やさしさ
2002年1月31日やさしさってなんだろう?どういうのをやさしさというんだろう?やさしい『他人に対して思いやりがあり情がこまやかである』(大辞林より)
思いやり、情がこまやか。人によってその認識は様々だ。先日まで行われていた大相撲初場所、関脇琴光貴の大関昇進が焦点となった。3場所合計の勝ち星は34勝。大関昇進の目安である33勝はクリアした。しかし、横綱審議委員会は琴光貴の大関昇進を認めなかった。精神面のもろさが原因らしい。そして、ニッシーが印象に残ったのは委員長の言葉だった。「もう一番やって真の大関になってほしいつらい選択だった。」成績だけ見れば十分大関になれる存在。しかし、あえてもう一場所関脇をすることで本当の意味での真の強さを作ってほしい。そこには委員長の本当の意味でのやさしさが感じられた。
武士の情けという言葉がある。本当はいけないんだけど情けで何とかしてあげる。「本当はもうダメなんですよね〜」とか言いながら、しょうがないな〜と言って認めてしまう。それが今までのニッシーだった。向こうには向こうの事情もあるだろうし、多少遅れてもいいのでは?そこはやさしさで何とかしてあげようと。自分は今までこういうのをやさしさだと思っていた。
しかし、ある人は違った。先日茨城某所で委員会が行われた。その中で、締め切りを遅れてきたものの対応をどうするかという審議が行われた。自分は前者の考えだったので締め切りが遅れてもまぁ〜そこのところはやさしさで。と思い、認めてもいいのではないかと思った。それですんなりいくのでは?とはじめは思った。しかし、ある人の考えは違っていた。
社会に出たら締め切り破りというのは通用しない。それにここで認めてしまったら、委員会の体質そのものが問われる可能性がある。なので、締め切りを遅れた人に対しては認めるものではない。ここはこれから社会に出ることも考えて本当の意味でのやさしさで認めないとしたらいいのではないか。ある人は、ここでやさしさという言葉を使った。それは自分のやさしさという考えをこえたものだった。自分より少し厳しいと一瞬感じた。しかし、筋は通っているし、納得できるものでもあった。また、これは自分自身やさしさというものに対して、すごく考えさせられた。
大学。はっきりいってここは何に関しても甘い宝庫である。ぬるいというべきであろうか。締め切りとか提出期限とか、そんなものは1つの目安と考えている人。少なからずとも多いと思う。それは、自分の今やっていることを考えても然りだと思った。
確かに、提出期限を遅れてしまったからダメだというのはある意味正当。しかも筋が通っている。しかし、厳しい一面もある。社会ではそれは通用しない。認めないとすることによって本当のやさしさを伝える。委員会としては後者の考えでもよかった気がした。
結果は、一票差で認めるになった。ニッシーは、その時点では前者のやさしさの考えだったので、認めるという風に判断をしたけど、本当はどうなんだろう?認めないにすべきだったのか?委員会としてはそっちでもよかった気がする。自分の判断は正しかったのか?はっきり言って今でも悩んでいます。
大相撲では後者の判断を適用し、委員会では意見が真っ向に対立した。結果として前者の考えだったのだが結果はわずか一票差だった。
やさとはいったい何なのか?武士の情け、これがやさしさなのか?それともあえて厳しくする。これがやさしさなのか。そして本当の意味でのやさしさとは何なのか?やさしさについていろいろと考えさせられました。みなさんはどうでしょう?どういうのがやさしさだと思いますか?
※大学ははっきり言って甘い場所。時間・締め切り・その他に関してもそんなものは目安だと思っている人が少なからずともいると思う。しかし、自分的にはそれを厳しくするのも・・・はっきり言ってやさしさとは何なのか自分自身でも模索中です。
思いやり、情がこまやか。人によってその認識は様々だ。先日まで行われていた大相撲初場所、関脇琴光貴の大関昇進が焦点となった。3場所合計の勝ち星は34勝。大関昇進の目安である33勝はクリアした。しかし、横綱審議委員会は琴光貴の大関昇進を認めなかった。精神面のもろさが原因らしい。そして、ニッシーが印象に残ったのは委員長の言葉だった。「もう一番やって真の大関になってほしいつらい選択だった。」成績だけ見れば十分大関になれる存在。しかし、あえてもう一場所関脇をすることで本当の意味での真の強さを作ってほしい。そこには委員長の本当の意味でのやさしさが感じられた。
武士の情けという言葉がある。本当はいけないんだけど情けで何とかしてあげる。「本当はもうダメなんですよね〜」とか言いながら、しょうがないな〜と言って認めてしまう。それが今までのニッシーだった。向こうには向こうの事情もあるだろうし、多少遅れてもいいのでは?そこはやさしさで何とかしてあげようと。自分は今までこういうのをやさしさだと思っていた。
しかし、ある人は違った。先日茨城某所で委員会が行われた。その中で、締め切りを遅れてきたものの対応をどうするかという審議が行われた。自分は前者の考えだったので締め切りが遅れてもまぁ〜そこのところはやさしさで。と思い、認めてもいいのではないかと思った。それですんなりいくのでは?とはじめは思った。しかし、ある人の考えは違っていた。
社会に出たら締め切り破りというのは通用しない。それにここで認めてしまったら、委員会の体質そのものが問われる可能性がある。なので、締め切りを遅れた人に対しては認めるものではない。ここはこれから社会に出ることも考えて本当の意味でのやさしさで認めないとしたらいいのではないか。ある人は、ここでやさしさという言葉を使った。それは自分のやさしさという考えをこえたものだった。自分より少し厳しいと一瞬感じた。しかし、筋は通っているし、納得できるものでもあった。また、これは自分自身やさしさというものに対して、すごく考えさせられた。
大学。はっきりいってここは何に関しても甘い宝庫である。ぬるいというべきであろうか。締め切りとか提出期限とか、そんなものは1つの目安と考えている人。少なからずとも多いと思う。それは、自分の今やっていることを考えても然りだと思った。
確かに、提出期限を遅れてしまったからダメだというのはある意味正当。しかも筋が通っている。しかし、厳しい一面もある。社会ではそれは通用しない。認めないとすることによって本当のやさしさを伝える。委員会としては後者の考えでもよかった気がした。
結果は、一票差で認めるになった。ニッシーは、その時点では前者のやさしさの考えだったので、認めるという風に判断をしたけど、本当はどうなんだろう?認めないにすべきだったのか?委員会としてはそっちでもよかった気がする。自分の判断は正しかったのか?はっきり言って今でも悩んでいます。
大相撲では後者の判断を適用し、委員会では意見が真っ向に対立した。結果として前者の考えだったのだが結果はわずか一票差だった。
やさとはいったい何なのか?武士の情け、これがやさしさなのか?それともあえて厳しくする。これがやさしさなのか。そして本当の意味でのやさしさとは何なのか?やさしさについていろいろと考えさせられました。みなさんはどうでしょう?どういうのがやさしさだと思いますか?
※大学ははっきり言って甘い場所。時間・締め切り・その他に関してもそんなものは目安だと思っている人が少なからずともいると思う。しかし、自分的にはそれを厳しくするのも・・・はっきり言ってやさしさとは何なのか自分自身でも模索中です。
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