ライブドアの堀江貴文社長が逮捕された。この報道を見たとき、ニッシーが思ったことは「行き過ぎたから出る杭は打たれたのだろう」とそう思った。まぁ〜今回堀江社長が逮捕されたことによって、彼には申し訳ないがまだまだ日本という国は捨てたものではないなと少しの安堵感を覚えた。

私は、大学時代を通じて「努力すれば必ずしも報われるものではない」と言うことを心のどこかで感じるようになっていた。それは、もちろん努力すればそれが報われたほうがいいに決まっている。しかしながら、世の中は必ずしもそのようにはなっていない。育ってきた環境、めぐり合わせ、誰に教わるか、どこに所属するか、タイミング、その違いで多少なりとも自分の環境が変わるということもしった。そして、裏を返せばそれらをうまく要領よくこなせば世渡りがうまくできる。ライブドアもその例だった。

私はそれまでライブドアと言う会社の名前すら知らなかった。プロ野球の近鉄(元オリックスバファローズ)の買収の話から一気に話題が出てきたライブドア、マスコミもこぞって取り上げたがその中身はマネーゲームそのもの。このやり方に当時から私は少々違和感を覚えていた。

先のエッセイにも書いたとおり、株って本来マネーゲームの道具としてしか使われないものなのだろうか。その企業を応援したいから株を買うのではないか。結果として金儲けが目的であってもそれのみに固執してしまったら世の中は要領の良い人ばかりが生き残る世の中になってしまう。第一、そんなところと私だったら提携はしたくない。株を所有している会社がどんな会社かさほど調べず、株をたくさん持っていると言う理由だけで「はい、業務提携してください」と言われても、私だったらお断りする。しかし、実質的今の日本の法律だと株さえ持っていれば業務提携でも何でもできる、そういう状況を私はとても危惧していた。しかし、私がここでどうこういったってそういう時代は今後現実としてやってくるだろう。勝ち組・負け組と揶揄される世の中、はたまた先の衆議院選挙で与党議員が、堀江容疑者の応援演説にも立ったのだから、その色合いは濃くなってきているのかなと感じていた。今の自民党の新人議員の顔を見ても、結局はマスコミと言うのをうまく利用し、当選したいわゆる勝ち組、要領の良い人ではないかなと今でも感じている。

そのような時代は必ずやって来る。自分がそのような時代を望んでいなくてもそういう時代になってしまったら、それを飲み込むしかない。だから、もう少し要領の良い人になったほうがいいのかなと思っていたときもあった。しかし、堀江社長が逮捕されたことによって必ずしも「人の心はお金で買えない」と言うことがわかったし、検察側も今朝の新聞記事に『額に汗して働く人が憤慨するような事案を困難を配して摘発していきたい』と検察庁のホームページに書いてある。やはり、根幹にはこれがなくてはならない。これがないと、本当に要領が良い人だけが勝ち残る世の中になってしまうから。まさに弱者切り捨てである。最近、日本という国に魅力をあまり感じなくなってきている私だがまだまだ捨てたものではないなと今回の騒動を見て少し思った。

マスコミも最初は堀江社長を盛りたてておいて、今となっては徹底的にたたく相変わらずのやり方。堀江社長を絶賛していたコメンテーターが突如批判していたのには驚きました。何て、マスコミって都合の良い道具なのでしょう。やはり、常識を疑う目は常に持っていないとなと改めて思います。

そして、与党はというと・・・堀江容疑者を選挙の時に応援したことに関して、「それとこれとは別問題」だとか「人の隅々まで調べるのは無理」だとか・・・全く発言一つ一つにあきれてしまいます。あぁ〜実に情けない。そんな言い訳が通用すると思っているのですか。たとえ無所属で立候補していたとしても自民党が応援していたのは事実であって、それを「関係ない!」と切り捨てられる神経に個人的にとても呆れてしまいます。結果としては逮捕されてしまったんだし、そのことは素直に認めて謝罪しなければ・・・と思うのですが。

もしかして、一番要領がいいのは政治家なのかもしれません。まぁ〜選挙では国民がこれでもいいって言って自民党が議席数を最も多く獲得したのですが・・・本当にこれで良いんですかね〜。何か、目先のことにだまされていませんか。

久しぶりに・・・

2005年11月2日
アパートに帰った。
封書があった。
某所から
封を空けた。

そこに出てきたのは・・・

それをみて一気に憤りを感じた。
今でもかなり憤っている。

こんなに頭に血が上ったのは久しぶりだ。

もう〜今後どうして行ったらいいのか。自分でも分からない。前に進んで示すしかない。

もう〜こっちへ行こうと思っているときに、正直対処の仕様がない。

一応、憤りの連絡はしたけどさぁ〜て、どうなることやら。

株って何・・・??

2005年10月14日
楽天がTBSの株を大量取得し、経営統合の話を持ちかけ波紋を呼んでいる。はたまた、村上氏率いるM&Aコンサルティング(通称:村上ファンド)がプロ野球球団・阪神タイガースの親会社、阪神電鉄の筆頭株主になって、球団の株式を公開するよう提案している。ファンから広く出資を募って、球団経営を活性化すべきだという主張しているといい、これまた波紋を呼んでいる。以前前には、ニッポン放送とライブドアの株の話もあった。

ニッシーも以前は就職活動で金融業界を周っていたこともあり、またファンドにも一時期興味を持っていたし、ニッシーの友人では株を実際にやっている人もいるので、この話題には最近興味はあり、新聞の経済面はよく目を通している。しかしながら、現在の日本の株はニッシーの思っている株とは違った感覚になっているのでは?と思わざるをえないところがある。

まぁ〜当たり前と言われてしまえばそれまでなのだが現在の日本における株というのはいわゆる『マネーゲーム』金儲けのためだけにあるのではないかと私は危惧している。もちろん、ファンドや証券会社というのは儲かるのが商売であるし、そういう意味ではよりいい株、儲かりそうな株を買おうと言う動きが出てくるのは自然な流れかもしれない。

しかし、それが本来の株のあるべき姿なのだろうか。ここ数年で株というのは金持ちの道具になってしまっている気がしてならない。そもそも株って何なのかって根本的なところを考えてみると私の持論はその企業を応援するために買うものではないのかなという気がする。

例えば、株式会社Aと言う会社がとても気に入っている人がいたとする。その人はその会社を応援したい、A社に貢献しようと思うから株を買ってA社を応援する。これがニッシーの考えている株の考え方だ。

最近のニュース等を見ていると株って本当は何なのかな?と言う風に思ってしまう。もちろん中には、そこの会社の製品が好きだから、そこの会社を応援したいからそういう意味で株を買う人もいることだろう。しかしながら、株を買う人がそこの会社にどれだけ思い入れているかどうかと言うのはともかく、ただ金儲けしたいから、なんとなく儲かりそうだからと言う理由で会社の株を買っている人って結構多いのではないのかな。それって、本当にそこの会社のことをよく分かっているのですか?本当にそこの会社を応援しているのですか?とニッシーは疑問符を打ちたくなる。現に、阪神電鉄問題や、ニッポン放送の問題の時にはその点がとり正された。

株って本来金儲けの道具ではない気がする。ただ、純粋にここの会社が好きだから、応援したいからと言う理由で株を買っている人はどれくらいいるのだろう。金儲けのためのみに執着している人がいるのなら、そういうのって株って言うのかな〜と思ってしまう。

結果論であるが、一時期先物取引行や証券会社も就職活動で周っていたニッシーであるが就職しなくてよかったと思う。少なくともニッシーは株は出来ない。出来たとしても本当に純粋な意味でここの会社を応援したいということで株を買うと思う。金儲けの道具ではなくて。

やはり、先の衆議院選以降、日本はどんどんと強いものだけが生き残っていく。そして、要領のいい人が生き残る。金持ちが全て、お金があれば何でも出来る。そんな時代が来てしまっている気がする。私は恐くてたまらない。日本にどんどん魅力がなくなってくる。株の本来のあるべき姿ってこんなものなのだろうか。日本国民の良心を期待したい。

総選挙総括

2005年9月21日
今更ながら、総選挙総括を書いてみる。

と言っても、個人的に今回の選挙は全くといっていいほど私からしてみれば面白くない結果となった。自民圧勝、絶対安定多数どころか連立政権で3分の2以上が与党。まさに何でも有りである。委員会でも絶対可決、そして国会でも絶対可決、参議院で否決されても絶対可決。今後、独占的になっていくであろう政治手法。これから先日本はどうなってしまうのか、私は不安でなりません。

まぁ〜国民がどれほど政治について深く考えているか知りませんが、取りあえずあの時点で与党(自民党)が一番と言う結論を大多数の人が選挙で意思表示をしました。

しかし、いいですか、後からぴーちくぱーちく言うってことになりませんか?確かに、小泉さんの手法は分かりやすいですし、女性議員をうまく擁立させたり、刺客としてある程度学歴のある議院や知名度のある人を立てたりと、その手法は大したものがあるなと個人的に感じています。皆さん、その『わかりやすさ!』で安易的に「何か日本を変えてくれそうだ。」とそれなりに感じて、一票を投じた。特に無党派層の人はそのような人が多くありませんか。しかしながら、私は現在の自民党は「わかりやすい」をキャッチフレーズにしてそれを連発するだけのマリオネットに過ぎないのではないでしょうか。私はこのエッセイで何度も書いていますが、常識を疑う目、これを皆さんにぜひとも持ってほしいなとそう考えています。

今回の選挙を振り返っても、自民党の主張する改革の本丸は郵政民営化でした。私は、これに関しては別にどちらでも構わないのだがどちらかと言えば、賛成である。これは自身の経験に基づくもので、今の郵便局には不便なところもあると感じているからだ。だから、どちらかと言えば民営化してほしいなと言う個人的願望はあるのだが、別に民営化しなかったらしなかったでそれでいいと思っている。

そして、今回の選挙後に出てきた政治問題の中で、出てきたのが増税問題だ。選挙期間中は、さほどこのことについて触れてこなかったのに選挙が終わったら、次々と税に関する話題が新聞紙面上で飛び交っている。消費税の引き上げ示唆や、医療費の増大、所得税減税の撤廃等等。本来は、選挙期間中にこのような政策を連呼するのが筋だとは思うのだが、郵政民営化という分かりやすさを前面に押し出し、負の部分についてはさほど言及しない。それでもって、選挙後に与党の立場を利用し、次々と増税の話を打ち出す。どうも昔からあると思うのだが、自民党のこの手法は個人的に好感をもてない。

国民は安心しているのかもしれない。そりゃ〜そうだ、小泉さんが「私の在任期間中は消費税を上げない」と豪語しているから、しばらくは消費税は上がらないのだろうと。しかし、先日の新聞記事を見てわかったことなのだが、小泉さんは来期の自民党総裁選挙には出馬しない意向を示している。と言うことは、新しい人が新たに総理大臣になるわけだが、その人が増税について語らないわけないだろう。つまり、今はあがらなくとも将来的には消費税は必ず値上げするし、言い換えればこれは小泉さんの丸投げである。自分が総裁の時は、都合の言いことを言って、後のことは後の人。取りあえず、衆議院の任期は最長4年、まぁ〜4年はやらずとも大体長くても3年くらいだから、小泉さんが辞めて残り2年間で巨大与党をいいことに一気に増税の話が加速するのだろう。それを考えると、私は怖くてたまらない。

確かに今の日本を考えた時、保険・年金問題(これに関しても個人的に言いたいことは山ほどあるのだが・・・)やこれからの少子高齢化社会を考えると、多少の増税は致し方ないのかなと思うところは私にもある。しかしながら、選挙期間中にこのことについてさほど言及しないで、選挙が終わってからここまでかと言う感じで増税の話があちらこちらで飛び回っている。この自民党のすき放題のやり方が個人的には非常に怖く感じている。もはや、民主主義崩壊と言ってもいいのかもしれない。

とにかく、私は与党のやり方には腹立たしさを覚えてならない。まぁ〜それはそれとして、国民の皆さん、本当にこの結果でいいのですか。まぁ〜日本の将来を託す大事な選挙で有権者の大多数が与党を支持したわけですから、与党の政策を信任したということなのですが・・・・

私はどうも、国民はマインドコントロールにかかっていないかなと不安になるところがあるのです。絶対に後で、ぴーちくぱーちく文句を言う光景がテレビで映されるでしょう。でも、そんなことを言ってもその人たちを選んだのは、紛れもなく私たちですから。だから、そこを見抜かなきゃいけないと思うんだけどなぁ〜〜

私は、正直今現在、選挙を機に、この日本と言う国に魅力を感じなくなりつつあります。これから、日本は恐ろしい時代に突入する。そう思うだけで怖くてたまりません。

今回の選挙で自民党を入れた人は、中には私の友人のように自らの政治的信念に基づいて一票を投じた人ももちろんいるんでしょうけど、「わかりやすさ」を前面に出し、そのマインドコントロールにかかってしまった。そのような人たちがほとんどなのかなと、言っちゃ悪いですがそのように感じています。
JR脱線事故で電車が突っ込んだマンションとの住民による話し合いが行われた。マンションを購入時の価格で買い取る補償方針を提示。これに対し、住民側は「それでは元通りの住環境は取り戻せない」などと反発し、方針を受け入れず、物別れに終わったとの記事が報道されていました。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050606-00000000-maip-soci

記事によるとマンションの住民からは、「我々に落ち度はない。それを踏まえて上乗せすべきだ」とか「もともとあのマンションは当時格安価格だった。買い取り価格と言うのは安すぎる!同様の物件が買えない」等の不満の声が上がっています。確かに、マンション住民には落ち度がなくこの主張はもっとものように聞こえます。しかしながら、私的に言わせてしまえばこれはJR側の大幅な譲歩であり、一定の評価は出来ると考えています。

確かに住民側の意見はもっともなのですが、この住民の意見を通すには最高裁の判例をひっくり返すと言う前代未聞の作業が待っているのです。実は、知らない人が多いのでぜひ覚えておいてほしいのですが「修理費用が時価を上回る場合は、補償は時価で良い」という最高裁の判断によって、法律上の損害賠償は時価で良いとされているのです。これは、「同じ物が修理より安い値段で買えるのだから、高額な修理費用を負担する必要はない」という考え方によるものです。従って、修理にどんなにお金がかかろうと、時価相当の補償しかもらえないことになります。

今回JR側が提示している金額は買い取り価格です。時価額とは、その時のものの値段を差すので買い取り価格が時価額よりも高いことは明白です。つまり、本来ならJRは住民に時価額の提示をすれば(法律的に)いいのですが、買い取り価格を提示することによって最大限の誠意を示していることが、少し法律に詳しい人なら垣間見ることが出来ます。

あるマンションの住民は「購入価格で買い取ると繰り返すばかり。ああいう対応しかできないのか」とか「元通りの住環境を求めているだけなのに、言葉を聞き入れる態度がない。先の交渉を考えると、とても不安だ」 との報道がなされているがこれは法律的に考えてもJR側の大幅な譲歩であり、ああいう対応しか出来ないのかと憤っても法律的にこれが最大限なのです。従ってこのような意見を言うこと自体が住民側には申し訳ないのですがまったく持ってナンセンスであり、垣内社長が上乗せには否定的な姿勢を示しているのも当然と言ってしまえば当然なのです。

それでは、住民側はこの価格をすんなり受け入れるしかないのでしょうか?そんなことはないのです。実はこの時価額、一度調べたほうがいいケースがほとんどでその結果、時価額の引き上げが出来る場合が非常に多いのです。と言うのも、時価額というのはおそらく何かの書籍物などを参考にして決めているのですが、実際の店頭価格との開きがある場合がなぜかほとんどなのです。つまり住民は、「実際の店頭価格」を調べて、その金額に差があれば、「実際の店頭価格」で補償を受けるべきです。これが本当の「時価」になるわけです。つまり、住民側は何を基準にJRは買い取り価格を主張してきているのか。自分たちの住んでいるマンションと同等のマンションの時価額、買い取り価格はいくらかを調べ多少なりとも上乗せをする努力をする必要があります。

そんな面倒なことは、JRがやれ!と思われる人もいらっしゃるかもしれませんが損害がいくら発生したか」は被害者(損害を受けた側、この場合はマンションの住民)でないと分かりません。自分のモノの価値は、自分自身で証明する必要があります。民法上でも損害の証明義務は被害者ですので、時価の引上げには被害者の努力が要求されます。

または、マンションの補償額とは別に慰謝料請求等をして金額を上乗せする方法もあります。今回はかなりの被害が大きい事故でしたので、相当の慰謝料がもらえるのではと思います。その分をマンションの補償額に補填すればいいのではと個人的には思います。

補償額についての考え方は以上のように時価額が基準になります。つまり、法律的には今回のJRの買い取り価格の提示はJR側の相当な譲歩になるわけです。

この問題、時折交通事故で問題となる場合が多いので、皆さんも覚えておくと損はないと思います。
本当に、個人的には書くのが嫌なのですが、やはりこの事故についてのマスコミの過剰報道に黙ってはいられずまた、皆さんにあの報道を鵜呑みにしてほしくない(現に鵜呑みにしている人が多いと思いますので)ので、もう少しこのことについて私なりに意見を言わせていただき、マスコミと違う視点で話をしたいと思います。皆さん、マスコミからの報道をそのまま素直に受け入れないでください。常識を疑う目を持ってください。さてさて本題。

●事故当日ある車掌区ではボウリング大会が行われていたことに関して

これは、事故が起きた後すぐに出てきた報道です。この件に関してもマスコミはこのボウリング大会に参加した人が悪い的な報道をしていますが、ことの本質はそこではないと思います。

電車の乗務員と言うのは、時間によって完全に縛られておりそこには個人の裁量というものが存在しません。よって、ボウリング大会や宴会等といったいわゆる親睦会と言うのを開催する場合、各乗務員の勤務体系に完全に縛られることになります。電車の乗務員というのはそういうものです。

その中で、事故が起きたというこの状況の中でもボウリング大会を行った即ち、「予定を全うした」この点については、前回の?で書いたたまたま事故車両に乗り合わせていた2名の社員と同じではないかと私は考えます。

ここから何が考えられるか、もちろん私の推測になりますが会社が何を第一に考え、何を社員に要求をしてきたかここがことの本質ではないでしょうか。ボウリング大会に参加した人ではなく、ここは会社すなわちJR西日本の体質と見るべきであると私は思います。つまり、今回マスコミが面白がって野次馬的にバッシングをしている社員たちはいわば「会社に忠実」だったと考えられるのではないでしょうか。その点を追求せず、個人の行いをひどく責めるマスコミのやり方には腹立たしさを覚えてなりません。

●運転士の日勤教育について

事故車両を運転していた運転士(死亡)は若干23歳の若さでした。おそらく、年齢的に私と同い年ではないかと推測されます。同い年と言うこともあり、この運転士についてはいろいろと考えさせられるところがあり、事故当日の心情的にも同年代として少し分かる気が個人的にしています。

報道によると、この事故車両を運転していた運転士は過去にもオーバーランを行ったことがあり、日勤教育を受けていたとの報道がされています。この日勤教育と言うのは、報道によるといわゆる問題を起こした人に対して、再教育を行うことらしいのですが、問題はその中身その性質です。

JR西日本の場合、「日勤教育」について、その制度自体は存在するものの、その実施内容や、対象者の評価については、現場の管理職に一任されているということでした。なるほどね、とニッシーは感じました。この制度では、効果は何も得られないと考えるからです。

私は、昔某クレジットカード会社でカードの勧誘の仕事をやっていたことがあります。具体的には、お客様にクレジットカードの契約を進めるアルバイトです。しかし、なかなか最初はお客様に足を止めてもらえず、「なぜ」と考えた時期がありました。「なぜ、お客様は足を止めてくれないのか」「なぜ、そうなってしまったのか」このなぜを繰り返すと自分自身の落ち度(原因)が少しずつ分かってきて、慣れていったと言う経緯が過去にありました。

何が言いたいかというと、この「なぜ」と言うことを考えるのが必要ではないかと考えるからです。今回の運転士の日勤教育ではこの「なぜ」をやらせていたらしく、この記事の信憑性があればそのこと事態は非常に大切なことだと思います。しかし、その結果を単に上司が評価をし、対象社員個人の問題として処理して終わりにしていたのではないかと思います。これでは折角の日勤教育も、何の意味も持たず、単に「会社の言う事に忠実で、小さな問題を起こさない社員を作った」と言うことにに過ぎません。

そして、小さな問題が見えなくいなっているうちに、今回のような大きな問題を発生させてしまった。今回の事故は、こうした日頃の「悪い積み重ね」がその原因にあったと考えられるのではないでしょうか。その点が大切だと考えます。

●JR西日本の労働組合
ところで、JR西日本と言う会社について考えてみると、会社そのものとしてはおそらく東日本と同じくらい(それ以上)の大きな会社だと思います。大きな会社になれば、なるほど、労働組合の規模やその発言力も大きいと思うのですが、今まで述べたような問題点について、果たして労働組合がどの程度考え、発言や実行をしてきたのかも個人的には気になります。

中小企業等といった労働組合とは名ばかりのところだと話は別ですが、あの天下のJRの労働組合です。他の大企業の労働組合と一緒でそれなりの発言力等はあるのではと思っていました。しかしな、今までの報道を見ている限り、会社の責任を問う発言はあっても、それに対し組合として「今までに何をしてきたか」という点が全く報道されてきていません。あえて、マスコミが報道しないのかそれとも、JRの労働組合が骨抜きにされてしまったのか。真意のほどは分かりませんが、労働組合は何をしてきたのかと言うのがさっぱり報道から分かってきません。この点は、報道機関はきちんと考えているのでしょうか。(ま、さほど考えていないと思いますが)

話は変わりますが、5月11日付けの朝日新聞の記事にJR西日本乗務員に嫌がらせなる記事が載っていました。(http://www.asahi.com/national/update/0510/OSK200505100052.html)嫌がらせをする人がどういう意図でやっているのかそれはわかりませんが、少なくとも今回のマスコミの過剰報道が少なからず関わっているのではとそんな風に考えずにはいられません。それにこの記事、本当に事実をただ伝えているだけで、それについて言及もしていなければ嫌がらせをする人たちは何をやっているんだ!的な報道はさほどせず、さらっと流してしまっている感がします。そこにまた、マスコミの意図を感じられずにはいられません。

あまりに感情に先走る報道をしてバッシングを続けていると、別な面での危険性を見失い、結果として多くの人達に不利益をもたらすような結果につながる可能性があります。

マスコミにはもっと事故の本質を掘り下げて報道を望みたいところですが、現時点では無理でしょう。なので、その本質は私たちが報道からわかることを分析し、自分達で考える必要があります。常識を疑う目というのはそういう意味で大切なのです。

私は、現在この一連の列車報道に怒りを覚え、現在社会心理学に関する本を読んでいます。今、私たちの周りに起こっている社会的現実と言うのはどのように作られているのか、それらにどう対処していったらいいのか。マスコミがあまり信用できない今、自分でその道を探そうと少しながら本をかじっているところです。
JR西日本についての最近の報道について。前回のエッセイでも書きましたが、マスコミはことの本質を見失っている気がしてなりません。最近、マスコミが信用できなくなってきました。

●不祥事バッシングについて
最近、マスコミの過剰攻撃を受けてJR側は事故が起きた時の社員の様子を公表していますが、このことに私は非常に危機感を感じています。

今回の社員の様子を聞くと、仕事がオフの時プライベートな時間や休日を過ごしていたという雰囲気が垣間見れます。確かに、これほど大きな事故が起こったわけですから、「この時期に遊んでいるとは何事だ。」「酒なんか飲んでいる場合か」となる感情としては理解できます。しかしながら、マスコミはその点ばかり追求し(ま、マスコミは結果を求めたがり、断定的に書きたがりますので)更には、ワイドショーのコメンテーターまで「あんなことしていていいんですかね〜」的な言葉を平気でしています。

この点が非常に危険ではないかと私は感じています。

まず、今回の事故がおきたときの社員の様子を報道で見る限りだと先程も書きましたが、仕事がオフやプライベートな時に○○社員はこんなことをしていました。的な報道になっています。つまり、勤務中とか仕事の一環と言うわけではなく、完全にプライベートな時間の出来事を公表しているようなものなのです。まず、この点を区別しなければいけないと思います。

そうしないと、極端な話『業務中に社員の誰かが事故を起こしたら、そこの会社の社員は全員自宅謹慎をしなければならないのか。』ということになりかねません。さらに、JRに例えていうと大きな事故がおきたので、JR西日本は全区間で列車を運休しなければならないのかと言うことになります。
また、このような事故が起こったことをきっかけに、会社として『オフの予定を会社に届けるように』となることも考えられます。オフの予定を何で会社に届けなければならないのか、プライベートなことにまで突っ込んでほしくない。これは誰もが思うことでしょう。また、会社にオフの予定を仮に届けたとしたら、この制度を悪用する人が出てこないとも限りません。

ま、ニッシーの嫌いな公務員と言った(表向きは)世のため人のために働いていて、事実上何があってもすぐに現場に迎える状況になければならないような職業は別ですが、JRはあくまでも会社です。つまり、会社である以上「オフの時間に何をやっても良い」と言うのが大原則になければなりません。マスコミの報道を見ているとそんなことまで考えているような報道とはとても見受けられません。

●たまたま事故車両に乗り合わせていた2名の社員
事故当日、たまたま事故車両に乗り合わせた2名の社員が、事故が起きたにもかかわらず救出作業等をせず職場に向かったとの報道がなされています。

マスコミの報道では、この2名の社員もとても悪いような相当なバッシングを受けておりますが、はたしてこの社員はそんなに悪いのか?と私は思ってしまいます。

これについて、報道によるとこの社員は事故が起きた際、会社にいる上司にこのことを報告そして、上司が出した指示が「遅れないように定時に出勤すること」だったそうです。もちろん、この記事に信憑性があることが前提になりますが、上司からの指示というのはいわば命令です。会社で働いている以上、従業員は上司の命令に従わなければなりません。なので、従業員がとった行動と言うのはさほどおかしくもないのではと考えられます。そんなことも考えずに、マスコミはただただ野次馬的にこの2名の社員を攻めています。もっと、きちんと考えて報道しなければならないでしょう。

このような場合、前回のエッセイにも書きましたがことの本質を掘り下げて考えなければなりません。この2名の社員の事例の場合は

◆なぜ、上司は出勤命令を出したのか
◆なぜ、社員は救出活動をせずその指示に従ったのか

と言うことです。ここから先は、私の推測になりますがあくまでもJR西日本は定時運行をしなければならない。定時運行第一の体制が社内にはあるのではないかと考えています。
つまり、事故が起きた場合等の緊急時のマニュアルなどは存在せず、とにかく定時運行をしなければならないと言う会社の体質が存在するのではと言うことになり、その点で会社側に問題があるのではないか。つまり、今回の社員2名の件に対しては、社員にとって見れば会社に忠実な対応をしただけであり、その社員を問題にするよりも会社としての体質を問題にしたほうが個人的にはいいと思うのですが、マスコミはその点を完全に軽視しています。なぜこのような事態が起こったのかと言うことをもっとマスコミは考えていただきたいと思います。

最近は、テレビのニュースを見るのが何だか嫌になってきました。本当に、細かいことまで考えずにテレビは過剰報道しています。新聞も列車関係の記事は現在さらっと目を通す程度にしています。

マスコミの持つ力と言うのは少なからずとも私たちの生活に影響を与えます。ある程度は、私たちの考えを操作してしまうものにもなりかねません。報道に中立と言うものは存在しません。我々は、常にその情報の裏に何があるのかと言うのを考え、情報を判断していかなければと今回の事故に関する一連の報道を見て強く感じています。

マスコミもある意味、変な宗教と同じですね。極端に言ってしまえば。
1つの事例を想定してみます。
A(男性)さんは千葉県香取郡小見川町に住んでいます。
彼は、この春から千葉市内にある新学校に通うことになりました。千葉市内にあるため当然電車通学と言うことになります。この高校の朝のHR開始時刻は8:35。千葉駅からこの高校までは徒歩10分ほどかかります。従って、彼は時間的にもちょうどいい小見川駅発6:56の電車で通うことにしました。そうでなくても、この地域は1時間に1本程度しか電車が走っていないため必然的にこの時刻になってしまいます。(http://www.ekikara.jp/newdata/detail/13010254/6.htm

ある日のこと、彼はいつもどおり6:56発の電車に乗車するはずでした。しかし、6:56になっても電車がやってきません。後で分かったことですが、どうやら前の笹川駅で何かトラブルがあったようです。6:56に到着するはずだった電車は6分遅れの7:02に小見川駅に到着、発車しました。成田線は銚子ー成田間は単線区間のため途中駅で下り列車との待ち合わせをしなければなりません。電車が遅れていたせいで、待ち合わせ時刻もずれてしまいその結果、上り列車どころか下り列車も遅れてしまいました。しかも、成田駅ー千葉駅間で特急列車の通過待ちも行ったため、8:18に千葉駅に到着するはずの電車は、10分遅れの8:28に到着しました。結局、朝のHRには間に合わず彼は遅刻扱いになりました。

ま、この場合は千葉駅で遅延証明書なる証明書をもらえば実際は、遅刻扱いにはならないのですが、いかがでしょう。もし、彼が遅刻が嫌いな人だったら・・・きっと(いや絶対)電車が遅れたせいにするでしょう。

また、この事例は登校時におけるものでしたが、もしこれがセンター試験だったら・・・就職試験だったら・・・どうですか。おそらく試験云々の結果等についてはもちろん考慮されるでしょうが、それ以前に遅れたと言うことで、心理的不安を掻き立てられないでしょうか。そして、電車が遅れたせいにしないでしょうか。

JR福知山(宝塚)線の脱線事故の報道でマスコミが(おそらくさほど考えずに)「多少なら電車が遅れてもいいのでは」なる報道を安易に行っているのを見受けられます。しかし、逆の立場になったらどうですか。例えば、あなたがもし遠方から電車を使って目的地に行く場合まず何をしますか。おそらく、時刻表くらい調べるでしょう。乗り換え時間なども考えて出発するでしょう。都心の人はこんなことさほどしないかもしれませんが、あまり電車が走っていない地域の人はよくやる方法です。そして、電車が少し遅れた影響で予定していた接続電車に乗れなかったとしたら・・・ましてやその電車が1時間に1本程度しか来ないようなものだとしたら・・・「何で遅れるんだよ!」と不快感を示しませんか。

そのような利用者の声があるから、JR側はダイヤを見直し、乗り継ぎをスムーズにしダイヤどおりの運行を行ってきたのではありませんか。

別にJR西日本の肩を持つわけではありません。しかしながら、目先のことしか報道していないマスコミはもっと大切なことを忘れているような気がしています。何か、面白がって報道しているだけのような感がします。もっと大きな文脈から考えていかねばならないと思います。30秒や1分を問うような電車運行を要求しているのは、紛れもない私たちなのです。そのようなことを無視し、面白半分で報道するマスコミ。また、その報道を見てマインドコントロールされ第3者的に紛糾してしまう人たち。それが社会的常識なのかもしれませんが、必ずしもそれが正しいとは限りません。

常識を疑う力は必要だと思います。目先のことだけでなく、大枠を見ませんか。そこで、何か考えてみませんか。

授業

2005年4月20日
塾のアルバイト終了後、中学・高校教師の話になった。最近は、中学・高校教師が予備校の先生に教え方を伝授してもらっていると言う記事を時たま目にする。確かに、塾の先生は教え方はうまい。言わばそれは当たり前で、塾は先生がまさに商品なので良い商品にならなければならない。また、中学・高校の先生にあるいわゆる授業以外の時間もないし、教え方を考える時間がある。そういった意味で、生徒も塾のほうに流れている一つの要因になっていると思う。

授業がつまらない。まぁ〜いつの時代になってもよく聞く言葉だ。実際、ニッシーも授業がつまらないと感じたことはこれまでに多々ある。このように生徒が感じてしまう原因はいったいどこにあるのか。私は、先生にもあり生徒にもあると思う。

まず、先生のほうだが、ま、教科書どおりの説明で工夫がなかったりただ、教科書や資料を棒読みしているしているだけ、喋り方も単調で何も工夫がない。これでは生徒がついてこないわけです。ま、全ての中学・高校がこんな先生とは言いませんが、少なくともこういう先生はどこの学校にも1人や2人はいます。これは、先生に非があると私は思います。大学になるとほとんどの先生がそうなのかな?(そもそも大学の先生は教えるのが仕事ではないので仕方ない気もしないでもないですが、大学が成す意味と言うのを考えると問題はあると思います。)

生徒に非があると言うことはどういうことか。例えば、先生がいくら熱心に語りかけてもあまり反応してくれない。これは、中学・高校でも時たま見られますが、大学の授業はまさにこんな感じの授業が多い。ニッシーも、時たまみんなの前で授業とまではいかないが話すこともあるのだが、一つ一つ気合を入れて話しても反応を示してくれる人は少ないな〜と話しながら感じています。今は、そんなもんだと思って割り切れるようになりましたが、みんなの前で話す機会が出てきた当初は、その何を言っても反応がない空気が何か嫌で、逃げ出したいと思ったことが多々ありました。

やっぱり、喋る側からしてみれば反応してくれるところは素直に反応してほしいなと思ってしまいます。結局分かっているのか分かっていないのか分からないまま話が進んでしまいますし、一体いいのかな?と正しいことを喋っていても疑念感を抱きつつ喋っていると言うことになるからです。分かったら大きく頷くとか、へぇ〜って表情をするとかしてくれたらいいのにな〜と思っています。それを引き出すのが話す方の役目と言われてしまえばそれまでですが、聞いている人も感情を素直に表してもいいのではないかなと、そんな風に感じていますがいかがでしょうか。

3月、ベトナムに行ったとき実際ベトナムの大学で留学している学生に色々と話を聞いたのですがその人は、「日本の大学にいるより授業はよっぽど面白いです!」と生き生きした表情で答えてくれました。そして、この話を聞いていたある女子学生は「私は大学の講義で今まで真剣に聞いた授業は1つもない」と言っていました。お国性っていうのもあるんでしょうかね〜。真剣に聞いた授業が1つもない。教員にも原因があるでしょう。しかし、この生徒は果たして授業をまじめに聞いていたのか。その上で、つまらないと感じたのなら教員が悪いでしょうし、何だかただなんとなく聞いていたんじゃどの授業もつまらないと感じられてしまうことでしょう。ここに日本の大学生とベトナムの大学生の差があるのかなと思ってしまいます。

あくまで、個人的願望ですが将来的には一度でいいのでベトナムの大学で講義をしてみたいです。日本とどれくらい違うのでしょうか?とまぁ〜偉そうなことを言っていますが、私もなかなか反応は示さないですけどね。最近はそれではまずいなとは感じているので、話していることがわかったときとか分からない時とかは、今度からそれなりに少しでもいいから反応を示してみようかなと思っています。

恋愛・結婚

2005年3月24日
またまたこのネタかと思うが、今日はこの話。

先日、友人の結婚お祝い会なるものに出席してきた。集まったメンバーはおよそ10名ほどのこじんまりとした会だったが、主賓の2人はとても幸せそうで、ニッシーも思わず「結婚っていいな」とか思っていた。

実は最近、友人が結婚すると言うパターンが多い。3月だけで、2人から結婚するもしくはしたとの報告を受けた。そして、先週にも別の友人から結婚披露宴を行うのでぜひ来てほしいとの連絡を受けた。いずれも女性だが、これだけ多くの人から結婚関係の連絡を受けるのは初めてで、ニッシーももうそんな年になったんだなと思いつつ、その一方で自分の恋愛について考えてみた。

ニッシーは、人生23(もうすぐ24)年間生きてきていまだに女性の方とお付き合いをしたと言う経験がない。何もしてこなかったと言うわけではないのだが、ま、色々紆余曲折あって現在を迎えている。今までは、周りの人が恋人が出来たという話を聞いたり、恋人を紹介されたりした時は、心の中では「人は人、自分は自分。恋人なんていなくたって・・・」みたいに思っていたがどこかに心の隙間があった。それを埋めてくれるような恋人がほしいとも思ったこともあった。いや、常に思っていたのかもしれない。

しかし、何だか最近は恋人がほしいと言う願望はあるもののその気持ちがだんだんと小さくなってきたのかなと自分では感じている。「いなければいないんでいいじゃん?」と最近思うようになって来た。

ドラゴンクエスト5で主人公が結婚相手にビアンカかフローラのどちらかを選ぶその前夜のイベントでビアンカに話を聞いてみる。そうすると、ビアンカはこんなコメントを返す。

「私のことなら心配しないで。今までだって一人でやってきたんだもん。」

自分もまさに今そんな気持ちだ。いや、そんな気持ちだと自分に言い聞かせている自分がいる。おそらく、自分にはもう恋人が出来ないのかもしれない。でも、自分は今まで好きなことを好きなようにやってきた。だから、大丈夫だよ。大丈夫だよと。心の中でそんな声が最近よく聞こえてくる。

だから、自分は頼れるのは自分自身だと思っている。これは、以前日記にも書いたが自分は今までやりたいことをやりたいようにやってきた。だから、頼れるのは自分。自分だけが頼り。だから1人のほうが落ち着くことが多い。その代わり1人だと誰も助けてくれないから大変ですけどね。

自分の中の恋愛はもう終わったのかもしれない。その分、今度は自分の好きなことをめいいっぱいやってみようかなと思っている。自分の可能性を信じて。
先日、大学入試を受けようとしていた高校生で東北新幹線に乗車したが、間違えて停車しない新幹線に乗ってしまい、JRの温情停車で受験に間に合ったと言う事例があった。

詳しく言うと、その受験生は福島駅から郡山駅まで新幹線で行く予定だった。しかし、受験生が乗った新幹線が福島駅を出たら次は、大宮駅まで止まらないというもの。受験時間は明らかに遅刻である。そこで、温情停車で本当は止まらないはずの郡山駅に止まったというわけである。まぁ〜なんとも心温まる話(?)だ。

そういえば、昔こんな話もあった。私の地元の千葉県でも似たようなことがあってその人はやはり、高校受験のため内房線の駅から京葉線の海浜幕張駅で下車する予定だった。ところが、その中学3年生(当時)が乗った電車は、何と何と通勤快速!千葉県出身者、および鉄道に詳しい人なら分かるだろうが、京葉線の通勤快速は蘇我駅を過ぎると次の停車駅は八丁堀(東京都)なのである。海浜幕張も通り越し、舞浜も通り越し、東京まで行ってしまうのだ。そこでも、事情を話して途中駅で降ろしてもらった。受験生はくだりの電車に乗り換えて受験会場へ行ったという。

この2つのニュース、結構議論が分かれるところだと思うのだ。「よかったね〜」って思う人と「人生そんなに甘くない」と思う人。ニッシーはどちらかと言うと後者である。受験の条件と言うのは皆同じわけだし、1人だけ優遇されると言うのは不公平感が生じると思うんです。それに、この2つの事例はいずれも事前に時刻表を調べれば済む話であり、はっきり言ってしまえば本人のミス。社会に出たら、こんなことは絶対通用しないし、自己責任といわれても致し方ないと思う。

私も、今の大学の入試に行ったときは、あらかじめ下見とかしなかったので当日現地に向かったのだが、降りるバス停を間違えて大学のバス停より1キロくらい先のバス停で降りたこともあった。しかし、時間に余裕を持って出てきたので別に特段問題もなく、受験会場に到着して今の大学に合格しました。

受験シーズンになると、こういうニュースがたまに流れる。個人的な意見としては、さっきも言ったとおりこのような温情は反対である。やはり、これは元を正せば自分が悪いのだから。ただ、例えば自分が保護者で子供の入試で同じようなことが怒ったらどうなるんだろう・・・「ちょっとくらい止めてくれてもいいのに」とか思ってしまうのかな?結構難しい問題ですが、受験の条件は皆一緒なので、きちんと電車の時刻を調べて受験生は会場へ行くべきだと思います。
ニッシーが大学3年生のとき、ある科目で試験があった。ニッシーの学年は、皆まぁ〜人並みの学力だったのだが約1名他大学から編入してきたずばぬけて頭のいい人がいた。(現在も大学院に在学中である)

その試験の全体の平均点は20点程度。ニッシーの周りの友達は、最高が30点程度で後は、10点〜15点台がほとんどだった。零点も7人程いた。(ちなみにニッシーは、7点だった。)そして、そのずばぬけてすごい人は96点だった。これを見て先生が一言「96点が一人いるということは、ほかの人がいかに勉強していないかと言うことだ。」おいおい、ちょっと待て!その人は編入生で、しかも大学に来る前は店の手伝いをしながら、独学で数学を学んできた人なのですよ。だから、受けていた授業は中身は既に入っていて単位習得のために聞いているんですよ。始めて、授業を聞いて四苦八苦理解しようとしているわれわれとは違うのだ〜!と、思わず先生に言いたくなった。言い訳ととられても仕方ないが、正直その人がずば抜けているとかそういうのではなく、ある程度基礎学力があるのでま、こんな結果になったのだろう我々が勉強していないわけではないのだ。

別の話をしよう。シアトルマリナーズ(大リーグ)で活躍しているイチロー選手が、昨年メジャー最多の1シーズン262本ヒットを打った。これは、80年以上ぶりの最多安打更新で、日本のみならず全米中で彼は一躍ヒーローになった。これだけではない。彼は、普通では考えられない記録を次々と打ち立てた。1ヶ月50安打がその例だ。1ヶ月30日としても、1日1本以上ヒットを打っていないとこの記録は出来ない。はっきりいってすごすぎる。まさに、イチロー!さすがイチロー!と言った感じだ。

そんな時、ある人がこう言ったらどうなるのだろうか?「イチローがこれだけヒットを打っていると言うことは、他の野球選手はいかに練習をしていないかと言うことだ。」先ほどの事例と同様で、おいおいと思わず言いたくなってしまうのだろう。イチローは確かにすごい。しかし、頑張っている野球選手は日本にもたくさんいる。メジャーで活躍している人もいる。こんなせりふを言ってしまっては、他の選手はあまりにも酷だと私は思う。これから、日本の野球界も変わろうとしている。皆前に向かって進んでいるのだ!

またまた別の話。相撲界では、現在横綱朝青龍が相撲界をリードしていると言うか、ぶっちきって強くなっている。今場所も他の力士を寄せ付けぬ圧倒的な強さで既に13日目にして優勝を手にした。注目力士は、魁王、若の里だが今場所はどうも振るわなかった。そして、現時点で注目力士はモンゴル出身の白鵬だ。これからどんどん伸びるであろう。と言っても、日本人力士が余り活躍していないのと朝青龍ぶっちきり態勢で角界の人気が衰えつつある。ここである人がこんなことを言ったとしよう。

「朝青龍があれだけすごいと言うことは、他の幕内力士がいかに稽古を積んでいないかということだ。」

上記2つのセリフには、思わずちょっと待て!と物言いをつけたくなってしまうのだが、この角界の例はなんだろうか?妙に納得してしまう。確かに、角界にも頑張っている力士は多いだろう。ただ、相撲の場合は結果が全てであり成績だけ見るとこういわれても仕方ないのかな。と個人的には、少し思った。

すごい人はいる。そして、地道に頑張っている人がいる。そして、何も知らずに他の人を人くくりにしてののしる人がいる。それを言われたとき、どう感じるか?3つの例であげたが、感じ方って違うから不思議だなと感じた。

皆さんはいかが?

成人式

2005年1月11日
この頃になると必ずニュースになる話題である。と言っても、成人の暴走ばかりが、取り上げられ今日もいくつかのニュースやワイドショーで成人式の様子が報道されていたが、ある番組のタイトルには『今年は静か』の類の見出しが載っていた。まるで、暴走するのを期待していたかのような見出しだ。(まぁ〜マスコミ側とすれば何か事を起こしたほうが記事としては盛り上がるのだろうが・・・)

そもそも何で、20歳で成人なんだろう。その境ってなんだろう?3年前、ニッシーも成人式を地元の千葉県小見川町で迎えた。もちろん、式にも出席したしどういう風の吹き回しか知り合いのおじさんからいきなり電話で「成人式の実行委員になってくれ」と言われ、なってしまい皆の前で、国歌斉唱の指揮者もやった。

実行委員と言うことで、町の広報誌からも取材を受けたが正直そのときは20歳になった実感とか大人になった感想とかそんなのは全然わからなかった。と言うか、実感すらなかった。20歳の大人って民法上の大人なんでしょ、要は何か犯罪したら実名が出たり親の承諾が必要なくなったりといった民法上の大人で中身の大人って言うのはその感じ方は人それぞれだと思う。

ニッシーは20歳の頃は、様々なことをがむしゃらにやってきた。これは表向きはいいことかもしれないが、裏を返すと世界がわかっていない、周りが見えていない、大人の世界がわかってないと言うことにもなると思う。あれから3年たち、少なくとも3年前の自分とは少しばかりであるが変わってきたと思う。ベトナムに行ったり、アメリカの審判技術を取り入れたり、自分で責任を取ったこともあったし、皆をまとめたこともあった。結構3年前と比べたら見えないものも少しずつ見えてきたのかなと感じている。

要は、当たり前のことかもしれないが20歳って法律(民法)上の20歳で実際の20歳とは違うってこと。じゃ〜いつ実際の20歳いわゆる大人って感じるかって言うのは人それぞれでしょう。それは、なんとも言えない。その人の考え方やものの見方もあるし。

だから、あの成人式の映像だけで「荒れる成人」と人くくりにされるのはいかがなものかと思う。成人式で、来賓の声に耳を傾けないとかおしゃべりばかりとかそんな映像が流れるが、それは国会中に野次を飛ばしたり時には取っ組み合いをしてしまう国会議員と一緒、式の最中に携帯電話でメールしている成人と言うのも報道されるが、それは会議中にメールをしている会社員と言うのと一緒。そんなだめな大人と一緒だと私は思う。それと同時に、そんなだめな大人と新成人が一緒って言うのはなんだか悔しいなと感じてしまう。

だから、マスコミも面白半分で成人式の様子を取材するのはやめてもらいたいし、そもそもの成人式をやる意義って言うのも考えなければならないと思う。果たしてこの式って必要なのか?民法上20歳になったと言うことだけで人生において大人になったと全ての民法上20歳になった人は感じているのか。少なくとも私は当時は感じていなかった。となると式ってなんのためにあるんだろう?

最近の成人式のマスコミ報道に一言申し上げます。
前回(1月7日の日記)の続きです。今度は、社会の縮図アルバイト編。ニッシーは、現在アルバイトは塾講師とすしやの2つやっています。いずれも大学1年〜2年に始めたバイトなので、かなりお仕事としてはやっています。これに関しても、まぁ〜こんなに働いていると色々なものが見えてくるわけで今日はそれをお話しようと思います。

まず、塾のバイトですが大学1年生の春休みから始めました。当初は憧れだけでこの世界に飛び込んでしまったので、自分なりにどうやって教えていったら良いのかとかそういう物がまったくわからずただ、問題集をやるみたいな日々が続きました。そして、どういうわけか勢い余って一斉指導を担当することになり(それまでは個人指導)そこで、初めて自分は教師としては向いていないのではと思うようになり、一度塾の道を退きました。しばらくは、この道から去ろうと思っていたのですが大学院一年になって塾から電話があり、「再度アルバイトをやってみないか」との打診を受けました。正直、少し悩みましたが自分の中での未練もあったのでお引き受けし、今の塾のアルバイトをやっています。

ま、今は当時と比べたらある程度のノウハウや教え方も出来ているので以前のようなただ棒読み的な授業にはなっていないのではと思っています。ま、そんな塾ですがま、自分と共感できるところもあればもちろんそうでないところもあるわけで・・・今回はそれをちょこっと書こうかなと思います。

まず、これはあくまで個人的な考えですが塾というのは今まで机の上で2時間やっていた勉強を1時間に短縮したものです。そして、さらにその1時間のうち30分を塾の時間にやっている。つまり、残り30分は自分で机に向かってやらなければならないのです。それも自発的に。自分自身経験がありますが、塾に行く=成績が上がるではありません。あくまでも最後は本人、本人の努力なんです。それには、いかにしてやる気を出させるかそれが塾講師の試練だと個人的には思っています。

さて、どの点がちょっと・・・と思うのかまず1つが、宿題を出すということです。宿題を出すのが必ずしも悪いことというのではないのですが、これはどうなんだろうと少し思っています。と言うのは、宿題を出す=出されたと言うイメージがつかないかそれがちょっと個人的に心配なのです。出されたから仕方なくやるか、これでは自分自身の学力は身につかないと思われます。また、当然勉強なのである程度覚えることも必要となってくると思いますが個人的に「覚えろ!」とか「スパルタ式にばんばん覚えていくぞ〜」と言ったようないわゆる覚えろ!的発言も個人的にあまり好きではありません。つまり、これも覚える=面倒くさいと言うイメージがついてしまわないかそこが心配なのです。ようは、覚えようとしなくてもこのことは重要だと感じ、また自然に覚えられみたいな感じにしていきたいなというのが個人的な願いでもあります。

私がアルバイトをしている塾は学力が優秀な人と言うよりは、学校の授業と同程度又はついていけない人を対象としているので大切なのは、「面白い!」と感じることではないかと思います。ニッシーの教え方は、主に数学と英語を教えていますが基礎・基本を大切に中身を掘り下げる授業展開をしている・・・つもりです。(苦笑)数学にしても英語にしても教えている基本コンセプトはどの分野に行っても毎回同じ。その場で、生徒に問題をやらせてわからない問題に答える。そして、出来る範囲で宿題を出す。って感じですかね。ただ、中学生の場合はなかなかこちらの思っていることが通じないなんてことは多々あるのでそこをどうするのかと言うのは、毎回のように悩んでいます。

それと、もう1つすし屋のバイトもやっていますね。これは昨日の日記にも書きましたがこれは、精神的に非常に現在疲れています。ま、すし屋の人もこのページを見ているそうだからあれなんですけど、ま大変ですね。家族を経営に入れるとこうなってしまうのかなと少々現在就職活動をしている人から見るとそう思います。ニッシー給料未払い事件とか、気まぐれ発言事件とか、賄が〜賄が〜事件とか色々と事件はあるのですが、ま、ここはいい意味でも悪い意味でも社会の縮図が見えているような気がします。

話は変わって、すし屋にやってくるお客さんの中によくやってくるのが製薬会社のメーカーさんとお医者さんです。まぁ〜要は、接待です。(笑)メーカーさんがお医者さんに薬の説明をすると。もう〜これがまた超明らかに接待しています!って感じで、個人的にあまり好印象がありません。メーカーさんが平身低頭になるのはわかりますが、あそこまでお医者に気を使うものなのでしょうか。医者も医者で、あんな至れり尽くせりの接待でいい気分になってどんな気分なんでしょうか。ま、このバイトが原因で製薬会社には就職しない(そもそもニッシー医者は無理なので(*^_^*))とは決めましたが、ここも日本の会社の縮図が見えてきます。あそこまで明らかな接待は自分はやりたくないですな。ま、アルバイト中はお仕事ですから料理等は医者から渡していますが、何だかね〜〜〜と感じてしまいます。

とまぁ〜こうやってアルバイトをしていると色々と見えてくるものです。だからと言って、起業する願望はあるもののする気は起こらない。今後就職した際に、またこんな状況になるんだろうと考えると就職活動もだんだんと不安になってきます。だから、現在ニッシーの中で就職活動の中で重要視していることは会社の実績云々はもちろんですが、福利厚生・そして会社の雰囲気です。特に、雰囲気ですね。社内が結構いいたいことが言えるような雰囲気か。それによって、良いものは改革を断行できるような社内か。話をきちんと聞いてもらえるか。雰囲気はとても大事だなと感じました。ただ、儲け主義の会社はだめですね。さぁ〜て今後の就職活動はどうなることやら
今日は、ニッシーが日常生活上接しているものからいくつかポイントを挙げ、それを論じようと思う。
【大学食堂編】
今、ニッシーの通っている大学では大学食堂争いがニッシーの中ではちょっとしたブームになっている。従来からある生活協同組合(以下生協)の学食と大学内にある一般企業が運営する学食のいわば、学食対決である。今までは、お昼ご飯を食べると言ったら学内には生協内の学食かレストラン風のグリルでお昼ご飯を食べるか、生協内のコンビにでお弁当を買うしかなかった。ところが、去年4月生協とは、少し離れた学内の場所に一般企業の学食が登場した。

実は、この一般企業の学食、やってきたのは今回が始めてではない。実は、ニッシーが大学に入学してから過去3回来ており今回来るお店は4店目なのである。つまり、今までの店はやってきてもすぐ撤退してしまっていたのだ。まぁ〜撤退する理由と言うのは色々あるのだがニッシー個人的な予測として
●立地条件が悪い
●値段が高い
●値段の割りにはまずい
●サービスが生協と大差がない
●新たな企画を打ち出さない

と言う理由が挙げられると推測する。ま、特に立地条件については生協が大学の正門の近くにあるのに対し、一般企業の学食は学内にあるとは言っても学部棟から少し離れているので距離的に遠いのだ。だからこれだけでも不利なのにそれに以下の条件が付け加われば、撤退せざるを得ないだろう。現に過去出店してきた店もそれが理由でつぶれていったと思う。

しかし、今回入ってきた新しい店は今まで撤退して行った店と違って個人的にかなりの高感度を感じている。現に、今でもお客さんはぼちぼち入ってきておりま、しばらくはつぶれないだろうと言う風に感じている。また、今までお昼といったら生協食堂と言う人たちもこの一般企業の食堂に移ってきている人もいるので良い意味で、現在生協食堂VS一般企業食堂の大学内食堂対決が起きている各々の利点をまとめてみると、立地条件は先ほども話したとおり生協食堂のほうがいい。しかし、ここからだ一般企業食堂の利点は値段が比較的安いと言うこと、そして値段的には安いがそれなりに美味しいということだ。これが今までの店とは違うところ。まぁ〜本質的な値段を言ってしまうと生協のほうが若干安いのであるが、生協は原価ぎりぎり売っている成果、味に刺激が少ないように感じる。それに加え、一般企業食堂は値段は生協より多少するものの(それでも外の店と比べたら安いですけど)それなりにおいしい味が楽しめる。学生の中で、味にまでこだわって店を選ぶ人というのは少ないんだけど、味がわかる人ならどちらかといわれたら一般企業食堂だろうなと思わせる味だ。

それに、色々な企画をやっているのも評価できる。例えば、コンパ。仮に、生協でコンパする場合は時間帯は17:00〜19:30までと時間がすでに定められている。これは、アルバイトの人件費の問題が背景にあると考えられる。つまり、19:30までと言うことは、20:00には終わりにしたいという意図が見え隠れしているのだろう。しかし、この時間帯は学生にとってみたら非常に短くそもそも5時間目が終わるのが17:50なのだからそれからコンパをやっていたら1時間30分しか時間がない。これでは本当に顔合わせ程度で終わってしまう。

一般企業食堂ではどうだろうか。もちろんコンパは承っている。じゃ〜何時までなのだろうか・・・結論から言ってしまうとこちらは何時でもいいのである!ま、何時でもいいといってもせいぜい日付の変わるくらいまでだとは思うがとにかく時間は何時まででもいいのだ。そして、開始時刻にも縛りがないのでぶっちゃけ午後すぐからでも宴会は出来る。そして、料理・飲み物は消費者の希望に応じてある程度は見繕ってくれるらしいからこんな嬉しいことはない。他にもサービスといえばこんなのもある。

飲み物についてだが生協食堂の場合、ファミレスで言ういわゆるドリンクバーなるものがない。唯一コーヒーと紅茶のお湯はお変わり自由だがこれだけである。紅茶は新しいティーバッグをくれないのでまぁ〜飲めてもせいぜい1〜2杯、コーヒーお替り自由も嬉しいがコーヒーが嫌いな人もいるだろうし、コーヒーだけだとちょっと飽きてしまう。

そこで、一般企業食堂は午後からのサービスだが200円でドリンクバー並みのサービスを開始したのだ。選べる飲み物はホットコーヒー、紅茶、アイスコーヒー、アイスティー、カプチーノ、等計8種類ほど選べる。しかも、ホットとコールドの選択自由。単品で頼むと一杯100円〜150円なので2杯飲めばすでに元が取れることになる。これは、ニッシーにとっては非常に嬉しいサービスである。

それと、お弁当関連にも力を入れている。生協のお弁当も結構好評なのだが一般企業食堂はお昼におにぎり、焼きそば、パンを持ち帰りように売っている。これだと対して生協と変わらないのだが、例えばおにぎりは生協で売っているのはコンビニでよく売られているようなおにぎり(105円)に対し、一般企業食堂では一つ一つ手作りで握られていき、大きさも生協のおにぎりよりでかい。んでもって1個あたりの値段が80円なのだ!パンは、生協のパンが普通の業者から仕入れた菓子パンに対し、一般企業食堂のパンは近辺にあるパン屋さんから持ってきたパンで、パン屋と提携しているのである。

とまぁ〜このようにいい意味で構図が出来ている。ニッシーは、生協の職員さんとも仲が良いし、一般企業食堂の店員さんとも仲が良いのでどちらが良いか非常に悩んでしまうのだがこの2店舗の学食争い、もう少し経緯を見つめていこうと思っている。ま、現時点でのニッシーの正直な感想は一般企業食堂ががんばっているなという印象を持っている。それと同時に、生協食堂がもう少し何か、新しいアイデアが出ないものかと思っています。企画力や消費者のニーズにあったものという観点から見るとやはり外部の企業だからだろうか、一般企業食堂が一歩リードしていると個人的には思っています。

蛇足だが、店員さんと話をしていると色々とその人の性格や社会の縮図なんかが見えてしまいますな〜と最近感じております。

おぉ〜またお決まりの書きすぎだ。社会の縮図後編はまたの機会に持ち越しとしよう。(このセリフ何回目だ?苦笑)
と言うちょっと論文っぽいタイトルをつけてみた。(笑)ま、ここはエッセイなのでちょっと自分が日頃から少し思っていることをしばらくはこの拡張版で書いていこうと思う。

んで、その皮切りとなるのがインターネット検索。いまや、インターネットをしている人は急激に増加している。インターネットをする人の動機は多岐に渡るだろうが、その代表的な理由の一つとして『情報検索』があげられると思う。インターネットである会社のサイトにアクセスし、そこのサイトの情報を仕入れる。皆、一度はやったことがあるだろう。今や、大抵の会社は自社のホームページを持っている場合が多く、利用者はそこのサイトにアクセスすれば会社のホームページに一発で行ける・・・と言いたいのだが、実際はそういう風に直接URLアドレスを打ち込む人は少なく、検索サイトを使って会社の名前を入力して、そこで検索されて出てきたサイトにアクセスをするという形態をとっている人が多いのではないだろうか。今回はそれについて論じていこうと思う。

まず、そのような形態として多く使われる検索サイトは間違いなくYahooである。ところが、このyahooの検索サイトは意外に欠点が多く、必ずしも利用者が有益な情報を得られるとは私どうも考えにくいのである。少し、検索に関するシステムを勉強すればyahooを素直に使うのはいかがなものかと思う。

なぜyahooが行けないのか。勘違いしてほしくないのが、yahooの全てを否定しているわけではない。あくまでも、yahooの検索システムに疑問点があると言っているだけで、それ以外のシステム(ニュース等)に関しては今回は突っ込みません。現に、私も現在のメールアドレスはyahooメールを主として使っていますし、yahoo全てに疑問点があると言うわけではないと言うことをまずご理解いただきたいと思います。今回はあくまで検索サイトに絞ってyahooの疑問点について話します。

それでは、yahooのどこに疑問点があるのか。それは、yahooの検索システムに少々疑問点があるのです。yahooの検索システムはディレクトリ系検索を用いています。このディレクトリ系検索というのは何かというと、あらかじめHP所有者が自ら応募し、リンクを掲載してもらうことで閲覧者がその登録されたHP情報を元にアクセスをするものです。すなわちHP公開者が自らの意思で掲載をしてもらい、また掲載する側は掲載すべきにふさわしいと判断した場合のみに掲載が許可される仕組みなのです。

従って場合によっては内容がイマイチだったり、公開にふさわしくないと判断されれば、掲載されずその判断はyahooのネットサーファの独断になってしまうのです。つまり、この時点でyahooのみで検索を行っているとサーファーの手によって選択されたサイトしか掲載されないので、必ずしもほしい情報が得られるかと言うとそうではないと言うことになるのです。

それでは、インターネット検索はどのような形態がいいかと言うと、私はロボット検索型を推奨します。ロボット型の代表的なサイトはgoogleでございます。これぞ、一番優れている検索サイトではないかと勝手に思っています。ロボット検索とはロボットと呼ばれるプログラムがインターネット上に膨大に存在するWebページを常時巡回し、そこに記載されている文字列情報を拾い上げて、それをキーワード検索に引っかかるように自動的にデータベース化する検索サイトのことです。つまり、HP開設者は自分が意識しなくとも知らぬ間に自分のHPをWebに公開することで検索エンジンロボットが自動巡回によってデータを拾い上げれられて結果検索データベースに知らない間に自動登録されるということなのです。ここがyahooと一番の違うところです。

これだけ読むと一見、勝手に情報を盗まれてデータベース化されるのはいかがなものかと思う人もいるかもしれませんが、もともとホームページと言うのは人に見てもらうために掲載しているのですからそれについて文句を言うのはどうかなと個人的には思います。今回は、あくまで検索についての一考察なので、この辺の論議はご愛嬌と言うことにします。

しかし、現在世の中のホームページは日々更新されており、データを拾い上げると言っても膨大な情報量の中どうやって拾い上げるのか。この性質がgoogleは大変優秀なのです。googleは検索する人の立場にたって検索する人が望んでいるホームページをいち早く検索できるようなシステムを画一しているのです。例えば、ある検索ワードを入力します。例えば、松浦亜弥と入力したとしましょう。すると、松浦亜弥に関する情報がば〜〜〜っと出てくるわけなのですが、googleはインターネットサイト内で松浦亜弥という文字が一部分でも含んでいたら、それを検索結果に反映させています。しかもしかもその出力された検索結果の順位は必ず優先順位の高い順にランク付けされるのです。つまり、利用者がおそらく見るであろうその可能性が高いページが必然的に上位にランクインされているのです。従って、この検索結果の順位のアルゴリズムを解明することが検索サイトをマスターする近道になると言うのはいうまでもありません。

かなり、文章が長くなってしまったので詳細についてはまた後日改めて書くことにします。(汗)
と言うちょっと論文っぽいタイトルをつけてみた。(笑)ま、ここはエッセイなのでちょっと自分が日頃から少し思っていることをしばらくはこの拡張版で書いていこうと思う。

んで、その皮切りとなるのがインターネット検索。いまや、インターネットをしている人は急激に増加している。インターネットをする人の動機は多岐に渡るだろうが、その代表的な理由の一つとして『情報検索』があげられると思う。インターネットである会社のサイトにアクセスし、そこのサイトの情報を仕入れる。皆、一度はやったことがあるだろう。今や、大抵の会社は自社のホームページを持っている場合が多く、利用者はそこのサイトにアクセスすれば会社のホームページに一発で行ける・・・と言いたいのだが、実際はそういう風に直接URLアドレスを打ち込む人は少なく、検索サイトを使って会社の名前を入力して、そこで検索されて出てきたサイトにアクセスをするという形態をとっている人が多いのではないだろうか。今回はそれについて論じていこうと思う。

まず、そのような形態として多く使われる検索サイトは間違いなくYahooである。ところが、このyahooの検索サイトは意外に欠点が多く、必ずしも利用者が有益な情報を得られるとは私どうも考えにくいのである。少し、検索に関するシステムを勉強すればyahooを素直に使うのはいかがなものかと思う。

なぜyahooが行けないのか。勘違いしてほしくないのが、yahooの全てを否定しているわけではない。あくまでも、yahooの検索システムに疑問点があると言っているだけで、それ以外のシステム(ニュース等)に関しては今回は突っ込みません。現に、私も現在のメールアドレスはyahooメールを主として使っていますし、yahoo全てに疑問点があると言うわけではないと言うことをまずご理解いただきたいと思います。今回はあくまで検索サイトに絞ってyahooの疑問点について話します。

それでは、yahooのどこに疑問点があるのか。それは、yahooの検索システムに少々疑問点があるのです。yahooの検索システムはディレクトリ系検索を用いています。このディレクトリ系検索というのは何かというと、あらかじめHP所有者が自ら応募し、リンクを掲載してもらうことで閲覧者がその登録されたHP情報を元にアクセスをするものです。すなわちHP公開者が自らの意思で掲載をしてもらい、また掲載する側は掲載すべきにふさわしいと判断した場合のみに掲載が許可される仕組みなのです。

従って場合によっては内容がイマイチだったり、公開にふさわしくないと判断されれば、掲載されずその判断はyahooのネットサーファの独断になってしまうのです。つまり、この時点でyahooのみで検索を行っているとサーファーの手によって選択されたサイトしか掲載されないので、必ずしもほしい情報が得られるかと言うとそうではないと言うことになるのです。

それでは、インターネット検索はどのような形態がいいかと言うと、私はロボット検索型を推奨します。ロボット型の代表的なサイトはgoogleでございます。これぞ、一番優れている検索サイトではないかと勝手に思っています。ロボット検索とはロボットと呼ばれるプログラムがインターネット上に膨大に存在するWebページを常時巡回し、そこに記載されている文字列情報を拾い上げて、それをキーワード検索に引っかかるように自動的にデータベース化する検索サイトのことです。つまり、HP開設者は自分が意識しなくとも知らぬ間に自分のHPをWebに公開することで検索エンジンロボットが自動巡回によってデータを拾い上げれられて結果検索データベースに知らない間に自動登録されるということなのです。ここがyahooと一番の違うところです。

これだけ読むと一見、勝手に情報を盗まれてデータベース化されるのはいかがなものかと思う人もいるかもしれませんが、もともとホームページと言うのは人に見てもらうために掲載しているのですからそれについて文句を言うのはどうかなと個人的には思います。今回は、あくまで検索についての一考察なので、この辺の論議はご愛嬌と言うことにします。

しかし、現在世の中のホームページは日々更新されており、データを拾い上げると言っても膨大な情報量の中どうやって拾い上げるのか。この性質がgoogleは大変優秀なのです。googleは検索する人の立場にたって検索する人が望んでいるホームページをいち早く検索できるようなシステムを画一しているのです。例えば、ある検索ワードを入力します。例えば、松浦亜弥と入力したとしましょう。すると、松浦亜弥に関する情報がば〜〜〜っと出てくるわけなのですが、googleはインターネットサイト内で松浦亜弥という文字が一部分でも含んでいたら、それを検索結果に反映させています。しかもしかもその出力された検索結果の順位は必ず優先順位の高い順にランク付けされるのです。つまり、利用者がおそらく見るであろうその可能性が高いページが必然的に上位にランクインされているのです。従って、この検索結果の順位のアルゴリズムを解明することが検索サイトをマスターする近道になると言うのはいうまでもありません。

かなり、文章が長くなってしまったので詳細についてはまた後日改めて書くことにします。(汗)

思い入れ

2004年9月29日
大学1年生のとき、前期の生物学の授業のときだった。教官は、学生になにやらプリントを配り始めた。配られたプリントはワトソン・クリックによる『DNAの二重らせん構造』について、Newton(雑誌)に掲載した英文だった。教官はいきなり、「それを来週までに約してきなさい。」と言った。あまりにも突然で、驚いたが当時ニッシーは生物には興味があったので、何とか約したのを思い出す。ま、正確にはきちんと訳さないでインターネット上から論文の翻訳版を見つけ、書き写したに近いようなことをしてしまったのだが(苦笑)論文の内容は非常に興味深く、読ませてもらった。ニッシーが、生物にも興味がある一因である。

それが手伝ってか、後期にもニッシーは生物系の授業を教養科目として履修したのだが、試験問題が「二重らせん構造について知っていることを書け。」だったので、しめたものだ!と思い、論文の内容についてとにかく書いたことを今でも思い出す。

あれから4年がたった。今年の4月頃だっただろうか。この論文を書いたクリック博士(多分)が亡くなってしまった。新聞のコラム欄にそのことについて書いてあったのだが、正直少し驚いた。もちろん、面識はないのだがニッシーが生物に少しだけ興味を持った一因であったからだ。何か、寂しい気がした。

話は変わって、ニッシーは大学院になって数論を専攻するようになった。そして、ゼミで現在も読んでいる本が大阪大学教授、日本で数少ない代数的整数論の研究者、山本芳彦氏の本だ。この本は、多少細かいところは省いてあるとのことだが、今のところやってみて本としては分かりやすい。例題が載っているし、証明もある程度はしっかり書いてあるからだ。結構分かりやすいなと思っていた。

昨日、ふと新聞の訃報欄を見てみたら。何と、昨日その山本氏が亡くなったと掲載されていた驚いた。山本氏は、この教科書のみならず数学系の雑誌にもたびたびコラムを掲載していたからだ。新聞によると死因は肺がんらしいが、まだ63歳で大学を定年にもなっていない。記事を見た瞬間、思わずびっくりだった。

無論、山本氏にも面識はないが、現在山本氏の教科書をゼミの教科書として用いているだけに胸中複雑だ。教科書に数箇所間違いがあったので、ゼミの友人たちと「ここ著者に指摘するか!」と、冗談交じりに話もしていたのでもうそれもできなくなってしまったのだ。

ま、現在山本氏の教科書を読んでいるのも奇妙な縁。大切に残り部分を読んでいきたいと思う。

人はどこかで繋がっているとは言うが、思わぬところで複雑な思いがするものである。そんなことを感じた。

顧客を大切に

2004年9月22日
先日のことでした。私は、夕ご飯にラーメンを食べにアパートの近くのラーメン屋に行きました。その時、私に対応して従業員(たぶんアルバイト)の女性は、機会的かつマニュアル的で無愛想。正直気分良いものではありませんでしたが、それでも私の目的はラーメンを食べることだから、そんなことはま、いいか!と割り切って味噌バターラーメン(567円)を注文しました。

私が注文して、3分後。カップルらしき男女が入店してきて、私の座っているカウンター席の横に座りました。カップルは男性も女性もラーメンを注文。(何を頼んだかは忘れてしまいましたが・・・)ま、特に変わったこともなくここまでは普通の状況。

ここからです。事件は起こりました。注文したラーメンを食べて、「さて、帰るか!」とレジに向かったときです。私が入店したときに対応した従業員が驚くべき一言を言いました。「お会計、1115円になります。」はい????私は、567円の味噌バターラーメンしか頼んでいないのに何で、1115円なのか、私にはその理由がすぐに分かりました。男女のカップルが注文したラーメンの伝票と私の伝票とを誤って逆にその従業員が置いたからです。しかも、カップルの客は私が会計をしたときには、もう店を出ていたので男女のカップルはおそらく567円を払って店を出て行ったと思います。おそらく、しめしめ!と思って店を出て行ったことでしょう。

そして、私が1115円。ま、ここまではありがちなミスなのですが、私がそのことを従業員に指摘すると、従業員は「すいません」の一言もなし。私は思わず、「もう少し、しっかりやったほうが良いよ。」と言いました。その言葉に従業員はしかめっ面でむっとした様子で私にお釣りを渡していました。

そもそも、この従業員は私が一人でラーメンを食べていること、カップル二人でラーメンを食べたこと、そんなことは全然気にしていなかったのでしょう。だから、私の会計が1115円になっていることも、カップルの会計が567円になっていることも、会計のときおかしいとも思わずにレジを打ったものと思います。お客を無視、接客無視の対応です。私はもうこのラーメン屋には行かないでしょう。

話は変わって、先日プロ野球史上初のストライキが起こりました。選手会側と球団側、双方妥結に至らなかったことが原因です。ま、私見としては私は選手会支持派なので、おおよそどんな考えかは察しがつくと思いますが、球団側のあの対応はなんなのでしょうか。かなり憤っています。昔ながらの頭の固い性格と言わざるを得ません。

球団側が経営が厳しいと言うのは私もある程度は承知しています。なので、球団側が企業努力をする。これは当然のことです。しかし、球団側の独自の裁量だけで合併だの1リーグだの、決めていく。はてまた、新規参入は認めない。一体これはなんなんでしょうか。顧客を一切無視です。こんなので、伸びる企業がどこにあるのでしょう?もっと、顧客の身になったことをしていただきたい。それが、今のプロ野球ストライキに関する世論の声だと思っています。

ラーメン屋とプロ野球問題について書きましたが、双方に言えることは「顧客をあまりにも軽視しすぎている」と言うことです。これでは、絶対に企業として伸びません。成功しません。やはり、一人一人の顧客と親身になって接することによってそれが事業拡張に広がっていくとそう思います。

お客様の言っていることは正しい。これは紛れもない事実。まずは、地面に足をつけてもらいたい。足元を見失うな。そう、言いたいです。
17日間にわたって熱戦を繰り広げていたアテネオリンピックが閉幕した。私も一応スポーツ観戦そのものは好きなので、ブラウン管を通してですが、それなりにオリンピックを見ていました。まぁ〜アテネオリンピックに関して言えば、さほど熱心な視聴者ではありませんでしたが・・・(苦笑)ま、その中でいくつか私が思ったことを箇条書きですが記していきたいと思います。

●日本勢の活躍がすごかった
これは言うまでもありません。過去最多のメダル獲得、金メダルも過去最多タイと言ったように、今回のオリンピックは日本勢の活躍が素晴らしかった。これには、拍手をあげたいと思います。ニッシーその中で、特に印象に残っているシーンはと言うと・・・そうですね、体操男子の団体優勝でしょうか。私は、体操に関しては全くの無知なのですがテレビで見ていてとても興奮しました。今回は、日本勢の活躍が素晴らしかったです!後は、柔道の野村忠弘選手ですか。3大会連続金メダル!ニッシーは、野村選手はアトランタ大会のときからひそかに応援している選手ですので、それはうれしかったです。(アトランタ大会のときは、無名の選手でした。)

また、柔道の谷亮子選手の金メダル、マラソンの野口みずき選手の金メダルといったように女性の活躍も素晴らしかったです。男性陣がなんだか追いやられていってしまったような・・・男性の私が言うのもおかしいですが、日本の世の中もこのオリンピックのようにもう少し女性が活躍できる場にしても良いなと思いました。

▼選考基準に疑問?
今回のオリンピックについて、競技に関する疑問に思ったことが1つ。それは、バレーボールです。日本は、女子が出場しました。残念な結果になってしまいましたが、その中でニッシーが疑問に思ったことが1つ。日本は予選リーグは2勝しかしていないのです。それなのに決勝トーナメント進出。もちろん、決勝トーナメント進出といっての下位での進出ですから、それなりに厳しかったのでしょうけど、この2勝しかしていないのに決勝トーナメント進出というのは少々疑問を感じます。

ニッシーは、バレーボールに関してはいくつか疑問を持っていて、例えばオリンピックの選考に関しても日本の場合は、何回もオリンピック出場のチャンスがありました。結局最終予選で女子は出場を決めたのですが、その最終予選も日本が有利の中での最終予選でした。しかも、今まで行われてきたオリンピック選考会を兼ねた大会において、試合会場はほとんど日本。明らかに日本が有利になるようにしくまれていると個人的に感じています。そして、オリンピックでも日本はたった2勝しかしていないのに決勝トーナメント進出。野球だとまずありえません。そういう意味で、バレーボールは果たしてどうなっているのだろう。と、そう思いました。
(蛇足ですが、バレーボールのルールについて、個人的には昔のサーブ権制がニッシーは好きだったので今のラリーポイント制には個人的にいまだに違和感を覚えています。日本で、何でこんなにバレーボールは人気があるのか。私は、いまだによくわかりません。)

●審判問題
ま、この問題はオリンピックになると必ず出てくる問題なのですが、今回もいくつか問題がありました。個人的に感じたのは、審判の質が低いなぁ〜と言うことです。前回のシドニーのような大きな誤審はなかったですけど、細かいミスが多すぎました。得点掲示が違っていたり、野球のストライクゾーンが言ってしていなかったり。審判に関して文句を言ってはならないと言うのは個人的に賛成です。私も審判をやっていますので。

ただ、それにはやはり審判の質をもう少し向上しなければならないなと感じました。

◆選手の報奨金
今回、日本選手がメダルを獲得した場合、日本政府から金メダル・・・300万、銀メダル・・・200万、銅メダル・・・100万の報奨金が出るようです。この値段なのですが、はたしてどうなのでしょう。ニッシー個人的にはすごく安いと思います。例えば、中国などといった国は、金メダルを取れば一生涯生活保障のような特典があるようです。選手の4年間の練習量云々に比べたらこの日本の値段はきわめて安いと思います。もちろん、お金ではありませんがもう少し額を上げても良いと思います。ちなみに、この政府からの報奨金以外にも各連盟からもいくらかお金が出る連盟もあるそうですが、今回たくさんメダル獲得を成した柔道に関しては、柔道連盟からの報奨金は無いとのことだそうです。逆に、愛ちゃんが活躍した卓球連盟は、金メダルを取ると卓球連盟から1000万だとか。。日本の場合は、メダルが取れる確率で各連盟が個別に報奨金を決めているみたいです。

×アジア圏の更なる活躍を!
今回、日本勢がオリンピックで大活躍しましたがその背景には、日本の充実したスポーツ設備と言うのが少なからずともあると思います。国立オリンピック青少年センターの充実、練習施設の充実等に加え、水泳で金メダルを取った北島康介選手においては、『チーム北島』と言うのも発足し、コンピュータを使って泳ぎを色々と研究していたそうです。また、専属の栄養士がいたりと金メダルの背景の裏には、こういった科学技術の発達も顕著だったと言えるでしょう。

しかし、アジア全体を見てみるとどうでしょう。例えば、私が関心のある国ベトナムに関しては、少なくとも私が見ている限りではオリンピックに出場している選手は見受けられませんでしたし、東南アジアの国はあまり、ブラウン管に出ていなかったように思えます。今回の日本の活躍を機に、4年後の北京大会では日本だけでなく、アジア全体の更なる活躍を期待したいところです。



とまぁ〜他にも色々あるのですが、取りあえずオリンピックを振り返って思ったことを書きました。また、何かあったら書こうと思います。

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