話し合うシーンがある。そこで、雫のお父さんが一言。「皆と違う道を行くって事はそれなりに大変だぞ。誰も助けてくれないんだから・・・」誰も助けてくれないと言うのは大げさにしても、自己責任の部分がさらに大きくなっていく。まさに、今現在の自分のように。ここから先どうしていいのか不安なのである。
誰も助けてくれない・・・この言葉はある意味そうである。大学4年になって、友達と会う機会がかなり減った。すでにここからそんなことは始まっていたのかもしれない。ただ、今までは例え会っていなくても、大学構内のどこかで誰かしらと会うということはしばしば会った。そこで、たまたま会った人と近況を話し合ったり、はたまたご飯を一緒に食べたりと、まある意味楽しいときを一瞬だけ過ごせる。ほんの一瞬だけ。でも、その一瞬が何か嬉しいのだ。
来年になれば、おそらく皆と会う機会なんて愕然と減るだろう。また、会ったとしてもうわべっつらの付き合いになるのではないか・・・また、もしいま自分のやっていることが向いていないと思ったりしたら・・・今はとてもそんなことを考えていないけど、いつかしたら思うかもしれない。
友人は就職しているのに自分だけまだのんきに学生をやっていて・・・これってどうなのだろうか。とか、色々と考えていると結局「自分ってなんなんだろう?」と思ってしまう自分がここにいる。先に対する不安。これが、現在ここまで大きくなっていたとは。
そんな自分自身に対する不安からか現在は少し鬱な状態が続いているニッシー。と言っても、こんなこと誰も言う人なんていないし。恋人もいないし。これも1つの要因になっているかもしれないですね。(苦笑)
表向きは、前向きに明るく笑顔で接しているけど1人になると色々と思うところがあって、自分に自信がなくなってきて・・・そんな毎日を今は送っています。このプレッシャーに打ち勝たなくては!って思うんですけどね。
祝勝会は、来週の金曜日です。それが終わったとき、ニッシーの気持ちにはどんな変化が現れるのだろう。素直に皆をお祝いしたいと言う気持ち反面、先の不安がさらに大きくなるのではないか・・・そんな気持ちでございます。
そんな、ニッシーですが、今出来ることはいつも思っていることなんですけど、『素直に、前向きに取り組んでいればいつか必ず結果がついてくる。そう信じていきましょう。』
これだけだ。いつか結果は必ずついてくる。いつか、素晴らしい日がやってくる。そう信じている。いや、そうでありたい。そんなことを思いつつ、1日は刻々と過ぎていく。
花道(はなみち)って・・・
2003年10月27日プロ野球日本シリーズが終わった。結果はダイエーの4勝3敗。今年の日本シリーズは7戦までもつれたことや、地元応援の熱狂振りなども重なり、どっちのファンでもないニッシーなのですが、非常に面白いシリーズでした。
さて、今回の日本シリーズ。星野監督勇退というニュースが日本シリーズ直前に舞い込んで来ました。阪神の選手たちは、星野監督の花道(はなみち;以下ふりがな省略)を何としても日本一で飾ってあげたい。と言う気持ちが少なからずともあったと思います。しかし、結果は残念ながら日本一にはなれず、そういう意味では花道を飾ることは出来ませんでした。そうは、やっぱり世の中甘くないものですね。しかし、星野監督の功績は大いにたたえられるものですし、それに関してはすごいと思います。花道って何なんでしょうね〜。少し考えちゃいました。
花道:最後にはなばなしく活躍する場面や時期。また、人に惜しまれて引退する時期。(大辞林第二版より一部抜粋)
人によってこの花道の意味の捉え方というのは色々あると思います。しかし、やはり最後は良い結果で終わらせてあげたい。最高の結果を残してあげたい。そう考えるのが、人間の常ではないかと私は個人ながら思うのです。しかしながら現実問題として最高の結果を最後の最後で飾るというのは、今まで以上に厳しくそして険しいのです。そういうのを考えると、本当の意味での花道っていうのは一体何なのだろう?思わず考え込んでしまいました。
これは、別に野球に限ったことではありません。相撲なんかを例にとってみると、横綱が引退をするとき、そのときは大抵の場合負けて引退をします。勝って引退をするというのはまずありません。確かに引退する前は、横綱というのは相撲界の先頭に立って、活躍していた力士です。その栄光は大いなるものがあります。しかし、引退するときとなると既にそのときの勢いはなく、もはや体力の限界。横綱の引退を決意するとき、それは負けるときなのです。勝って引退すると言う花道と言う言葉が定着している相撲界の中では、本当の意味での花道と言うのは存在していない。何か悲しい感じもします。他にもこういうことは往々にしてあると思います。野球、相撲以外に関わらず、どんな場面に対しても。
最後の最後に最高の力!最高の結果。これを残したい。また、仲間たちも残してあげたい。そういう気持ちにはなる。しかし、実際は厳しい。はてしない。そういうことを考えると、安易に『花道』と言う言葉を使うのはどうなのか。私はそのように思うのです。
そういうときは、素直にお疲れ様でした。と一声かけて、今までの労をねぎらってあげる。ありがとうございました。と。とてもシンプルな方法ですが、逆にこういうシンプルで最後送ってあげたほうがいいのではないか。そんな風に私は思うのです。もちろん、最高の結果を目指しつつ、しかし仮にそれがだめだったとしてもきちんと労をねぎらってくれる。そうすれば、「花道」なんて言葉がなくたって、十分伝わるものがある。そんな気がしますね。
本当の意味での『花道』への道のり。それは非常に果てしなくそして、険しいものがあります。しかしながら、ごくまれにそれを実現してしまう人もいる。今年の夏の甲子園で優勝した茨城常総学院高校の木内監督がそうだ。監督生活最後の甲子園を見事優勝と言うこれ以上ない結果で締めくくることが出来た。まれにこういう人もいる。
世間が望んでいる本当の意味での『花道』しかし、実際そこに到達するまでは・・・とてつもなく厳しくそして険しい道のりがあるものだ。それを乗り越えて、それらが達成できたとき。当事者は一体どのような気持ちになるのだろうか。想像を超えるものがありそうだ。
さて、今回の日本シリーズ。星野監督勇退というニュースが日本シリーズ直前に舞い込んで来ました。阪神の選手たちは、星野監督の花道(はなみち;以下ふりがな省略)を何としても日本一で飾ってあげたい。と言う気持ちが少なからずともあったと思います。しかし、結果は残念ながら日本一にはなれず、そういう意味では花道を飾ることは出来ませんでした。そうは、やっぱり世の中甘くないものですね。しかし、星野監督の功績は大いにたたえられるものですし、それに関してはすごいと思います。花道って何なんでしょうね〜。少し考えちゃいました。
花道:最後にはなばなしく活躍する場面や時期。また、人に惜しまれて引退する時期。(大辞林第二版より一部抜粋)
人によってこの花道の意味の捉え方というのは色々あると思います。しかし、やはり最後は良い結果で終わらせてあげたい。最高の結果を残してあげたい。そう考えるのが、人間の常ではないかと私は個人ながら思うのです。しかしながら現実問題として最高の結果を最後の最後で飾るというのは、今まで以上に厳しくそして険しいのです。そういうのを考えると、本当の意味での花道っていうのは一体何なのだろう?思わず考え込んでしまいました。
これは、別に野球に限ったことではありません。相撲なんかを例にとってみると、横綱が引退をするとき、そのときは大抵の場合負けて引退をします。勝って引退をするというのはまずありません。確かに引退する前は、横綱というのは相撲界の先頭に立って、活躍していた力士です。その栄光は大いなるものがあります。しかし、引退するときとなると既にそのときの勢いはなく、もはや体力の限界。横綱の引退を決意するとき、それは負けるときなのです。勝って引退すると言う花道と言う言葉が定着している相撲界の中では、本当の意味での花道と言うのは存在していない。何か悲しい感じもします。他にもこういうことは往々にしてあると思います。野球、相撲以外に関わらず、どんな場面に対しても。
最後の最後に最高の力!最高の結果。これを残したい。また、仲間たちも残してあげたい。そういう気持ちにはなる。しかし、実際は厳しい。はてしない。そういうことを考えると、安易に『花道』と言う言葉を使うのはどうなのか。私はそのように思うのです。
そういうときは、素直にお疲れ様でした。と一声かけて、今までの労をねぎらってあげる。ありがとうございました。と。とてもシンプルな方法ですが、逆にこういうシンプルで最後送ってあげたほうがいいのではないか。そんな風に私は思うのです。もちろん、最高の結果を目指しつつ、しかし仮にそれがだめだったとしてもきちんと労をねぎらってくれる。そうすれば、「花道」なんて言葉がなくたって、十分伝わるものがある。そんな気がしますね。
本当の意味での『花道』への道のり。それは非常に果てしなくそして、険しいものがあります。しかしながら、ごくまれにそれを実現してしまう人もいる。今年の夏の甲子園で優勝した茨城常総学院高校の木内監督がそうだ。監督生活最後の甲子園を見事優勝と言うこれ以上ない結果で締めくくることが出来た。まれにこういう人もいる。
世間が望んでいる本当の意味での『花道』しかし、実際そこに到達するまでは・・・とてつもなく厳しくそして険しい道のりがあるものだ。それを乗り越えて、それらが達成できたとき。当事者は一体どのような気持ちになるのだろうか。想像を超えるものがありそうだ。
試験勉強って・・・
2003年10月1日ニッシーは大学4年生。大学4年生と言えば、卒業後の進路とかも考えなければならない。ニッシーは幸いにも大学院に進学が決まった。まぁ〜身内の大学院なのでそんなに受験勉強というものはしなくても合格できました。もちろん、大学院生になったら必死に頑張りたいと思っています。
この就職活動。色々と考えさせられます。友人などの話を聞いているとすぐに決まっちゃった人もいれば、ずっと就職活動している人もいたり、その姿は人さまざま。中でも、ニッシー感心するのは教員志望・公務員(国家一・二種、地方上級)志望の人。話を聞くとすごく大変そうです。
教員、公務員志望の人は双方とも試験があるからね。その試験がまたすごい。倍率が高くて、実際にその仕事につけるか分からない。なので、そういう人たちは3年のころから勉強をしていないといけないし、予備校なんてものもあるからね。ようは、試験ですよ。試験勉強をしなければならないのです。
ニッシーは、『試験』というものがあまり好きではない。特に、大学入試・高校入試・教員採用試験・公務員試験の類は。もっとも嫌いだ。これらの試験は、「落とすこと」しか考えていない試験だからだ。その人がどういう人かとか、将来の可能性とかそういうものは、あまり考えない。そもそも、これらの試験は合格さえしてしまえば良いので、試験でやったことが実際に合格して仕事についてから役に立つとか、そういうことはあまりない。なのに、皆合格したいがために試験勉強をしなければならない。
それは、ニッシーだって一応高校入試、大学入試を経験しているし、それなりに勉強はした。高校入試、大学入試は結構勉強した。高校入試は、追い込みの時期に毎日かなり勉強してたし、大学入試は数学系志望だったから数学の勉強は、高校2年生のころから勉強をしていた。試験では、一応それなりに勉強した成果はあった。
しかし、入学してからはどうだろう。高校入試のときはさほど意識していなかったのだが、大学入試はすごく思った。大学入試を終えて、実際に大学に入ってしまうと「今までの自分はなんだったのか。」と思わされることがあった。実際に入学して、見えてくるものがあった。色々なものが見えてきた。ものの考え方とか、今までとは違った授業形式とか、人間関係とか、アルバイトとか、お酒とか。それは、試験では教えてくれないことばかりだった。そういうのを考えると、入試というのは狭い視野の中での戦いだよな。大学という広い視野の中では、狭い視野で活かされたことはさほど役にはたたなかった。
ニッシーは、おそらくもうあんな試験勉強できないよな〜。1日10時間とか結構やっていた時期もあったけど、今から考えるとよくあんなの勉強したなって感じです。もう〜、出来ないよな。それよりも大切なことがあるんじゃないか?とか思ってしまう。逃げの発言かもしれないけど。
合格=ゴールではない。まぁ〜教師とかがこういう言葉をよく使うが、まさにそうだと思う。合格したというのは、そこからまた新たな始まりになるのだ。高校・大学の場合は、試験勉強なんかよりも、実際に入学してからの勉強、人との触れ合い、仲間との携わりを大切にしてほしいし、教員、公務員試験の場合は、合格してから本当の試練が待っています。教員になったから万々歳ではないのです。そこから、自分の持ち味を発揮し、市民と生徒と触れ合っていくことによって、自らの輪を大きくしていってほしいです。
それに、今の試験は「つまらない」やっていてもその魅力・面白みがあまり感じられません。これは、私の友人も結構漏らしていますね。一応、面接試験とやらもやっているそうですが、この間教員採用試験の面接試験の問題を聞いたのですが、すごいですよ。何?この問題?って感じで。
『トイレ掃除を嫌がっている生徒がいます。トイレ掃除をさせるように5分以内で黒板を使って、説明してください。(ある県の実際に今年出された面接試験より)』
試験官が、生徒役に扮するそうですが、第一トイレ掃除をさせるのになぜ、黒板を使わなければならないのか?掃除の時間なのに黒板なんか使ったら、黒板が掃除できない。それに、生徒にトイレ掃除をさせるようにするために、なぜ5分間という時間を設けるのか?生徒役は大人だから、ありきたりの言葉を発するのだろう。
こんな矛盾を思いつつ、おそらく職員の人も
「こんなばからしい・・・」とか思っているんだろうな〜(苦笑)
ま、ようは試験と言うのは視野の狭い中での戦いというわけです。実際に合格したらこれ以上に視野が広くなるのにね。受験者にはぜひとも自分を見失わないでしっかりとした目標を持って、試験をしてほしいです。ただ、なんとなく・・・っていう人は、合格してから大変になるでしょう。
だからと言って、今の試験をやめるのか?ってなるとう〜〜〜んそれも難しいしね。どうなんだろうな、試験と言うのを合格のための最低ラインとしたらいいのかもしれないですね。あくまでも最低ラインだからボーダーはそれほど高くしないで、合格してから、これくらいは知っておいてほしい。と言うのを試験に出せばいいのかもしれないですね。後は、合格してから色々と身につければ良いと思います。実際に、ニッシーが受けた大学院試験はそんな感じだったし。だから、合格できたのかな。(笑)
とにかく今の試験は視野が狭い。ぜひとも、受験する人は自分を見失わないで、自分の将来の目標をしっかり持って、試験をしてほしいと思います。そして、合格してからが本当のスタートなのです。自分の夢がかなったのですから、ぜひとも頑張っていただきたいです。
私の友人も教員採用試験を受けています。すごく教員になりたいって熱心な人。現在、結果待ちだそうですが、ぜひとも受かってほしいですね。こういう熱心な人に、光が浴びますよう。
この就職活動。色々と考えさせられます。友人などの話を聞いているとすぐに決まっちゃった人もいれば、ずっと就職活動している人もいたり、その姿は人さまざま。中でも、ニッシー感心するのは教員志望・公務員(国家一・二種、地方上級)志望の人。話を聞くとすごく大変そうです。
教員、公務員志望の人は双方とも試験があるからね。その試験がまたすごい。倍率が高くて、実際にその仕事につけるか分からない。なので、そういう人たちは3年のころから勉強をしていないといけないし、予備校なんてものもあるからね。ようは、試験ですよ。試験勉強をしなければならないのです。
ニッシーは、『試験』というものがあまり好きではない。特に、大学入試・高校入試・教員採用試験・公務員試験の類は。もっとも嫌いだ。これらの試験は、「落とすこと」しか考えていない試験だからだ。その人がどういう人かとか、将来の可能性とかそういうものは、あまり考えない。そもそも、これらの試験は合格さえしてしまえば良いので、試験でやったことが実際に合格して仕事についてから役に立つとか、そういうことはあまりない。なのに、皆合格したいがために試験勉強をしなければならない。
それは、ニッシーだって一応高校入試、大学入試を経験しているし、それなりに勉強はした。高校入試、大学入試は結構勉強した。高校入試は、追い込みの時期に毎日かなり勉強してたし、大学入試は数学系志望だったから数学の勉強は、高校2年生のころから勉強をしていた。試験では、一応それなりに勉強した成果はあった。
しかし、入学してからはどうだろう。高校入試のときはさほど意識していなかったのだが、大学入試はすごく思った。大学入試を終えて、実際に大学に入ってしまうと「今までの自分はなんだったのか。」と思わされることがあった。実際に入学して、見えてくるものがあった。色々なものが見えてきた。ものの考え方とか、今までとは違った授業形式とか、人間関係とか、アルバイトとか、お酒とか。それは、試験では教えてくれないことばかりだった。そういうのを考えると、入試というのは狭い視野の中での戦いだよな。大学という広い視野の中では、狭い視野で活かされたことはさほど役にはたたなかった。
ニッシーは、おそらくもうあんな試験勉強できないよな〜。1日10時間とか結構やっていた時期もあったけど、今から考えるとよくあんなの勉強したなって感じです。もう〜、出来ないよな。それよりも大切なことがあるんじゃないか?とか思ってしまう。逃げの発言かもしれないけど。
合格=ゴールではない。まぁ〜教師とかがこういう言葉をよく使うが、まさにそうだと思う。合格したというのは、そこからまた新たな始まりになるのだ。高校・大学の場合は、試験勉強なんかよりも、実際に入学してからの勉強、人との触れ合い、仲間との携わりを大切にしてほしいし、教員、公務員試験の場合は、合格してから本当の試練が待っています。教員になったから万々歳ではないのです。そこから、自分の持ち味を発揮し、市民と生徒と触れ合っていくことによって、自らの輪を大きくしていってほしいです。
それに、今の試験は「つまらない」やっていてもその魅力・面白みがあまり感じられません。これは、私の友人も結構漏らしていますね。一応、面接試験とやらもやっているそうですが、この間教員採用試験の面接試験の問題を聞いたのですが、すごいですよ。何?この問題?って感じで。
『トイレ掃除を嫌がっている生徒がいます。トイレ掃除をさせるように5分以内で黒板を使って、説明してください。(ある県の実際に今年出された面接試験より)』
試験官が、生徒役に扮するそうですが、第一トイレ掃除をさせるのになぜ、黒板を使わなければならないのか?掃除の時間なのに黒板なんか使ったら、黒板が掃除できない。それに、生徒にトイレ掃除をさせるようにするために、なぜ5分間という時間を設けるのか?生徒役は大人だから、ありきたりの言葉を発するのだろう。
こんな矛盾を思いつつ、おそらく職員の人も
「こんなばからしい・・・」とか思っているんだろうな〜(苦笑)
ま、ようは試験と言うのは視野の狭い中での戦いというわけです。実際に合格したらこれ以上に視野が広くなるのにね。受験者にはぜひとも自分を見失わないでしっかりとした目標を持って、試験をしてほしいです。ただ、なんとなく・・・っていう人は、合格してから大変になるでしょう。
だからと言って、今の試験をやめるのか?ってなるとう〜〜〜んそれも難しいしね。どうなんだろうな、試験と言うのを合格のための最低ラインとしたらいいのかもしれないですね。あくまでも最低ラインだからボーダーはそれほど高くしないで、合格してから、これくらいは知っておいてほしい。と言うのを試験に出せばいいのかもしれないですね。後は、合格してから色々と身につければ良いと思います。実際に、ニッシーが受けた大学院試験はそんな感じだったし。だから、合格できたのかな。(笑)
とにかく今の試験は視野が狭い。ぜひとも、受験する人は自分を見失わないで、自分の将来の目標をしっかり持って、試験をしてほしいと思います。そして、合格してからが本当のスタートなのです。自分の夢がかなったのですから、ぜひとも頑張っていただきたいです。
私の友人も教員採用試験を受けています。すごく教員になりたいって熱心な人。現在、結果待ちだそうですが、ぜひとも受かってほしいですね。こういう熱心な人に、光が浴びますよう。