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教わることとは
2004年8月23日ニッシーは現在塾講師のアルバイトをしている。担当しているのは中学1年生の男の子。普通の人と比べると若干理解度は遅いが、それなりにやり甲斐がある。そんなある日のこと。夏期講習も終わり、帰ろうとしたときにたまたま専任の先生とお話しする機会があった。そこで、こんな会話が出てきた。
「ニッシー先生、教えていて大変じゃないですか?」
まぁ〜、確かに普通の人と比べるとその子は理解度は遅いので、そういう意味では大変なのかもしれないが、ニッシーはそのように感じていない。これ自体は、一歩ずつ、一歩ずつ前へ進んでいくしかないと思っている。
そもそも教わることってどんなことだろうと考える。教わることと言うのは時と場合にもよるけど、新しいことを学ぶこと。新しいことを学ぶって言うのはつまり、新しいことを知ることだ。新しいことを知ることって本来は楽しいことではないだろうか。これは私の持論であるが、新しいことを知ることは楽しいことである。これが、基本だと私は思っている。
だから、ニッシーの指導ももちろん楽しくやっている・・・つもりである。ニッシーは数学と英語を担当。数学に関しては、解放の丸暗記こんなことはせずに、掘り下げて掘り下げて、今まで使える範囲の中で出来るように何とかしている。しかし、中学生だとあまり掘り下げすぎると何がなんだか分からなくなってしまうので、ま、ほどほどに掘り下げる。だから、時には強引に「こうだ!」と言うこともあるが、基本的な方針は変わらない。
例えば、-3-6と言う問題があったとしよう。計算の苦手な生徒はここでつまづく人が多い。どうやら少しでも複雑になってしまうと引き算は抵抗があるらしい。だったら、足し算にしてしまおう!と言うのが私の教え方。-3-6と言うのは、-3+(-6)と一緒。これだと計算できる人が多いので、このもって行き方だけを教えている。ポイントは
『引き算は足し算に』と言うことである。
英語の場合は、ちょっと解放をひたすら・・・と言う形になってしまってはいるが、まず、動詞に主眼を置いている。中学生の英語は動詞が分かっていればおそらく6割は出来るからだ。そのため、動詞の特長についての説明が授業中も大半を占める。後は、問題集ひたすらといった感じだ。
そして、たまにこのセリフを言う。
「こういう問題(計算問題・動詞の問題・単語etc)は、塾でやらなくても自分の家でも勉強できるよね。だから、学校の問題集とか使って色々なもんだをやると良いよ。」と。実際問題、中学生でこのセリフを言ってやる人って言うのは少ない(事実、おそらく私の教えている生徒もやっていない。(^_^;))もしも、1問でも解いてくれて感覚をつかんでくれたら。と思っている。
とまぁ〜色々書いてしまいましたが、基本的に教わることは楽しいこと。これを主眼にやっている。そして、そういう風にさせるのは教える側の教え方とその熱意だと思う。もちろん、生徒がやるということが一番大切なのですが・・・最近になってちょっとだけ、ちょっとだけそれなりの教え方に近づいたかなと感じるにわか教師の戯言でした。
「ニッシー先生、教えていて大変じゃないですか?」
まぁ〜、確かに普通の人と比べるとその子は理解度は遅いので、そういう意味では大変なのかもしれないが、ニッシーはそのように感じていない。これ自体は、一歩ずつ、一歩ずつ前へ進んでいくしかないと思っている。
そもそも教わることってどんなことだろうと考える。教わることと言うのは時と場合にもよるけど、新しいことを学ぶこと。新しいことを学ぶって言うのはつまり、新しいことを知ることだ。新しいことを知ることって本来は楽しいことではないだろうか。これは私の持論であるが、新しいことを知ることは楽しいことである。これが、基本だと私は思っている。
だから、ニッシーの指導ももちろん楽しくやっている・・・つもりである。ニッシーは数学と英語を担当。数学に関しては、解放の丸暗記こんなことはせずに、掘り下げて掘り下げて、今まで使える範囲の中で出来るように何とかしている。しかし、中学生だとあまり掘り下げすぎると何がなんだか分からなくなってしまうので、ま、ほどほどに掘り下げる。だから、時には強引に「こうだ!」と言うこともあるが、基本的な方針は変わらない。
例えば、-3-6と言う問題があったとしよう。計算の苦手な生徒はここでつまづく人が多い。どうやら少しでも複雑になってしまうと引き算は抵抗があるらしい。だったら、足し算にしてしまおう!と言うのが私の教え方。-3-6と言うのは、-3+(-6)と一緒。これだと計算できる人が多いので、このもって行き方だけを教えている。ポイントは
『引き算は足し算に』と言うことである。
英語の場合は、ちょっと解放をひたすら・・・と言う形になってしまってはいるが、まず、動詞に主眼を置いている。中学生の英語は動詞が分かっていればおそらく6割は出来るからだ。そのため、動詞の特長についての説明が授業中も大半を占める。後は、問題集ひたすらといった感じだ。
そして、たまにこのセリフを言う。
「こういう問題(計算問題・動詞の問題・単語etc)は、塾でやらなくても自分の家でも勉強できるよね。だから、学校の問題集とか使って色々なもんだをやると良いよ。」と。実際問題、中学生でこのセリフを言ってやる人って言うのは少ない(事実、おそらく私の教えている生徒もやっていない。(^_^;))もしも、1問でも解いてくれて感覚をつかんでくれたら。と思っている。
とまぁ〜色々書いてしまいましたが、基本的に教わることは楽しいこと。これを主眼にやっている。そして、そういう風にさせるのは教える側の教え方とその熱意だと思う。もちろん、生徒がやるということが一番大切なのですが・・・最近になってちょっとだけ、ちょっとだけそれなりの教え方に近づいたかなと感じるにわか教師の戯言でした。
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