うっぎゃ〜かなり久しぶりになってしまったよ〜。ここの日記。ちょっと自分のホームページのほうに力を出していたので、ここの更新怠っていました。ま、それはもうお知らせ済みだから良いのかな?^^ま、色々なことがあったわけです。そう、色々なことがね。ニッシーの身の回りでも。

しかし、便利な世の中になったものです。この間ニッシーのバイトしている寿司屋で奥さんが言っていたけど、コンピュータ。あれって不思議だよね。そして、便利だよね。0と1の世界。あるプログラムを入力すれば答えが出てくるんだよね。分からない問題もコンピュータに通してしまえば一発なんだよね。

でも、何でもかんでもコンピュータに当てはめるのもどうかと思う。例えば、裁判の例を取ってみても分かるように、裁判自体を全部コンピュータにやらせてしまえば裁判自体もかなりすぐに結果が出るし、法律という規則に当てはめてやるのだろうから、その法律にこの事例が合致するかどうかというのが自動的に分かるようなコンピュータを開発してしまえば、絶対に公平な裁判になるだろう。

しかし、そう言う考え方は少なくともニッシーは出来ない。

それはなぜかというと人間というのはデリケートな生き物だから、それでは片付けられない問題が出て来る時がしばしばあるんですよ。

よく言われるのが、心の痛み。精神的苦痛とかそういうの。だから、損害賠償とかあるんでしょ?(お金で片付けられる問題かどうかは別として)コンピュータはそこまで読みとってくれない。ただ、規則に当てはめただけでもそこまで読みとってはくれない。

解釈の問題かもしれないけど、それじゃ〜人間味がない。裁判だってそうだよ。コンピュータで裁判なんてやらない。やっぱり相手は人間だから、色々と気持ちを察してあげないとダメだと思う。そしてそれを何かの方法で示さないと。それが信頼というものにも繋がるのかもね。意見が対立するというのは当然あることだと思うしそれってある意味良いことだとニッシーは思うけど、ただだめだからだめ。ここに書いてあるからダメ。という事務的な答えではいけないと思う。少なくとも何か理由というものを示さなければ。

ニッシーは野球の審判でもそうなった理由は必ず説明する。選手からクレームをつけられたとき、「何でセーフなんですか?」「どうしてボークなんですか?」って聞かれたとき、「今のは、足が離れていたからセーフです。」「今のは、ふりかぶったんですよ。振りかぶったら打者にしか送球は出来ないんです」とかきちんと説明をする。ただ、「セーフだからセーフ」とか、「ルールブックに書いてあるから」とかそういう説明は絶対しない。説明をきちんとしてあげないと、納得しないと思うしきちんと説明をすることで、お互いに意志疎通が測れるものだと自分は考えているからだ。

勘違いしてほしくないのは、だからといって規則に当てはめるなといっているわけではない。そりゃ〜、規則や方法に当てはめてやる。それはある意味当然のこと。ただ、そのことについてきちんとみんなに説明をして理解してもらうというのが必要だと思うのです。そうしないと、何か自分の独断と偏見ととらわれてしまうかもしれないので。しかし、ある時は意見が対立する時もあるだろうし、ケンかになることもあるだろう。ニッシーも実をいうと、そうなってしまうのはちょっと苦手。

しかし、ある意味それは当然なことかもしれない。対立することによって、自分自信またよく考えるだろうし、それでもまだ納得いかなかったら自分の意見をそれなりに言えば良いんですよ。心の中に思っていただけでは絶対解決しないと思うし、でもそれって難しいんですよね。ニッシーもいまだに出来ないところもあるし。何かに書くという形でも良いんじゃないでしょうか?書くという動作になると自分の気持ちが落ち着くし、書きたいことが書けるようになるし。それで、書くっていう動作は結構みんな奥底にこめられた思いとか書いたりしているんだよね。結構良い方法なのかもしれない。

自分の思い通りにならなかったからって別にくじけることではない。べつにどうってことはない。そこからどうやってまた対話というものを成立させていくかと言うことをまたよく吟味してそれでも納得いかなかったら自分の思っていることを精一杯言えば良い事だし、それでいいのではないのかな?極端から極端に走らなくても。

ニッシーは、基本的に人の良心というものを信用したいと考えている人間なので、話せば分かると思っている。それでも、多々納得してもらえないこともある。そしたら、まず相手の意見をよく聞くことにしている。そして、相手の意見をよく聞いてそれをふまえた上で自分なりの見解を述べようとするように最近なってきた。

何かに当てはめてやる。これは簡単だし、とても合理的なやり方だと思う。ニッシーもそのやり方で間違いはないと思う。しかし、人間はコンピュータとは違う。ただ、事務的というのも相手は不愉快なものだと思う。コンピュータで裁判はやらない。そうやってしまえば早いのに。やっぱり相手は人間だから、色々と気持ちを察してあげないとダメなのよ。

便利な世の中になったけど、人の心は便利にならない。むしろ複雑になるばかりだ。この年になって、やっと『およげたいやきくん』の歌詞の意味が身にしみて感じるようになってきた。

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