授業

2005年4月20日
塾のアルバイト終了後、中学・高校教師の話になった。最近は、中学・高校教師が予備校の先生に教え方を伝授してもらっていると言う記事を時たま目にする。確かに、塾の先生は教え方はうまい。言わばそれは当たり前で、塾は先生がまさに商品なので良い商品にならなければならない。また、中学・高校の先生にあるいわゆる授業以外の時間もないし、教え方を考える時間がある。そういった意味で、生徒も塾のほうに流れている一つの要因になっていると思う。

授業がつまらない。まぁ〜いつの時代になってもよく聞く言葉だ。実際、ニッシーも授業がつまらないと感じたことはこれまでに多々ある。このように生徒が感じてしまう原因はいったいどこにあるのか。私は、先生にもあり生徒にもあると思う。

まず、先生のほうだが、ま、教科書どおりの説明で工夫がなかったりただ、教科書や資料を棒読みしているしているだけ、喋り方も単調で何も工夫がない。これでは生徒がついてこないわけです。ま、全ての中学・高校がこんな先生とは言いませんが、少なくともこういう先生はどこの学校にも1人や2人はいます。これは、先生に非があると私は思います。大学になるとほとんどの先生がそうなのかな?(そもそも大学の先生は教えるのが仕事ではないので仕方ない気もしないでもないですが、大学が成す意味と言うのを考えると問題はあると思います。)

生徒に非があると言うことはどういうことか。例えば、先生がいくら熱心に語りかけてもあまり反応してくれない。これは、中学・高校でも時たま見られますが、大学の授業はまさにこんな感じの授業が多い。ニッシーも、時たまみんなの前で授業とまではいかないが話すこともあるのだが、一つ一つ気合を入れて話しても反応を示してくれる人は少ないな〜と話しながら感じています。今は、そんなもんだと思って割り切れるようになりましたが、みんなの前で話す機会が出てきた当初は、その何を言っても反応がない空気が何か嫌で、逃げ出したいと思ったことが多々ありました。

やっぱり、喋る側からしてみれば反応してくれるところは素直に反応してほしいなと思ってしまいます。結局分かっているのか分かっていないのか分からないまま話が進んでしまいますし、一体いいのかな?と正しいことを喋っていても疑念感を抱きつつ喋っていると言うことになるからです。分かったら大きく頷くとか、へぇ〜って表情をするとかしてくれたらいいのにな〜と思っています。それを引き出すのが話す方の役目と言われてしまえばそれまでですが、聞いている人も感情を素直に表してもいいのではないかなと、そんな風に感じていますがいかがでしょうか。

3月、ベトナムに行ったとき実際ベトナムの大学で留学している学生に色々と話を聞いたのですがその人は、「日本の大学にいるより授業はよっぽど面白いです!」と生き生きした表情で答えてくれました。そして、この話を聞いていたある女子学生は「私は大学の講義で今まで真剣に聞いた授業は1つもない」と言っていました。お国性っていうのもあるんでしょうかね〜。真剣に聞いた授業が1つもない。教員にも原因があるでしょう。しかし、この生徒は果たして授業をまじめに聞いていたのか。その上で、つまらないと感じたのなら教員が悪いでしょうし、何だかただなんとなく聞いていたんじゃどの授業もつまらないと感じられてしまうことでしょう。ここに日本の大学生とベトナムの大学生の差があるのかなと思ってしまいます。

あくまで、個人的願望ですが将来的には一度でいいのでベトナムの大学で講義をしてみたいです。日本とどれくらい違うのでしょうか?とまぁ〜偉そうなことを言っていますが、私もなかなか反応は示さないですけどね。最近はそれではまずいなとは感じているので、話していることがわかったときとか分からない時とかは、今度からそれなりに少しでもいいから反応を示してみようかなと思っています。

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