立場について?

2002年7月22日
テールライトの別バージョンを書こうとしたのですが、只今資料として使わせていただいている『UTA-NET』がサーバーメンテナンス中(7月24日まで)のため、普通のエッセイを書くことに。もしよろしければ読んでください。

※結構内容は過激かもしれないですが、決して攻撃とかそういう意味ではないので誤解なさらないでください。自分の思ったことを書いています。

先日、久しぶりにサークル主催の会議に行ってきました。と言っても、ニッシーはただ報告と言うか、そういうのをするだけだったので、すでに業務上に処理できる立場ではないと言うこともあり、誠に申し訳ないとは思ったのですが、私的の所用から、会議開始時刻から40分くらい遅れて行って、さりげなく帰ってくる予定でした。ところが、会議はまだ始まっていませんでした。どうも、結構色々あったらしくまだ始まっていなかったとのことです。まぁ〜今回のみだけと思いますが、最近は結構時間に関しては徹底されているみたいで、内部からの指摘もあり、皆納得していました。

ニッシーが1年のとき、今よりもっと時間にはルーズでした。時間厳守のニッシーにとって、これはすごく耐えがたいことでした。2年生なって、このことを皆の前で言ったことがあります。そしたら、ニッシーはこう言われました。「うちらも無理言って集まってもらってるんだからそんなこと言うなよ。」「みんな色々と事情があるんだからしょうがないんじゃない?」あたかも、遅刻することを正当化しだしたのです。締切りに関してもそんな感じでした。

ところが、今は時間厳守締切り厳守の風潮になってきており、徹底されていないときちんと皆で指摘しあうというようになってきています。どういう経緯でこういう流れに成ってきたのかは、計り知れますが、どうなのでしょう?権力のあるお方が、このことに関して言ったことがあります。それで、皆自分のやってきたことを反省したらしくそれで次第に変わっていった。というところでしょうか?まぁ〜真実はどうなのかはわかりませんが、どういう状態であったセよ、ニッシーが思うのはなぜ、ニッシーが言ったときには変わらなくて今になってこういう風潮になっているのか?すごい疑問です。つまり、ニッシーが言ってもダメなんですか?ってことですよね。今回は時間に関してのみ書きましたが、そういうのは、他の面でも結構見受けられました。ニッシーの中では。自分が指摘してもダメで、他の人が指摘するとみんなそれに従うと言ったようなことが。もちろん全てではありませんし、みんながみんなそうではないと言うことは分かっていますが、一部ではそういうことがあったと思います。

話は変わりますが、先日戸川京子が亡くなりました。お姉さんの戸川純が葬儀で言ってました。「あの子はみんなが持ってるイメージ通りの明るい子でした。でも頑張りすぎてポキンと折れてしまったんじゃないか」。戸川京子の心の葛藤はニッシーはわかりませんが、頑張りすぎてポキンと折れる、という表現がショックでした。

いろいろ刺激が多い現代だからこそ、その流れに馴染めない人やこぼれてしまう人もたくさんいると思います。でも何より一番大切なのは自分自身に嘘をつかないことだと思う。自分の感情を自分で裏切らないことではないか、と思いました。自分に嘘をついて行動しても、そのしっぺ返しは必ず自分にくる。頑張り過ぎて笑顔を繕ってもいつか壊れてしまうのではないかと今回の戸川純のコメントで感じたことです。

そしてもう一つ大切なのは、そういういろんな人たちのことを否定しようとせず理解しようとする姿勢や気持ちではないかと思いました。別にニッシーの意見が否定されていたとはならないとは思わないのですが、結果的にそうなってしまったのかな〜?とか色々と考えまいました。最近の様子を見て。

自分は世渡りも下手だし、うまく気持ちを表現することが出来ません。口も上手くないし。でも、自分自信には嘘はつかないできちんとやってきたつもりです。だから、その部分で負けてしまったのかな?どうなんでしょうか?今後どうすれば良いのか?ちょっと悩んでいます。ニッシーという一個人として。これからの接し方として、そして今後のニッシーの将来における人との接し方・付き合い方において。こぼれちゃう人になってしまうのかな〜?と。本当の自分を模索中です。

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