日本とアメリカ

2003年4月7日
4月8日の朝日新聞スポーツ面に面白い記事がのっていた。『岩崎恭子さんLAでコーチ留学』という記事である。

岩崎恭子さんについては、以前にもニッシーのホームページ上の中で紹介したことがあった。確か以前はスポーツ選手についてのエッセイか何かで、岩崎恭子さんが普通の人だった、プロ選手にはそれ以上の何かがあるみたいなことを書いた覚えがある。

今回ニッシーが注目したのは岩崎恭子さんの言葉のところである。今回岩崎さんは、日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員制度を利用してアメリカで指導するそうだが、彼女自身5歳から水泳を始めて、14歳で泳ぎの頂点を極めてしまった人である。バルセロナオリンピックの「今まで生きていた中で一番幸せです。」という彼女の言葉を覚えている人は多いだろう。

しかし、彼女は高校生のころあたりからプールに立つことは少なくなっていった。人としての何かが出てきた。かつて、ニッシー彼女が大学生時代のことをエッセイにして書いたことがあったが、「今、一番大変なのは卒論です。」といったのが非常に印象的だった。彼女は普通の人になったのだ。それが、彼女にとっての居場所だったのかもしれない。

彼女は、アメリカと日本の指導スタイルの違いをこう語っている。「例えば、日本では早く泳いでもらおうと、だめなところを直していきます。しかし、こちら(アメリカ)はいい所をしっかりほめます。」最後に、ほめてばかりではだめです。とは書いてあるが、ニッシーも自分が審判をやっていてアメリカ式のことを取り入れていることもあり、非常に共感できるところが多い。

これは水泳だけに限ったことではない。日本でのスポーツ指導そのほか、いわゆる経験者・先輩が指導するとき、指導する全般について成り立つと思う。日本人は、悪いところを直そう直そうと思って悪いところを指摘して行く指導者が多い。確かに、この方法は自分の悪いところが分かって一見良いように見えるかもしれないが、ずっとこの日本式の指導だと自らも経験があるのだが、どこがいいのかがわからない。結局自分がなんだか分からなくなってしまう。皆さんもそんな経験がないだろうか。

現にニッシーも野球の審判の例を1つとってみても全日本軟式野球連盟でやっているほうは、指導を受けるのだが、大体は悪いところの指摘。良いところは言ってくれないことが多いです。最近はそんなことも徐々になくなってきてはいますが、それでもまだまだそういう指摘が多いですね。結局どうすればいいのか分からない時期もありました。

そうではなくて、アメリカの指導ではこれは野球の審判の指導法に関しても言えることなのだが、アメリカというのはいいところを伸ばそう!伸ばそう!という考え方なので、とにかく良いと思ったところはほめる。ほめて伸ばすという考え方なのだ。人間ほめられると嫌になる人は少ないと思うし、また自分のやる気にもつながり、もっとがんばろう!という気持ちになると思う。現に、ニッシーもほめられると嫌な気はしないし、うれしくなる。

もちろんアメリカがすべてという気もないし、時には悪いところを指摘することも必要だろう。ただ、日本人は島国根性見たいのがあってどうしても前者に走ってしまう。これではマイナスの方向に向かう人も出てくると思う。現に、ニッシーの友達にでも「練習が辛いからやめた。」と言ってスポーツをやめてしまう人もいる。また、「指導者との相性があわない」という人もいる。全てが全てではないだろうが、こういうのってどこかに指導者の指導法みたいなのが少なからずともかかわってきているのではないかと考える。

本当に好きならば、たとえ練習が辛くても乗り越えられるはずだし、指導者と相性が合わなかったとしても地道に努力することとか可能になると思う。それができないということは、やっぱりどこかに指導法というのが絡んでくると思われる。

最後に岩崎さんはこう言っている。「水泳をしているから、何かで頑張れる。何かのきっかけになってもらえればいいと思うのです。私がそうだったように。」彼女も高校時代・大学時代非常に進路について悩んだそうだ。水泳をやめてしまいたいと思ったこともあったと聞く。でも、そこで彼女を思いとどまさせたのは、やはり水泳だったと思う。すきであるということ。これは非常に大切なこと。技術云々の前に。

そして、指導者にはこの好きだという気持ちをうまく伸ばしてあげられるような指導をすることが大切だ。悪いところを直そう、直そうではなくいいところを伸ばそう伸ばそうと、いう指導法。日本でももっととりいれてほしい。

岩崎さんからニッシーが学ぶところは多いです。これからも頑張ってください。

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