後ろめたさ

2000年11月8日
大学の講義を受けるとき、教授の都合等で授業が休みになる事を『休講』と言う。これは、大学の掲示で発表される。休講と掲示が出るとみんな(一部の人)は喜ぶ。それに対して学生本人の事情でその授業を休みにする事を『自主休講』と言う。もちろん、この自主休講は教授の許可はとってないので皆が分かりやすい言葉で言うと『サボり』である。まあ〜大学というのは義務教育ではないし、授業を受けるも受けないも本人の自由だとは思うのだがニッシー何か自主休講に後ろめたさを感じる。

中学・高校とニッシー皆勤賞でした。毎日出たくない授業があっても授業は欠席した事はなかったし、取りあえず授業は聞いとこう、と思い何か知らないけど授業には出ていた。でも、今のニッシーは少し違う。面白くない、つまらないと思う授業があったら何かたま〜に自主休講をしてしまう。少し悪いな〜という後ろめたさはありつつもついついやってしまう。まだ、そんなに多くはないがこれがもっともっと増えていくようになってしまったら問題である。

でもその裏では、大学なんだから専門科目だけやってればいいじゃないか!と思っている自分もいる。教養科目何てなんの役に立つんだ?とたまに思う。と言う訳で今後はどうだろう?ニッシー自主休講が増えてくのかな〜?今後は出来るだけ自主休講をしないようにしたい。まあ〜最低その1つの授業で1回という事で。

何か自主休講するのに罪悪感が未だに(?)感じるんだよな〜。何でだろう?自由だから別に休んでもかまわないとは思う。でも「出ないといけない」という葛藤がニッシーの中で起きている。確かに先生の教え方にも問題があるのかもしれないが、やる方も意欲を出してれやらないとね。な〜んて偉そうに言える立場ではないけど…。と言うわけで今後自主休講はニッシー極力控えますです。ハイ。大学とは一体何ぞや?今日ふっとそんな事を考えてみた。

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