かけひき

2002年8月13日
先日もうずっと前になるが、高校野球茨城大会決勝戦を見に水戸市民球場まで行ってきた。水戸商業−常総学院と言う高カードの決勝戦。ニッシーも内心わくわくしていた。

試合が動いたのは序盤だった。水戸商業が3回までに一挙6点を取り、6−1と常総学院に対して大量リードを奪う。水戸商業の投手のきれもよく、バックもファインプレーを連発。5回まで6―1で進む。このまま水戸商業が優勝してしまうのか?一瞬そのようなことがニッシーの頭の中をよぎった。

しかし、ここから常総学院の反撃が始まった。6回に長打・短打を重ね、一挙に4点を取り6―5に。それでもまだ、1点差で水戸商業のリード。しかも、あわや常総の逆転か!と言ったところに、水戸商業のファインプレーも出て、流れはまだ水戸商業にもあるとニッシーは1点差になってもそう思った。

しかし、7回。先頭バッタ−が出塁すると、ここぞ勝負とばかりに。常総ナインの集中力が光る。選手達もそれを分かっていた。安打などで満塁となり、ここぞとばかりの何と満塁ホームラン。一挙に4点を取り試合を決めた。にっしーこんな鳥肌の立つような試合を見たのは久しぶりで、最後は興奮している自分がそこにいた。

この試合は、まさに常総学院のかけひきが見事に的中した!そんな試合だったように思う。人間は様々な機会で様々なかけひきをする場面に出会う。ここが勝負と思ったとき、力説をして相手を説得させる。論述式の試験で、自分の勉強したところが出題されそれが高配点だった時、ここぞ勝負とばかりにあらゆる力を発揮する。かけひきをする場面は人によってまちまちだが、少なくとも結構日常生活の中で経験はあると思う。

試験や野球のようにかけひきをする相手が人以外のものだったら、自分が今までやってきた事、自分が今まで学んだ事等を十二分に発揮できるかどうか。今までやってきたことをそこで使えるか、使えないか。と言ったようなある意味比較的単純なプログラムで住む場合が多い。

問題なのは、かけひきをする相手が人のときであろう。自分がいくらここが勝負だ!と思い、かけひきをしてもそれは相手あってのこと。自分の思っていることと他人の思っていることが歩み寄る、意志疎通をなさなければいくらかけひきをしても、結局は無意味なものに終わってしまう。この場合のプログラムは複雑になる。

代表的なものとして人との駆け引きに恋愛が上げられる。恋愛とは2人の意志疎通があって初めてなされるもの。自分が、いくらこの人が好きだと思っていても相手がそのように思っていなかったら意味がないわけで、かけひきをするタイミングも難しくなってくる。どのタイミングで相手を振り向かせるか?どういう状態で?その時の相手の気分は?相手の予定は?相手は自分の事をどう思っているのか?かなりかけひきのプログラムが複雑になってくる。これがあるから恋愛は面白いと言う人も中にはいるみたいだが、でもやっぱりなんかすごいかけひきになっている。

かけひきの上手い人。それは、全てを自分の思い通りに動かせる人。かけひきの下手な人。簡単に言ってしまえば苦労人。閉ざされた暗い闇に包まれ、前が見えない。でも、可能性は0ではない。少しずつではあるが、至福の光も差し込んできている。それはまだ目には見えていないかもしれないけど、いつか見える日が来る。そう信じて頑張っていこうではないか。とかふと思うときもたまにある。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索