最近の列車事故の報道について思う?
2005年5月11日本当に、個人的には書くのが嫌なのですが、やはりこの事故についてのマスコミの過剰報道に黙ってはいられずまた、皆さんにあの報道を鵜呑みにしてほしくない(現に鵜呑みにしている人が多いと思いますので)ので、もう少しこのことについて私なりに意見を言わせていただき、マスコミと違う視点で話をしたいと思います。皆さん、マスコミからの報道をそのまま素直に受け入れないでください。常識を疑う目を持ってください。さてさて本題。
●事故当日ある車掌区ではボウリング大会が行われていたことに関して
これは、事故が起きた後すぐに出てきた報道です。この件に関してもマスコミはこのボウリング大会に参加した人が悪い的な報道をしていますが、ことの本質はそこではないと思います。
電車の乗務員と言うのは、時間によって完全に縛られておりそこには個人の裁量というものが存在しません。よって、ボウリング大会や宴会等といったいわゆる親睦会と言うのを開催する場合、各乗務員の勤務体系に完全に縛られることになります。電車の乗務員というのはそういうものです。
その中で、事故が起きたというこの状況の中でもボウリング大会を行った即ち、「予定を全うした」この点については、前回の?で書いたたまたま事故車両に乗り合わせていた2名の社員と同じではないかと私は考えます。
ここから何が考えられるか、もちろん私の推測になりますが会社が何を第一に考え、何を社員に要求をしてきたかここがことの本質ではないでしょうか。ボウリング大会に参加した人ではなく、ここは会社すなわちJR西日本の体質と見るべきであると私は思います。つまり、今回マスコミが面白がって野次馬的にバッシングをしている社員たちはいわば「会社に忠実」だったと考えられるのではないでしょうか。その点を追求せず、個人の行いをひどく責めるマスコミのやり方には腹立たしさを覚えてなりません。
●運転士の日勤教育について
事故車両を運転していた運転士(死亡)は若干23歳の若さでした。おそらく、年齢的に私と同い年ではないかと推測されます。同い年と言うこともあり、この運転士についてはいろいろと考えさせられるところがあり、事故当日の心情的にも同年代として少し分かる気が個人的にしています。
報道によると、この事故車両を運転していた運転士は過去にもオーバーランを行ったことがあり、日勤教育を受けていたとの報道がされています。この日勤教育と言うのは、報道によるといわゆる問題を起こした人に対して、再教育を行うことらしいのですが、問題はその中身その性質です。
JR西日本の場合、「日勤教育」について、その制度自体は存在するものの、その実施内容や、対象者の評価については、現場の管理職に一任されているということでした。なるほどね、とニッシーは感じました。この制度では、効果は何も得られないと考えるからです。
私は、昔某クレジットカード会社でカードの勧誘の仕事をやっていたことがあります。具体的には、お客様にクレジットカードの契約を進めるアルバイトです。しかし、なかなか最初はお客様に足を止めてもらえず、「なぜ」と考えた時期がありました。「なぜ、お客様は足を止めてくれないのか」「なぜ、そうなってしまったのか」このなぜを繰り返すと自分自身の落ち度(原因)が少しずつ分かってきて、慣れていったと言う経緯が過去にありました。
何が言いたいかというと、この「なぜ」と言うことを考えるのが必要ではないかと考えるからです。今回の運転士の日勤教育ではこの「なぜ」をやらせていたらしく、この記事の信憑性があればそのこと事態は非常に大切なことだと思います。しかし、その結果を単に上司が評価をし、対象社員個人の問題として処理して終わりにしていたのではないかと思います。これでは折角の日勤教育も、何の意味も持たず、単に「会社の言う事に忠実で、小さな問題を起こさない社員を作った」と言うことにに過ぎません。
そして、小さな問題が見えなくいなっているうちに、今回のような大きな問題を発生させてしまった。今回の事故は、こうした日頃の「悪い積み重ね」がその原因にあったと考えられるのではないでしょうか。その点が大切だと考えます。
●JR西日本の労働組合
ところで、JR西日本と言う会社について考えてみると、会社そのものとしてはおそらく東日本と同じくらい(それ以上)の大きな会社だと思います。大きな会社になれば、なるほど、労働組合の規模やその発言力も大きいと思うのですが、今まで述べたような問題点について、果たして労働組合がどの程度考え、発言や実行をしてきたのかも個人的には気になります。
中小企業等といった労働組合とは名ばかりのところだと話は別ですが、あの天下のJRの労働組合です。他の大企業の労働組合と一緒でそれなりの発言力等はあるのではと思っていました。しかしな、今までの報道を見ている限り、会社の責任を問う発言はあっても、それに対し組合として「今までに何をしてきたか」という点が全く報道されてきていません。あえて、マスコミが報道しないのかそれとも、JRの労働組合が骨抜きにされてしまったのか。真意のほどは分かりませんが、労働組合は何をしてきたのかと言うのがさっぱり報道から分かってきません。この点は、報道機関はきちんと考えているのでしょうか。(ま、さほど考えていないと思いますが)
話は変わりますが、5月11日付けの朝日新聞の記事にJR西日本乗務員に嫌がらせなる記事が載っていました。(http://www.asahi.com/national/update/0510/OSK200505100052.html)嫌がらせをする人がどういう意図でやっているのかそれはわかりませんが、少なくとも今回のマスコミの過剰報道が少なからず関わっているのではとそんな風に考えずにはいられません。それにこの記事、本当に事実をただ伝えているだけで、それについて言及もしていなければ嫌がらせをする人たちは何をやっているんだ!的な報道はさほどせず、さらっと流してしまっている感がします。そこにまた、マスコミの意図を感じられずにはいられません。
あまりに感情に先走る報道をしてバッシングを続けていると、別な面での危険性を見失い、結果として多くの人達に不利益をもたらすような結果につながる可能性があります。
マスコミにはもっと事故の本質を掘り下げて報道を望みたいところですが、現時点では無理でしょう。なので、その本質は私たちが報道からわかることを分析し、自分達で考える必要があります。常識を疑う目というのはそういう意味で大切なのです。
私は、現在この一連の列車報道に怒りを覚え、現在社会心理学に関する本を読んでいます。今、私たちの周りに起こっている社会的現実と言うのはどのように作られているのか、それらにどう対処していったらいいのか。マスコミがあまり信用できない今、自分でその道を探そうと少しながら本をかじっているところです。
●事故当日ある車掌区ではボウリング大会が行われていたことに関して
これは、事故が起きた後すぐに出てきた報道です。この件に関してもマスコミはこのボウリング大会に参加した人が悪い的な報道をしていますが、ことの本質はそこではないと思います。
電車の乗務員と言うのは、時間によって完全に縛られておりそこには個人の裁量というものが存在しません。よって、ボウリング大会や宴会等といったいわゆる親睦会と言うのを開催する場合、各乗務員の勤務体系に完全に縛られることになります。電車の乗務員というのはそういうものです。
その中で、事故が起きたというこの状況の中でもボウリング大会を行った即ち、「予定を全うした」この点については、前回の?で書いたたまたま事故車両に乗り合わせていた2名の社員と同じではないかと私は考えます。
ここから何が考えられるか、もちろん私の推測になりますが会社が何を第一に考え、何を社員に要求をしてきたかここがことの本質ではないでしょうか。ボウリング大会に参加した人ではなく、ここは会社すなわちJR西日本の体質と見るべきであると私は思います。つまり、今回マスコミが面白がって野次馬的にバッシングをしている社員たちはいわば「会社に忠実」だったと考えられるのではないでしょうか。その点を追求せず、個人の行いをひどく責めるマスコミのやり方には腹立たしさを覚えてなりません。
●運転士の日勤教育について
事故車両を運転していた運転士(死亡)は若干23歳の若さでした。おそらく、年齢的に私と同い年ではないかと推測されます。同い年と言うこともあり、この運転士についてはいろいろと考えさせられるところがあり、事故当日の心情的にも同年代として少し分かる気が個人的にしています。
報道によると、この事故車両を運転していた運転士は過去にもオーバーランを行ったことがあり、日勤教育を受けていたとの報道がされています。この日勤教育と言うのは、報道によるといわゆる問題を起こした人に対して、再教育を行うことらしいのですが、問題はその中身その性質です。
JR西日本の場合、「日勤教育」について、その制度自体は存在するものの、その実施内容や、対象者の評価については、現場の管理職に一任されているということでした。なるほどね、とニッシーは感じました。この制度では、効果は何も得られないと考えるからです。
私は、昔某クレジットカード会社でカードの勧誘の仕事をやっていたことがあります。具体的には、お客様にクレジットカードの契約を進めるアルバイトです。しかし、なかなか最初はお客様に足を止めてもらえず、「なぜ」と考えた時期がありました。「なぜ、お客様は足を止めてくれないのか」「なぜ、そうなってしまったのか」このなぜを繰り返すと自分自身の落ち度(原因)が少しずつ分かってきて、慣れていったと言う経緯が過去にありました。
何が言いたいかというと、この「なぜ」と言うことを考えるのが必要ではないかと考えるからです。今回の運転士の日勤教育ではこの「なぜ」をやらせていたらしく、この記事の信憑性があればそのこと事態は非常に大切なことだと思います。しかし、その結果を単に上司が評価をし、対象社員個人の問題として処理して終わりにしていたのではないかと思います。これでは折角の日勤教育も、何の意味も持たず、単に「会社の言う事に忠実で、小さな問題を起こさない社員を作った」と言うことにに過ぎません。
そして、小さな問題が見えなくいなっているうちに、今回のような大きな問題を発生させてしまった。今回の事故は、こうした日頃の「悪い積み重ね」がその原因にあったと考えられるのではないでしょうか。その点が大切だと考えます。
●JR西日本の労働組合
ところで、JR西日本と言う会社について考えてみると、会社そのものとしてはおそらく東日本と同じくらい(それ以上)の大きな会社だと思います。大きな会社になれば、なるほど、労働組合の規模やその発言力も大きいと思うのですが、今まで述べたような問題点について、果たして労働組合がどの程度考え、発言や実行をしてきたのかも個人的には気になります。
中小企業等といった労働組合とは名ばかりのところだと話は別ですが、あの天下のJRの労働組合です。他の大企業の労働組合と一緒でそれなりの発言力等はあるのではと思っていました。しかしな、今までの報道を見ている限り、会社の責任を問う発言はあっても、それに対し組合として「今までに何をしてきたか」という点が全く報道されてきていません。あえて、マスコミが報道しないのかそれとも、JRの労働組合が骨抜きにされてしまったのか。真意のほどは分かりませんが、労働組合は何をしてきたのかと言うのがさっぱり報道から分かってきません。この点は、報道機関はきちんと考えているのでしょうか。(ま、さほど考えていないと思いますが)
話は変わりますが、5月11日付けの朝日新聞の記事にJR西日本乗務員に嫌がらせなる記事が載っていました。(http://www.asahi.com/national/update/0510/OSK200505100052.html)嫌がらせをする人がどういう意図でやっているのかそれはわかりませんが、少なくとも今回のマスコミの過剰報道が少なからず関わっているのではとそんな風に考えずにはいられません。それにこの記事、本当に事実をただ伝えているだけで、それについて言及もしていなければ嫌がらせをする人たちは何をやっているんだ!的な報道はさほどせず、さらっと流してしまっている感がします。そこにまた、マスコミの意図を感じられずにはいられません。
あまりに感情に先走る報道をしてバッシングを続けていると、別な面での危険性を見失い、結果として多くの人達に不利益をもたらすような結果につながる可能性があります。
マスコミにはもっと事故の本質を掘り下げて報道を望みたいところですが、現時点では無理でしょう。なので、その本質は私たちが報道からわかることを分析し、自分達で考える必要があります。常識を疑う目というのはそういう意味で大切なのです。
私は、現在この一連の列車報道に怒りを覚え、現在社会心理学に関する本を読んでいます。今、私たちの周りに起こっている社会的現実と言うのはどのように作られているのか、それらにどう対処していったらいいのか。マスコミがあまり信用できない今、自分でその道を探そうと少しながら本をかじっているところです。
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