恋愛について

2002年5月14日
久々にこのタイトル。この言葉と無縁になって、もうすぐ半年になろうとしている。自分に訪れてくる人生というのは不幸なものしかない。と落ち込んでいたときよりは多少は回復してきた。ま〜完全ではないが、もうあの件についてあぁ〜だこうだ言うことはないだろう。

最近は、特にこれといって何もありません。ずっと独り者です。一人のほうがかえって楽です。自分の時間は持てるし、自分のペースで動けるし、かえってこっちの方が楽なのかな?とか最近思ってきました。

ホームページに恋愛のことを書くのもしばらくの間は休止したいと思っています。なので、最近はニッシーすら裏コンテンツを全然見ていません。て言うか書く意義はもう無いような気がしてきたので。多分しばらくの間は書かないでしょうね。もしかしたら一生書かないかもしれない。ま〜それはその時々のニッシーの状況で。

そして、それと同時にこのダイアリ〜の〜とにも恋愛のことは書くつもりはありません。たとえ、誰かと付き合ったという事実が生じたとしても。ここに書く意義がないからです。書いたところでどうにかなるものではないと思うし。だから、ニッシーの恋愛はまずないと思いますが、それを知っている人は今後は何かの縁でニッシーが恋しているという事実を知った人。この人のみに限られますね。ま、芋づる式に広がっていくとは思いますけど。確認の意味で書いておきますが、現在ニッシーには彼女・恋人と呼ばれるような存在はいません。

さて、「ニッシーは友達で終わるタイプ」これは中学生のときから今にいたるまで、何人もの人に言われてきた言葉です。そして、自分自身でもこれは当たっていると多少なりとも思います。そして、自分がこの事を話すとこの話しを聞いた、全員の人が「あ〜」と同意する態度を取ります。つまり、「ニッシーは一生彼女出来ないよ。」とニッシーが言うと「いやいや、そんなことはないよ!ニッシーだって、彼女絶対出来るって」という類の人は多々いるのですが、「ニッシーは友達で終わるタイプじゃん」と言うニッシーの問いに関しては、「あ〜」と全ての人が同意を示しています。ここで、「いやいや、そんなことないよ!」と言う人が1人もいないのです。なので、その様な人に会ったことがまだありません。

これは、別にその言葉を発した人にあぁ〜だこうだ言っているのではないので誤解なさらないでください。問題は、最近ニッシー自身自分のその様な性格を容認してきた。そのように思うのです。そうと自覚してしまえば、異性と接するのは簡単です。持ち前のニッシースマイル等々で、異性とも気軽に話せます。学科の友達、サークルの友達等々。普通に喋る分には何も支障はありません。ま、あまり縛られるって事がないのでこっちの方が楽なのかな?って最近思ってきました。

だから、別に彼女なんて出来なくたって良いいんジャンと最近思ってきて、誰とでも均等に接しようと。最近そのように思ってきました。

しかし表面上はそう思っていても、内面はそれとは裏腹みたいで、今でも街中で異性と2人で仲良くしている姿。日記にいろいろと恋愛について書いてあること。2人でデートをしている姿を見ると、あぁ〜やっぱり自分もあぁ言う存在がほしいな〜。と無性に思ってしまいます。そこが事実と矛盾している所ですね。

自分はあまり過去をふりかえると言うことはしない人間なのですが、時たま「もし」の存在について考えます。これは恋愛のみならず、他の何事についてもそうです。

■もし、あの時始めの時点できちんとビジョンを見通していれば、もっとスムーズに審議が進んでいただろう。

■もし、あの時きちんと右を確認していたら、接触をしなくてすんだのだろう。

■もし、自分にもっと威厳があったらきちんと質問に答えられただろう。

■もし、2年生の授業をまじめに出ていたら、もっと良い単位が取れただろう。

■もし、あの時きちんと注意していれば、角質は持たなかっただろう。

・・・・・・そして

■もし、今恋人がいたら、幸せな人生を送っているだろう。愚痴を言っているだろう。色々打ち明けていただろう。

と・ま〜挙げればきりがない。本当はタイム士マシーンでも使って、『もし』のせかいを現実の世界にしてしまえばいいのかもしれない。しかし、人生に『もし』の理念は通用しない。それは、あくまでももしの世界であり、それを認めることは即ち嘘を認めることになる。しかし、人は『もし』の言葉をよく使う。

もしの回数と人生経験が比例して行くと良いのだが・・・

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